与那国島(よなぐにじま)は、沖縄県の八重山諸島を構成する島で、日本の最西端に位置する島である。
概要
八重山諸島・石垣島のさらに西124kmにある国境の孤島。地理的には石垣島からより台湾からの方が近い。日本の最西端の島であり、沖ノ鳥島(最南端)や南鳥島(最東端)と違って人の住んでいる島でもある。自治体は与那国島まるごとが与那国町で、人口は約1600人。最西端であるということで、誰もが小学校の社会科で名前だけは聞いたことがある島のひとつであろう。
近年、この与那国島の海底に謎の海中遺跡らしきものが発見され、古代文明の痕跡ではないかと話題になった。諸説あるものの研究はまったく進んでおらず、未だに未解明のままである。南の島らしく現地はスキューバダイビングのスポットとしても人気で、その謎構造物も観に行くことができる。
主な産業は農業(サトウキビなど)、漁業、畜産、観光など。与那国島には固有種の「与那国馬」が保護されており、島内で馬が闊歩しているところを見られるかもしれない。
虫が嫌いな人にはお勧めできないが、「ヨナグニサン」という世界一でかい蛾も生息しているので、興味があったら検索してくださいな。
Dr.コトー診療所のロケ地としても知られる。
度数60の花酒(泡盛)を生産していて、そのあまりの濃さのため火気注意とラベルに書かれていたり、酒税法上はスピリッツ類だったりする。
空路では石垣空港・那覇空港からの便、海路では石垣港からフェリーがある。ただし八重山諸島自体が外部との定期航路がないためどのみち空路を使うことになる(2012年現在)。
簡単な歴史
いつ頃から人が住んでいたのかは不明だが、紀元前1700年代の土器が出土している。
13世紀頃から集落をまとめるリーダー的存在が現れ、15世紀頃には女リーダーまで誕生している。ところが1500年頃から琉球王国の征伐を受けるようになり、交戦。村が焼き払われるなど甚大な被害が生じる。一度は撃退したが、二度目の侵攻は抗しきれず、1522年に降伏。琉球王国の支配下に入る。長らく琉球王国の支配を受けていたが、1609年に薩摩藩が琉球王国を下した事で支配者が交代する。何度か災害や飢餓に見舞われたが、少しずつ人口が増加していった。1879年、廃藩置県により沖縄県の支配下に入る。1895年、日本に台湾が編入。ちょうど台湾の目と鼻の先にあった与那国島は出稼ぎ労働者の足がかりとなった。また台湾と緊密な関係となり、日本本国より台湾の紙幣の方が強い影響力を持っていた。1914年、与那国村が誕生。
1941年、大東亜戦争が勃発。後方地域にあった与那国島は開戦後しばらくは平和な時が流れていた。ところが1944年10月10日の那覇大空襲を境に、与那国島への空襲が始まった。空襲でカツオ漁船が全滅し、加工工場も大打撃をこうむった。家屋を失った人々は山へと逃げ込んだが、そこにはマラリアを持った蚊がうようよしており、多くの島民がマラリアに罹患、死亡した。沖縄を守備する第32軍から独立混成第45旅団が配備され、来るべき決戦に備えていた。しかし激しい空襲と艦砲射撃はあったものの上陸は行われず、失陥する事なく終戦を迎えた。
終戦後の1945年10月、アメリカ軍が上陸し統治下に置かれる。戦後の混乱の中、台湾から密輸品が流れ込み、島は大変栄えた。1947年には闇市が出来、日本との物々交換が盛んに行われた。人口も激増し、一時は3万人に達したとか。ところが琉球政府が樹立すると闇市が取り締まられ、急速に勢いを失った。
1972年5月14日、沖縄本島ともども日本に返還され、本土に復帰した。
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関連項目
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