中山忠能単語

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中山忠能とは、江戸時代後期の卿である。

概要

文化6年(1809年)、中山忠頼の子に生まれる。忠の次女が宮(明治天皇)を生んでいるため、明治天皇の外祖にあたる。

安政5年(1858年)3月12日岩倉具視大原重徳らの計画した条約勅許反対運動(八十八卿列参事件)に参加。八十八卿の筆頭として、関白九条尚忠による条約調印の委任を命じる勅答案の作要文を作成した。

安政の大後は岩倉と共同で和宮降に関わり、万延元年(1860年)に和宮御用掛に就任。

文久元年(1861年)10月、和宮東下に供奉。

文久3年(1863年)1月、和宮降について尊攘から糾弾を受けたため辞職。

元治元年(1864年)7月、禁門の変にて長州に与したため孝明天皇の勅勘を受け出仕を禁じられる。

慶応3年(1867年)3月孝明天皇崩御に伴う大赦によって処分を解除される。岩倉正親町三条実愛中御門経之と共に王政復古を画策して「討幕の密勅」作成に関わる。12月9日王政復古により新政府が発足すると議定に就任。弼、官知事などを歴任した。

明治2年(1869年)9月、賞典として永世1500石を授録。

明治4年(1870年)、麝香間に

明治7年(1874年)、族会館創設に携わる。以後は明宮(大正天皇)の御用掛などを務めた。

明治21年(1888年)6月12日薨去。享年80

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