中央高速バスとは、京王バスグループと共同運行各社が新宿をターミナルとして中央自動車道経由で結ぶ高速バスである。
概要
京王電鉄バスグループと共同運行会社によって運行される路線群。バスタ新宿を発着し、中央自動車道を経由する。季節によって乗客の流動性が大きく、一般路線との兼用車としてワンロマ車が登場するきっかけとなった路線。2009年に運行会社による運営システム「CHANCE」を結成した。
その始まりは1956年に運行を開始した新宿と富士五湖を結ぶ急行バス。1959年には新宿と甲府を結ぶ季節運行の急行バスも運行しており、これらを中央自動車道経由に乗せ換えた時から「中央高速バス」の名称が使われるようになった。
中央高速バスの商標は京王電鉄バスが所有しており、京王と運行協力している各社以外の使用は認められない。似たような名前の「中央道高速バス」もあるが、こちらは名古屋名鉄バスセンターをターミナルに中央自動車道経由で結ぶ路線郡の事で、名鉄バス他共同運行各社が使用する名称である。
中央高速バス問題
路線開設において、一時期需給調整や採算性の問題から幾つかの問題が発生し、関係者の間で「中央高速バス問題」と呼ばれていた。特に国鉄→JRバスとの対立が、いくつかの路線開設に影響を与えている。
この項目では元々中央高速バスを運行していた各社を「私鉄陣営」と表現し、国鉄→JRバスを「国鉄」あるいは「JR陣営」と表現する。
国鉄が横槍を入れた伊那・飯田線
かつての伊那・飯田エリアは経済圏がどちらかと言えば名古屋を向いており、名古屋行の中央道高速バスはそれなりに繁盛していた。しかし会社の経営に寄与するレベルではなく、名古屋よりさらに遠い新宿行のバスを設定しても利益が出せるのかと危惧する意見もあった。
1980年7月、伊那バスと信南交通は京王帝都電鉄(当時)へ高速バス路線開設の協力を要請したが、各社間協議が初めて行われたのは京王が市場調査を行った後の1982年11月である。しかし総運行本数・施設の共用などの調整が難航。沿線自治体や商工会などによる早期開業の陳情もあったことで、ついに京王・伊那・信南の3社が路線開設の申請を1984年7月に出すことになった。その後、京王が取りまとめ役となって再調整を行い、沿線3社(山梨交通・富士急・諏訪バス)の合意も得られ、6社共同で同年8月末日に再申請を行った。
しかしこの動きを新宿と伊那を結ぶ急行列車を運行している国鉄が黙って見ているはずがない。もしバスが運行を開始すれば国鉄の利用者が高速バスへと流れ、中央東線や飯田線の利用者に大きな影響が出る。
実際、名古屋駅から豊橋駅経由で飯田線へ直通していた急行伊那が中央道高速バスに利用者を奪われて1983年に廃止、姫新線の利用者が並行する中国ハイウェイバスに流れた苦い経験から国鉄自動車局が高速バスの展開を自粛した経験もあり、地方線区にとっては高速バスは脅威であると認識していた。
部内では「民間のバスに客を奪われるぐらいなら自分とこでバスを走らせればいい」という意見も出た。実際国鉄バスの運行拠点はこの区間だと東京・伊那・中津川にあり、路線開設には何ら問題がなかった。しかし高速バス反対で意見がまとまり、民間系の申請と同時期に運輸省や沿線自治体に「高速バス開設は考え直してくれないか」と横槍を入れた。たかが民間バス路線1つの開設に巨大組織国鉄が横槍を入れてくるのは前代未聞で、関係者は戸惑いを隠せなかったという。
国鉄の意見に対する沿線自治体の答えは「飯田線の高速化・輸送改善を渋ってきたくせに何を今更言うか」と一蹴するものだった。頼みの運輸省も「飯田線の利用者が減って国鉄がダメージを受けるより、伊那地域住民の利便性向上に繋がる高速バスの開設が優先される」と判断。1984年12月に認可が降り、同月に運行を開始した。
運行開始後、当時倒産寸前とまで言われた信南交通が運行開始翌年度に単年度黒字を計上、倒産寸前とまでは行かずとも赤字続きだった伊那バスも黒字回復するなど運行事業者の経営状態を改善できるほどの利用者数を記録。伊那地域の経済圏が東京も向くようになった。
全区間単線、急カーブ、勾配が多い飯田線が渋滞さえなければ早着も十分ありうる高速バスに敵うはずがなく、1986年11月に急行こまがねは姿を消し、分割民営化後の1988年には飯田線から急行そのものが消滅することとなり、国鉄の懸念は現実のものとなった。
申請から認可まで1年以上を要した諏訪・岡谷線
1986年2月末、京王・富士急・山梨交通・諏訪バスの4社が新宿と諏訪・岡谷を1日10往復で結ぶ路線の開設を申請。翌3月には国鉄も似たような路線の開設を申請した。国鉄が路線開設の申請をしたのは高速バス伊那・飯田線の開設に際して再考を求めたものの受け入れられず、ならば今度は初めから身内で路線を開いて影響を最小限に食い止めようという方針に転換したためである。
当時はダブルトラック(後述)を過当競争を防ぐ観点から運輸省が認めておらず、民間各社間の調整に難儀した上、沿線自治体の思惑の違いなどもあってようやく申請できたと言うのに国鉄と競願になったため民間側は「ウチらが長年築き上げた市場に何今更土足で上がって来とんじゃ」と猛反発。対する国鉄も「民営化後の新会社のために、収益性の高い高速バスは不可欠である」と全く譲らず、調整不能のまま申請後1年が経過するという異常事態に陥った。
この間、国鉄は中央東線特急あずさの増発を行った。高速バスが運行できないなら鉄道の利便性を上げて利用者を国鉄に定着させてしまおうという作戦である。ただ諏訪地区の住民の高速バスに対する期待は高く、1986年8月には沿線市町村が運輸省へ民間バス会社へ認可を出すよう陳情を行った事から、諏訪バスが「既に持っている飯田行の路線免許を活用し、諏訪地区発着の運行系統新設扱いで通せばいい」という判断を下す。これにより、1986年11月1日新宿と茅野を結ぶ中央道茅野線の運行が開始された。茅野までであれば諏訪バスの営業エリアであり、国鉄バス下諏訪自動車営業所のエリアと被らないためである。1日3往復という暫定体制ながら茅野線は好評で、沿線からは増便や伊那・飯田線の停車を要望する声も多かった。
結局国鉄→JRバスが折れる形で、JR東日本が諏訪側の事業者として1日1往復を担当する合計11往復体制で1987年3月に再申請。同年7月よりようやく諏訪・岡谷線の運行が開始された。申請内容に不備がなかったのに申請から運行開始まで1年以上を要したのはこれまで例がなく、需給調整も撤廃されたことで今後二度と起きることはないと見られている。
余談だが、JRバスは参入時にトイレ付きの車両を諏訪・岡谷線へ投入した。中央高速バスにおいてトイレ付き車両の投入はこれが初めてである。JRとしては東名ハイウェイバスと同仕様の車両を中央高速系統に入れたに過ぎないが、渋滞の多い中央道においてトイレ付き車両は乗客からの評判がよく、他社・他路線の車両にも波及した。JRバスの参入も居住性の改善という意味で十二分に意味があったと言えよう。
ダブルトラックの松本線
ダブルトラック
同じ区間を異なる2社が共同運行を行わずにそれぞれ運行を行うこと。競争原理が発揮され、利便性やサービスの向上が期待できる反面、需要を食い合って共倒れになってしまったり、片方の路線が撤退して一人勝ち状態になったりしてしまうことも。
私鉄陣営の松本線開設申請直後、諏訪・岡谷線で味をしめたJR東日本→JRバス関東がほぼ同一の内容で、共同運行相手に松本電気鉄道を指名して路線開設申請を出した。内容の相違点と言えば私鉄陣営が新宿を起点としたのに対し、JR陣営は東京駅を起点としていたことぐらいである。
運輸省もこの頃になるとダブルトラックを認める方針へと変化しており、双方に認可が降りた。これにより2路線とも1989年4月18日にダブルトラックで運行を開始した。しかし、似たような路線で、しかも両方に松本電鉄が参入していたのに全く無関係な路線として扱われたために、回数券などが利用できず乗客に混乱を招いた。
JR陣営は松本線を「松本号」として運行。乗車券をマルスに収録することで全国のみどりの窓口で購入できるようにするなど販売ネットワークは悪くなかったものの、営業力では京王を始めとする私鉄陣営には敵わず、4往復で運行を開始したものを2往復へ減便。結局1992年に撤退した。一方、私鉄陣営はその後も増便を続け、現在では20往復以上が運行されている。
なおこれに懲りたのか、JRバス関東の中央道方面への路線展開はしばらく途絶えることになる。
運行路線
富士五湖線
主要停車バス停 | ||
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バスタ新宿 | ||
中央道日野 | ||
富士急ハイランド | ||
河口湖駅 | ||
山中湖旭日丘バスターミナル | 本栖湖 | 船津浜温泉街 |
山中湖平野 | 富士芝桜まつり会場 | 河口湖自然生活館 |
運行会社 | ||
京王バス(一部西東京バスへ委託) 富士急バス フジエクスプレス |
1996年9月末までは京王と富士急の共同運行路線ではなく、相互乗り入れ路線という扱いで乗車券や予約センターが別々に分かれていた。山中湖のバスターミナルも京王と富士急で別々だった。
かつて夏の観光シーズンに運行されていた直通系統を除き、新宿発が奇数の時間は京王、偶数の時間は富士急が担当する。続行便は1号車と同じ会社が担当するが、折返し便が間に合わない時などはこの限りにない。
鉄道乗り継ぎよりも格安で目的地に行けるため、春や夏は観光路線として、朝夕は通勤通学や吉田・忍野地区への出張、新宿へのショッピング路線としての役割も果たしている。
富士山五合目線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
富士山三合目 | |
富士山五合目 | |
運行会社 | |
京王バス 富士急バス フジエクスプレス |
富士登山シーズン以外は河口湖駅が終点となる系統。続行便は1号車の担当会社とは違う会社が入る事もある他、車両が不足するとトイレ無しの貸切車まで動員されることも。
甲府線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
勝沼 | 中央道御坂 |
石和 | 中央道境川 |
山梨学院大学 | |
甲府駅 | |
湯村温泉・竜王・富士急上阿原車庫 | |
運行会社 | |
京王バス 富士急バス 山梨交通 |
勝沼インターで中央道を降り、石和を経由する系統と甲府南まで中央道を経由する系統がある。
複数社が単一路線を担当する高速バスでは、運賃収入を一旦幹事会社が取りまとめて運行回数などに応じて収入を運行会社に分配する運賃プール制を採っているが、かつての本路線はプール制ではなく、担当便の運賃収入がそのままその会社の収入となっていた。このため、不公平感をなくすべくある一定周期で担当便を変更していた。
富士五湖線同様、通勤・通学・新宿へのショッピング路線としても使われている。
甲州線(甲州ワインライナー)
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
ぶどう橋 | |
勝沼支所 | |
ぶどうの丘(下りのみ) | |
甲州市役所 | |
恵林寺 | |
ちどり湖 | |
山梨市役所 | |
富士急上阿原車庫 | |
運行会社 | |
富士急バス |
土休日のみ1日1往復が運行される。東山梨地区と新宿を直行で結ぶ路線であり、上阿原を朝出発し、夜上阿原に戻ってくるダイヤ設定がされている。
身延線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
白根IC西 | |
南アルプス市役所 | |
鰍沢本町 | |
身延山 | |
身延 | |
運行会社 | |
京王バス 山梨交通 |
一般道区間の所要時間が長いのが特徴。白根ICから富士川町まで中部横断自動車道が並走しているが、距離や途中バス停の都合上経由しない。
中央市・南アルプス市線(南アルプスエコパークライナー)
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
山梨大学付属病院入口 | |
南アルプスIC | |
八田 | |
運行会社 | |
山梨交通 |
甲府南ICから一般道を走行し、中央市の山梨大学附属病院周辺や田富地区を経由して南アルプス市の八田までを結ぶ路線。
当初は山梨交通が1往復を単独で運行していたが、増便時に京王バスも参入。しかし2018年に京王バス担当便が身延線へコンバートされたため、山梨交通単独運行へ戻る。
諏訪・岡谷線
主要停車バス停 | ||
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バスタ新宿 | ||
中央道日野 | ||
上諏訪駅 | 岡谷駅 | 茅野駅 |
下諏訪 | 下諏訪 | |
岡谷駅 | 上諏訪駅 | |
運行会社 | ||
京王バス 山梨交通 アルピコ交通 JRバス関東 フジエクスプレス |
前述の通り開業まですったもんだあった路線。
特急あずさと競合するものの根強い人気を誇り、週末などを中心に続行便が出ることも多い。
伊那線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
中央道辰野 | |
伊那バスターミナル | |
駒ヶ根バスターミナル | |
伊那バス駒ヶ根車庫 | |
運行会社 | |
京王バス 伊那バス 信南交通 フジエクスプレス 山梨交通 |
こちらも開業まですったもんだあった路線。
朝夕のみ超特急便が存在し、駒ヶ根方面行は中央道日野でのみ乗車扱いを行い、中央道辰野以降の各停留所で降車扱いを実施。新宿行は中央道辰野までの各停留所で乗車扱いを行い、降車扱いは中央道日野と終点新宿でのみ行う。
終点が営業エリアではない山梨交通が伊那線の運行に参入しているのは、途中で自分たちのエリアを通過しているんだから伊那線の運行に参入して当然という理由から。
なお、京王電鉄バス担当便が京王バス東に移管されるまで京王電鉄バス運行便は京王バス東の営業係(運転士)が乗務していた。後に電鉄バス担当便はバス東へと移管され、地域子会社合併に伴う社名変更を経て今に至る。
飯田線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
中央道辰野 | |
中央道駒ヶ根インター | |
飯田駅前 | |
飯田商工会館 | |
運行会社 | |
京王バス アルピコ交通諏訪支社 伊那バス 信南交通 |
これも開業まですったもんだあった路線。
伊那線同様朝夕のみ超特急便が存在する。京王電鉄バス担当便が京王バス東に移管されるまでこちらも京王電鉄バス運行便は京王バス東の営業係(運転士)が乗務していた。以前は昼神温泉まで運行されていたが2009年に廃止された。
アルピコ交通諏訪支社(諏訪バス)が運行に関与しているのは乗降エリアの中の中央道辰野が諏訪バスのエリアで、岡谷から川岸を経由して辰野までを結ぶ路線が存在していたことによる。
立川飯田線
主要停車バス停 | |
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昭島駅南口 | |
立川駅南口 | |
中央道辰野 | |
中央道駒ヶ根インター | |
飯田駅前 | |
運行会社 | |
立川バス 京王バス 伊那バス |
運行会社によって東京側の発着地が異なり、立川バスと伊那バス担当便は昭島駅、京王バス担当便は立川駅南口がそれぞれ発着地点となる。
松本線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
長野道みどり湖 | |
松本バスターミナル | |
運行会社 | |
京王バス アルピコ交通 |
中央高速バスで唯一中央自動車道上で乗降扱いを行わない路線だったが、2007年6月より中央道日野に停車するようになった。
諏訪・岡谷線同様特急スーパーあずさ・あずさと競合関係にある。
白馬線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
信濃大町駅前 | |
白馬八方 | 大町温泉郷 |
栂池高原 | 扇沢 |
運行会社 | |
京王バス アルピコ交通 |
夏と冬のみ新宿発の夜行便が増便される。夜行便は途中乗務員の仮眠休憩が行われる。
木曽福島線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
塩尻駅東入口 | |
漆の里平沢 | |
木曽福島駅前 | |
運行会社 | |
京王バス おんたけ交通 |
飛騨高山線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | |
平湯温泉 | |
丹生川 | |
高山濃飛バスセンター | |
飛騨古川駅前 | |
運行会社 | |
京王バス 濃飛乗合自動車 |
夏のみ夜行便が増便される。1往復が飛騨古川駅前まで運行されており、古川駅前始発便は高山で他の高速バスへ乗り換える場合に限り、古川駅前から高山までの利用ができる。
名古屋線
主要停車バス停 | |
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バスタ新宿 | |
中央道日野 | 聖蹟桜ヶ丘駅 |
中津川 | |
桃花台 | |
栄(オアシス21) | |
名鉄バスセンター | |
運行会社 | |
京王バス 名鉄バス |
名鉄バスでは「中央道高速バス新宿線」と案内しているが、同じ路線のことである。
昼行便と夜行便の設定があり、合計4往復が毎日運行されている。
車両概説
原則としてどの社もトイレ付きのハイデッカー車両を使用する。ただし車両受給の関係で続行便・臨時便はトイレ無しの車両が配車される場合もある他、富士五湖線は2020年より一部便を2階建てバスで運行している。
所定の担当会社が1号車、続行便は別の会社が出す「2社共演」もよく見られる。トイレ無しの観光バスが駆り出されることも多客時には見られ、特にアルピコ交通グループ・信南交通では予約段階で満席になれば片道が回送になろうとも続行便を出すこともある。片道が回送になるのは運転士1人乗務の場合、往復営業運転にすることが乗務時間制限の関係から不可能なため。
京王が続行便を出せない場合、系列の西東京バスに続行便の運行を委託することもある。
一部路線では3列独立シートのSクラスシートと4列シートの合造車が使われることもあり、時刻表で識別可能。4列シートもかつては補助席付だったが現在は補助席をなくし、その分正座席の幅を広げたゆったり4列シートが採用されている。車内トイレも車体最後部のスペースを思う存分使い、内部での着替えや化粧直しなどが出来るようになっているパウダールーム仕様車が存在する。
ワンロマ
かつて京王と富士急が富士五湖線の増発用に投入していた車両。平日は一般路線バスで運用し、休日は高速線の増発に使うというある種両極端な運用を実現させていた。
車内はリクライニングシートかハイバックシートが並び、ドア配置は一般車と同じ前中ではあるものの、高速運用時は中ドアを締め切り扱いにして荷物置き場としていた。
ただエンジン出力は一般車より強力ではあるが本来の高速車よりは弱く、ハイデッカーに対して床の低いスタンダードデッカーなど接客設備面で物足りない部分も多く、高速運用からは早々に撤退。高速撤退後、京王は契約輸送、富士急は観光地の一般路線で使用していた。
関連動画
関連項目
外部リンク
- ハイウェイバスドットコム - 2000年に京王電鉄が開設。中央高速バス予約サイトとしてスタートした。
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