両国駅とは、東京都墨田区横網1丁目にある中央・総武線各駅停車、都営大江戸線(E12)の駅である。
両国国技館の最寄り駅であるが、地名は横網(よこあみ)であって横綱(よこづな)ではない。
概要
両国駅 | |
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りょうごく - Ryogoku | |
基本情報 | |
所在地 | 東京都墨田区横網1丁目 |
所属事業者 | JR東日本 東京都交通局 |
所属路線 | ■総武線 大江戸線 |
駅番号 | E-12(大江戸線) |
駅構造 | 高架駅(総武線) 地下駅(大江戸線) |
ホーム | 2面3線(総武線) 1面2線(大江戸線) |
駅テンプレート |
JR東日本は島式ホーム1面2線の電車ホームと単式ホーム1面1線の列車ホームになっている。東京都区内。
都営地下鉄は島式ホーム1面2線。
総武鉄道(現在の総武本線)が1904年4月5日に開業させた駅であり、開業当時の駅名は両国橋駅であった。
それ以前は本所駅(現在の錦糸町駅)が東京側の終着駅であったが、上野方面への接続を目指して本所~秋葉原間の免許を取得した。だが、この区間は高架で建設するという条件を付けられてしまったため、資金的な問題で結局一駅だけの延伸しかならなかった。
ただ、この延伸工事により「日本初の高架鉄道」という栄誉を得ることが出来た。
両国橋駅には総武鉄道と友好関係にあった東武鉄道も亀戸駅を経由して乗り入れており、東京東部の大ターミナル駅となる可能性もあった。しかし、総武鉄道は1907年9月1日に国有化されてしまったため、東武鉄道との提携も解消され、乗り入れ運転はこの三年後に終了した。
1923年9月1日に発生した関東大震災によって駅舎が焼失してしまい、1929年12月30日に現在も営業を続けている新駅舎が営業を開始した。そして、1931年10月1日に駅名を両国駅に改称した。
総武本線は長らく両国駅が終着駅であったが、1932年7月1日に当駅から中央本線の御茶ノ水駅までが電化路線として開業した。総武本線の電化は1935年7月1日に千葉駅まで完成したが、そこから先や房総方面は非電化のまま据え置かれたため、両国駅は途中駅にはなったもののディーゼル急行・特急の発着駅として大変な賑わいを見せた。
しかし、両国駅に大きな転機が訪れる。総武本線の混雑を緩和するために、「通勤五方面作戦」により複々線化されることが決定したのである。山手線との乗り換え駅である秋葉原駅の混雑も深刻であり、新線は途中で分岐して直接東京駅に向かうことになった。
総武トンネルと呼ばれる両国~東京間の地下トンネルは、隅田川や地下鉄などの下を潜り抜けて東京駅に向かうために地下20~30mの大深度に建設されることになった。トンネルへの入り口は、営業を終了した両国駅構内の広大な貨物ターミナルを開削して工事が進められたが、33.4パーミルもの急勾配となった。そのせいもあってか、両国駅への総武快速線のホーム設置は見送られてしまった。
1972年7月15日に総武快速線が東京駅に乗り入れるようになると、大半の優等列車もそちらに移行してしまう。総武トンネルの保安装置に対応していない一部の急行列車は残ったが、それも次第に減らされていき、1988年3月13日のダイヤ改正をもって定期列車はついに全廃された。
列車線(3番線)ホームは現在でも臨時列車の発着に使われているが、定期旅客列車が全廃された後も房総地区に夕刊を運ぶ新聞輸送荷物列車がここから発車していた。だが、2010年3月13日のダイヤ改正をもって廃止されてしまった。
そんなかつての大ターミナル駅の威容を失った両国駅ではあるが、1985年1月場所より使用開始された両国国技館(二代目)や、1993年3月28日に開館した東京都江戸東京博物館が貨物駅跡地に建設されるなど、各駅停車しか停まらない途中駅にしてはそれなりに充実したロケーションとなっている。2000年12月12日には都営大江戸線の駅も開業し、乗換駅としての機能も有するようになった。
隣の駅
路線名 | 隣の駅 新宿駅・三鷹駅方面 |
当駅 | 隣の駅 船橋駅・千葉駅方面 |
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■中央・総武線各駅停車 | 浅草橋駅 | 両国駅 | 錦糸町駅 |
路線名 | 隣の駅 都庁前駅方面 |
当駅 | 隣の駅 光が丘駅方面 |
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大江戸線 | 蔵前駅 | 両国駅 | 森下駅 |
関連動画
関連項目
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