- プロ野球選手一覧 > 中島宏之
中島宏之(なかじま ひろゆき、1982年7月31日-)とは、兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手(内野手)である。現在は中日ドラゴンズに所属。
本名は中島裕之(読みは同じ)。
概要
中日ドラゴンズ #9 | |
---|---|
中島宏之 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県伊舟市 |
生年月日 | 1982年7月31日 |
身長 体重 |
180cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 遊撃手、三塁手、 一塁手 |
プロ入り | 2000年ドラフト5位 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2008年 |
WBC | 2009年 |
プロ野球選手テンプレート |
愛称は「ナカジ」。
伊丹北高校では1年からレギュラーに定着。3年夏には1番投手として出場したが、兵庫大会4回戦で敗退。甲子園出場はなかった。その後ドラフト5位で西武ライオンズへ入団。背番号は56。野球では無名の公立校からの入団だった。
西武時代
2004年(4年目)、背番号を3に変更。FAでメジャー移籍した松井稼頭央の代役として高卒4年目の弱冠21歳にして常勝ライオンズのショートに抜擢される。これには土井正博コーチが「今は迷惑をかけているがいつか恩返しできる時が来るから我慢して使ってほしい」と監督に懇願した背景もあったという。
いきなりの一軍レギュラーはキツいだろうと思われていたがフルイニング出場し打率.287、27本塁打、90打点、18盗塁と松井の抜けた穴を見事に埋め、リーグ優勝と日本一に貢献した。
2005年は前年の成績を下回り、ショートとしてリーグ最多の10失策を記録した。
2006年は105試合に出場し打率3割をマークしたが、リーグワーストの16エラーを喫した。
2007年は打率.300、12本塁打、74打点を記録したがチームはBクラスに低迷した。この年をもって育ての親だった土井正博が退任し、「もう教えることはない」と言い残して最後の試合で泣いた。
2008年は打率.331で首位打者に僅か7毛差で2位ながら四死球67を選び最高出塁率のタイトルを獲得。守備も向上し、ゴールデングラブ賞を初受賞。
2009年は第2回WBC日本代表に選出され、チームトップの打率.364、出塁率.516、7打点を記録し、二連覇に貢献。
2010年はチームリーダーとしてチームを牽引したが、リーグ優勝に僅かに届かなかった。
2011年は後半戦からキャプテンに任命される。統一球に苦しみ、6年ぶりに打率が3割を下回ったが、シーズン100打点をマークした。
オフにポスティングシステムでのMLB挑戦を表明し、ニューヨーク・ヤンキースが交渉権を獲得したが、契約合意に至らず残留。ユニフォームに寄せ書きを書かれ、胴上げまでされて残留となったため、「おかえりくん」とネタにされることに。
2012年6月には、11年目にして初の月間MVPを獲得。首位打者を狙っていたが、腰の状態が悪化した事から試合に出場できず、角中勝也に首位打者の座を譲った。オフ、FA宣言して再びMLB挑戦を表明し、オークランド・アスレチックスと2年契約で合意した。背番号は3。会見でGMビリー・ビーンのジョークを飛ばす。
MLB挑戦
2013年、オープン戦で打撃不振に加え天然芝による守備不振に陥り、さらに左太ももを負傷し開幕を故障者リスト(DL)で迎える。5月3日マイナーリーグAAA級サクラメント・リバーキャッツに出場するも痛みが再発。23日に25人枠除外。その後はAAA級で調整を続けていたが、8月16日には40人枠から除外。
2014年シーズン開幕前に40人枠入り。6日後に40人枠除外。その後AAA級でも打てず、AA級のミッドランド・ロックハウンズに降格。しかもプレーオフに左手首を骨折。獲得したビリー・ビーンからボロクソに言われつつ、こうして中島のアメリカ生活は幕を閉じた。12月5日にオリックス・バファローズに入団した。背番号は1。
オリックス時代
2015年は開幕を4番一塁手で迎える。4月1日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡 ヤフオクドーム)で移籍後初ホームランを放ったが、4月22日に右太腿肉離れで二軍に降格した。二軍での調整が1試合しかなかったまま5月8日に一軍に昇格したが、今度は5月26日の横浜遠征の際にギックリ腰を発症し、二度目の二軍降格。6月8日に一軍に復帰し、6月11日の東京ヤクルトスワローズ戦でようやく本拠地初ホームランを打った。9月22日の西武戦でホームランを記録し、これにより全球団から本塁打を達成した。最終的に117試合の出場で打率.240、10本塁打、46打点に終わり、通算打率も3割を切った。オフには登録名を「中島宏之」に変更することを発表した。
2016年は安達了一が潰瘍性大腸炎にかかったため、西武時代以来の遊撃手で開幕を迎えるが、この年も故障に苦しむ。5月24日に戦線復帰し、5月28日の西武戦で通算1500本安打を達成すると、6月5日に東京ヤクルトスワローズ戦でようやくホームランを放った。その後二軍調整を経て三塁手のレギュラーに定着。8月に打率.330をマークするなど打撃が復調した。
2017年は開幕を一軍で迎え、指名打者で出場していたが、クリス・マレーロが入団してからは代打で出場することも多くなる。7月9日のロッテ戦前の練習中に鉄パイプが落下し右腰から首の辺りに直撃。病院で診断を受けたが幸い打撲で済んだ。7月28日の楽天戦で6年ぶりの満塁ホームランを記録。8月は月間打率.342、4本塁打、17打点をマークした。鉄パイプによるトラブルがあったものの、移籍後初めて1年間一軍に帯同した。オフにオリックスと契約を延長した。
2018年は代打のため出場機会を得られず、6月末に左太もも裏を負傷して戦線離脱し、8月に復帰して以降は5番での出場が多くなる。9月1日の西武戦でプロ入り初のサヨナラホームランを記録した。77試合の出場で打率.289、5本塁打、34打点に留まったが、2度のサヨナラ打を記録する勝負強さを発揮した。オフに制限を超える減棒を断って退団し、自由契約となった。
巨人時代
2018年11月22日に読売ジャイアンツへの入団が発表された。背番号は5。
2019年は開幕を一軍で迎えたが、打率.171と結果を残せず、5月31日に二軍に降格。6月19日に一軍に復帰すると、その日のオリックス戦では代打で移籍後初ホームランを記録した。2003年8月11日の大阪近鉄バファローズ戦以来16年ぶりの代打本塁打で、福留孝介に並ぶ最長ブランクとなった。43試合の出場で打率.148、1本塁打、5打点に留まった。
2020年はこの年からコーチに就任した石井琢朗と共に打撃フォームを改良し、オープン戦とシーズン開幕前の練習試合で結果を残し、開幕を一塁手のスタメンで迎えた。8月14日の中日ドラゴンズ戦で通算200本塁打を達成。楽天からトレードで移籍してきたゼラス・ウィーラーと併用されながら100試合に出場。打率.297、7本塁打、29打点と復活を果たした。
日本シリーズでは巨人は2年連続で一つも勝てなかったが、初戦から3戦連続で死球を受け、日本シリーズタイ記録となる3死球を記録した。第4戦では2安打と気を吐いた。
2021年は4月上旬に新型コロナウイルスの陽性反応を受けて3週間離脱する。中田翔の移籍を受けて先発出場が減ったが、得点圏打率.385と勝負強い打撃を魅せた。81試合の出場で打率.271、6本塁打、26打点を記録した。
2022年は中田翔が一塁のレギュラーに完全に定着したことで代打での出場となる。4月27日の横浜DeNAベイスターズ戦で満塁ホームランを記録したが、この年のホームランはこの1本だけだった。62試合の出場で打率.242、1本塁打、20打点を記録し、通算2000本安打まで残り77本、通算1000打点まで6打点とした。
2023年はキャンプの試合で死球を右手に受け、右母指末節骨を骨折。二軍調整となり、7月8日に一軍に昇格した。8試合の出場に留まり、戦力外通告を受けた。
中日時代
2023年11月29日に中日ドラゴンズに入団した。背番号は9。
その他
- 高校時代、打撃練習の時に打球が左翼後方のテニスコートやプールに飛び込むことが多かったらしく、監督に「危ないから右に打て」と指示されて右方向へのバッティングに取り組んだエピソードは度々スポーツ中継で紹介される。
- かつて長嶋茂雄から打撃指導を受けたことがあり、他の選手が?を浮かべる中、「長嶋さんの理論が分かった」と述べていた。
- シーズンオフには同僚の外人選手の出身地を一人旅することもあった(2008年ベネズエラ、2009年プエルトリコ)。
- 西武時代の選手登場テーマ曲は一部例外を除き2008年からGreeeeN『キセキ』。サビに合わせファンも一体化、テーマ曲が流れ終わると応援席からのナカジコールが特に大きくなっていた。
- 西武時代はファンから愛情を含めて一部からやらかし守備とも呼ばれるていたが、2008年にゴールデングラブ賞を受賞。2010年には守備率リーグ2位だった。2015年からは一塁手を守っている。
- 死球を受けると相手を睨みつけ、乱闘に発展することが多い。西武時代はキレると止められない武闘派だったと後輩に述べられていた。日本球界に復帰した2015年には元チームメイトの牧田和久に左腰に死球を受け、一触即発の展開となる。しかし死球を受けた本人は「怒るのは演技で本気で怒っているわけではない。味方に対して内角を投げにくくするのが狙い」とコメント。その後駿太は「中島さんの姿を見て気持ちが入った」としてタイムリーを記録し勝利している。
- 夏場に打撃の調子を上げてくる。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#13 | 8154 | |
オリックス | 応援歌のピコカキコ一覧#1417 | 14411 | |
巨人 | セントラル・リーグの応援歌のピコカキコ一覧#111 | 17691 | |
中日 | セントラル・リーグの応援歌のピコカキコ一覧#201 | 22338 |
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年 | 西武 | 4 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .143 | .143 |
2003年 | 44 | 98 | 89 | 12 | 23 | 3 | 1 | 4 | 11 | 1 | 0 | 0 | 5 | 4 | 22 | 0 | .258 | .327 | |
2004年 | 133 | 559 | 502 | 70 | 144 | 22 | 3 | 27 | 90 | 18 | 3 | 4 | 39 | 11 | 108 | 7 | .287 | .349 | |
2005年 | 118 | 444 | 405 | 56 | 111 | 21 | 2 | 11 | 60 | 11 | 3 | 3 | 22 | 11 | 67 | 17 | .274 | .327 | |
2006年 | 105 | 459 | 412 | 76 | 126 | 22 | 1 | 16 | 63 | 14 | 0 | 4 | 30 | 13 | 66 | 12 | .306 | .368 | |
2007年 | 143 | 593 | 533 | 68 | 160 | 28 | 5 | 12 | 74 | 9 | 1 | 5 | 41 | 13 | 134 | 15 | .300 | .361 | |
2008年 | 124 | 556 | 486 | 75 | 161 | 32 | 0 | 21 | 81 | 25 | 0 | 3 | 55 | 12 | 96 | 15 | .331 | .410 | |
2009年 | 144 | 648 | 560 | 100 | 173 | 31 | 3 | 22 | 92 | 20 | 0 | 3 | 75 | 10 | 113 | 17 | .309 | .398 | |
2010年 | 130 | 579 | 503 | 80 | 158 | 33 | 3 | 20 | 93 | 15 | 0 | 11 | 52 | 13 | 97 | 20 | .314 | .385 | |
2011年 | 144 | 633 | 566 | 82 | 168 | 27 | 1 | 16 | 100 | 21 | 0 | 11 | 44 | 12 | 93 | 11 | .297 | .354 | |
2012年 | 136 | 567 | 499 | 69 | 155 | 29 | 1 | 13 | 74 | 7 | 1 | 6 | 52 | 9 | 76 | 10 | .311 | .382 | |
2015年 | オリックス | 117 | 483 | 417 | 43 | 100 | 10 | 0 | 10 | 46 | 1 | 0 | 1 | 53 | 12 | 93 | 10 | .240 | .342 |
2016年 | 96 | 347 | 314 | 24 | 91 | 23 | 0 | 8 | 47 | 1 | 0 | 4 | 26 | 3 | 54 | 7 | .290 | .346 | |
2017年 | 124 | 489 | 431 | 36 | 123 | 19 | 0 | 9 | 49 | 0 | 0 | 5 | 46 | 7 | 93 | 11 | .285 | .360 | |
2018年 | 77 | 251 | 225 | 13 | 65 | 7 | 0 | 5 | 34 | 0 | 0 | 1 | 21 | 3 | 38 | 8 | .289 | .356 | |
2019年 | 巨人 | 43 | 65 | 54 | 5 | 8 | 4 | 0 | 1 | 5 | 1 | 0 | 1 | 9 | 1 | 21 | 1 | .148 | .277 |
2020年 | 100 | 312 | 279 | 19 | 83 | 13 | 0 | 7 | 29 | 0 | 0 | 1 | 31 | 1 | 59 | 11 | .297 | .369 | |
2021年 | 81 | 195 | 181 | 11 | 49 | 10 | 0 | 6 | 26 | 0 | 1 | 1 | 9 | 3 | 35 | 9 | .271 | .314 | |
2022年 | 62 | 111 | 99 | 5 | 24 | 6 | 0 | 1 | 20 | 0 | 0 | 1 | 10 | 1 | 24 | 5 | .242 | .315 | |
2023年 | 8 | 19 | 18 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | .278 | .316 | |
NPB:20年 | 1933 | 7415 | 6580 | 845 | 1928 | 349 | 20 | 209 | 994 | 144 | 10 | 65 | 621 | 139 | 1296 | 188 | .293 | .363 |
国際大会での打撃成績
年度 | 代表 | 大会 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | 日本 | 五輪 | 9 | 33 | 27 | 2 | 8 | 4 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | 5 | 0 | .296 | .424 |
2009年 | WBC | 7 | 34 | 22 | 4 | 8 | 4 | 0 | 0 | 6 | 1 | 3 | 1 | 6 | 2 | 5 | 1 | .364 | .516 |
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
位 置 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年 | 西武 | 三塁手 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2003年 | 三塁手 | 20 | 8 | 20 | 3 | 2 | .903 | |
遊撃手 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | ||
2004年 | 遊撃手 | 133 | 235 | 363 | 17 | 73 | .972 | |
2005年 | 112 | 158 | 267 | 10 | 45 | .977 | ||
2006年 | 99 | 162 | 241 | 16 | 44 | .962 | ||
2007年 | 140 | 209 | 393 | 20 | 73 | .968 | ||
2008年 | 遊撃手 | 122 | 204 | 359 | 12 | 79 | .979 | |
三塁手 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||
2009年 | 遊撃手 | 144 | 212 | 446 | 12 | 89 | .982 | |
2010年 | 129 | 182 | 365 | 11 | 72 | .980 | ||
2011年 | 144 | 222 | 444 | 10 | 99 | .985 | ||
2012年 | 134 | 236 | 357 | 18 | 69 | .971 | ||
2015年 | オリックス | 三塁手 | 38 | 21 | 50 | 4 | 2 | .947 |
遊撃手 | 2 | 2 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | ||
一塁手 | 82 | 611 | 44 | 6 | 56 | .991 | ||
2016年 | 三塁手 | 40 | 14 | 47 | 7 | 0 | .897 | |
遊撃手 | 5 | 5 | 13 | 1 | 2 | .947 | ||
一塁手 | 9 | 83 | 6 | 0 | 3 | 1.000 | ||
2017年 | 三塁手 | 9 | 1 | 9 | 1 | 0 | .909 | |
一塁手 | 39 | 319 | 14 | 3 | 19 | .991 | ||
2018年 | 三塁手 | 34 | 202 | 5 | 1 | 14 | .995 | |
一塁手 | 13 | 7 | 14 | 0 | 2 | 1.000 | ||
2019年 | 巨人 | 三塁手 | 10 | 2 | 2 | 2 | 0 | .667 |
一塁手 | 13 | 61 | 1 | 1 | 3 | .984 | ||
2020年 | 88 | 589 | 29 | 3 | 47 | .995 | ||
2021年 | 51 | 300 | 19 | 0 | 1 | 1.000 | ||
2022年 | 23 | 167 | 11 | 1 | 16 | .994 | ||
2023年 | 一塁手 | 4 | 31 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | |
NPB | 一塁手 | 343 | 2363 | 131 | 15 | 160 | .994 | |
三塁手 | 135 | 54 | 144 | 17 | 6 | .964 | ||
遊撃手 | 1166 | 1829 | 3253 | 127 | 646 | .976 |
タイトル・表彰
タイトル | ||
---|---|---|
最高出塁率 | 2回 | 2008年、2009年 |
最多安打 | 1回 | 2009年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 4回 | 2008年、2009年、2011年、2012年 |
ゴールデングラブ賞 | 3回 | 2008年、2011年、2012年 |
月間MVP | 1回 | 2012年6月 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 8回 | 2004年、2006年-2012年 |
全球団から本塁打 | - | 2015年9月22日 |
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