世界日報とは、
- 日本で発行されている新聞(1975年創刊)
- かつて日本で発行されていた新聞(1945年頃に創刊して1951年に産経新聞と合併した)
- 韓国で発行されている新聞(1989年創刊)。セゲイルボと読む
- 北米で発行されている中国語新聞(1976年創刊)。台湾の聯合報と提携している
ここでは1.について説明する。
概要
1975年(昭和50年)1月1日、株式会社世界日報社の設立と同時に創刊した。
統一教会の教祖であり国際勝共連合の設立者である文鮮明が世界日報社を設立したので、一般的な新聞というよりは統一教会や国際勝共連合の機関紙として見られることが多い。
統一教会の本部が渋谷区松濤にあるため、そのすぐ近くの渋谷スクランブル交差点に世界日報の大きな青い看板があった(画像)。しかし2022年現在は撤去されている。
主な姉妹紙はワシントン・タイムズと世界日報(韓国)であるが、この2紙も統一教会の出資によって設立されている。
看板コラムは、一面下部の『上昇気流』と最終面掲載の『View Point』。『上昇気流』は匿名のコラムで、朝日新聞でいうなら『天声人語』にあたる。『View Point』は言論人が執筆するオピニオン欄で、産経新聞でいう『正論』にあたる。
世界日報が創刊される前に同名の世界日報という新聞が存在していたが、こちらは1951年に産経新聞と統合し終刊した。そのため、「産経新聞は世界日報と統合しているから統一教会系だ」という主張もあるが、無関係である。しかし、題字と地紋が現在の世界日報と瓜二つであるという謎がある。
論調
反共・反中・反北朝鮮・親台湾・親米保守・共和党(アメリカ)支持・親イスラエル・軍備拡大・核抑止力重視・原発推進・改憲支持・スパイ防止法(特定秘密保護法)支持・「自由及び権利には責任及び義務が伴う」の支持・反権利意識・反性教育・反ジェンダーフリー(反トランスジェンダー)・反フェミニズム・反LGBT・反同性婚・選択的夫婦別姓反対・男系天皇支持・日の丸や旭日旗や君が代の支持、といった保守的な論調が特徴である[1]。
国際報道を重視しており、各国新聞社と特約を結んで記事の翻訳を載せたり、特派員レポートを随時掲載しているのが特徴である。
<特約を結んでいる姉妹紙のワシントン・タイムズと世界日報(韓国)も統一教会系の新聞社である。ワシントン・タイムズ紙は、かのレーガン大統領が「寝室まで持っていく唯一の新聞」と言ったとおり、共和党支持の保守系新聞である。そのため、母体が同じ世界日報も、アメリカであれば明確な共和党支持であり、中東問題では、親イスラエルである。イラク戦争時も、アメリカの軍事行動を支持していた。また、共和党がキリスト教保守派の支持を受けているため、世界日報もキリスト教保守派の主張する「インテリジェント・デザイン」に融和的である。
時事通信社、UPI通信社と契約しており、自社取材記事以外は通信社の配信記事を掲載している。UPI通信社も2000年から統一教会の出資を受けている。
主なスクープ・キャンペーン
- 教科書検定で、『「侵略」を「進出」に書き換えさせた』とする他のマスコミ報道が「誤報」であるとの主張をする。これにより、産経新聞と朝日新聞は訂正記事を出し謝罪
- ソ連亡命将校レフチェンコの証言から日本のエージェント名を暴露
- 90年代に自社さ連立政権が対新進党用の切り札として用意していた宗教基本法案を、一大キャンペーンにより廃案に追い込んだ。
世界日報事件
統一教会の機関誌という状態が続いた
1975年創刊の世界日報は、1981年頃まで統一教会や国際勝共連合の機関誌という状態から発展することができていなかった。社員は全員が統一教会の信者であり、赤字(欠損金)を統一教会に補填してもらうという状態が続いていた。
1980年10月の時点で発行部数がわずかに7千部であり、毎月60万円の欠損金を統一教会に補填してもらっていた。背後に統一教会や国際勝共連合がいることを知られていたので、一般に評価されている学者や文化人の寄稿がなく、統一教会に入信している学者からの寄稿に頼っていた。
副島嘉和と井上博明の改革路線
1980年10月に、副島嘉和(統一教会広報局長を兼務)と井上博明(統一教会四国ブロック長から転任)が統一教会から送り込まれる形で世界日報に入社した。副島嘉和は編集局長に就任し、井上博明は営業局長に就任した。
副島嘉和と井上博明は「編集権を経営権から独立させ、統一教会・国際勝共連合に偏しない紙面作りをしよう」と考えて、次の方針を固めた。
- 世界日報の紙面を統一教会・国際勝共連合の布教・宣伝に用いない。
- 統一教会・国際勝共連合とこれに関連する団体の報道は原則として他紙と同程度に扱う。事情によっては他紙よりも控えめに取り扱う。
- 論調は産経新聞よりも強い反共、愛国の方向をとる。これにより出資者である統一教会と勝共連合には、自由主義陣営の擁護と日本の共産化を防衛するという点で間接的に寄与する。
- 統一教会の信者の社員に対して、社内で統一教会の礼拝を行わせない。役員会議や編集会議の前後に全員で文鮮明を讃えることを行っていたが、そういうことをとりやめる
- 1984年度から始めた社員の一般公募を続け、会社の中の統一教会信者の割合を減らし、新聞協会への加盟を目指す
以上の方針を堅持しつつ、それまで世界日報に寄稿しなかったような学者・文化人への説得に当たった。そのかいあって、武藤光朗、勝田吉太郎、林健太郎、田中美知太郎、草柳大蔵、加藤寛、竹山道雄、尾崎一雄など多数の著名な知識人が寄稿するようになった。加えて源田実の「風なりやまず」と村上元三の「田沼意次」という、これまでは企画することもできなかった強力な連載小説が続き、部数拡大の大きな戦力になった。
1982年6月26日の第一次教科書問題に関してスクープを出し、1982年秋に森村誠一の『続・悪魔の飽食』の偽写真に関してスクープを出し、1982年冬にはレフチェンコ事件でいちはやくKGBのエージェントを割り出すというスク―プを出した。そうしたスクープを出したことで様々なメディアに取り上げられるようになった。さらには第一次教科書問題で誤報を出した新聞社を批判していた渡部昇一や竹村健一がテレビで世界日報を紹介したことも大きな追い風となった。
こうして、7千部だった部数が3万5千部まで伸びていった。販売店も副島嘉和と井上博明の入社時の10店舗から74店舗にまで増えていた。
1983年10月1日の襲撃
副島嘉和と井上博明の改革路線は、統一教会の文鮮明の目には「裏切り」と映ったようであった。
1983年10月1日、文鮮明の指示を受けた梶栗玄太郎[2]ら100名の統一教会信者たちが渋谷区宇田川町ワールドビルにあった世界日報社を襲撃し、社員へ暴行を働いた。警官80名が出動する騒ぎとなった。
4日後の10月5日になって副島嘉和と井上博明は辞任に追い込まれ、10月7日には副島嘉和と井上博明の両名が統一教会から除名された。
副島嘉和と井上博明が『文藝春秋1984年7月号』で暴露をする
追放された副島嘉和と井上博明は、『文藝春秋1984年7月号』に「これが『統一教会』の秘部だ-世界日報事件で『追放』された側の告発」という題名の暴露手記を発表した。
詳細は当該記事を参照のこと。
副島嘉和への襲撃事件
『文藝春秋1984年7月号』が全国の書店に並んだのは同年6月10日頃だが、その8日前の6月2日の夜に、副島嘉和は世田谷区にある自宅マンションの前で、韓国の空手を使ったような暴漢に襲われて重傷を負った。マンションの入り口付近で待ち伏せしていた男がいきなり「この野郎」と叫んで刃物のようなもので切りつけ、数回副島を殴ったあと走って逃走した。
副島嘉和は瀕死の重傷を負い、自宅マンションの玄関は血の海となった。しかし、三度の緊急手術が成功し、二日後に意識が戻った。復帰後の副島嘉和は井上博明とともに『インフォメーション』という雑誌を立ち上げて統一教会の批判を続けた。
本項目の資料
『文藝春秋1984年7月号』の「これが『統一教会』の秘部だ-世界日報事件で『追放』された側の告発」(副島嘉和・井上博明)
関連動画
関連リンク
公式サイト
Wikipedia記事
関連項目
脚注
- *たとえば、「原発 site:https://www.worldtimes.co.jp/」とか「原発 site:https://sub.worldtimes.co.jp/」という文字列でGoogle検索すると原発推進の社説がヒットする。
- *梶栗玄太郎の当時の肩書きは国際勝共連合理事長だった。のちに統一教会会長にまで出世した。
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