「中川勝彦」(なかがわ・かつひこ 1962.7.20 ~ 1994.9.17)とは、1980年代に活躍した日本のビジュアル系グラムロックアーティストの先駆け的ミュージシャンであり、娘に「ゲゲゲの鬼太郎」を買い与える等とある方面の英才教育を施した筋金入りのイケメンOTAKU・俳優・声優である。
概要
慶応義塾高校からバンド活動を始め、高校三年時に出場したNHK「ヤングミュージックフェスティバル」をきっかけにデビューし、グラムロックスタイルのビジュアル系アーティストの先駆者として本田恭章と並ぶ存在とされた他、「ねらわれた学園」や「転校生」といった映画に俳優として出演し、年末時代劇「白虎隊」では沖田総司を演じてその端正な顔立ちから沖田ファンから好評を得た。
貴公子と言う表現がぴったりくるイケメンぶりとは裏腹に気さくで茶目っ気のある性格で、ラジオでは下ネタ全開ながらも真面目に語る点から関係者やファンからは好評を受け、MBS「ヤングタウン」の共演者だった北野誠や兵藤ゆきとは、当時は珍しいできちゃった結婚を相談する程の親友同士な間柄だった。
※NHKのラジオで共演していた桑田靖子からは「お兄ちゃん」として慕われていた。
しかし、30歳になったばかりの1992年9月に急性骨髄性白血病を発症し、闘病生活の後に一旦は回復して復帰したものの、1994年8月に白血病を再発させ、1994年9月17日、愛する妻とまだ幼い我が子(しようこ。後の翔子)を残してこの世を去り、その早世を惜しまれた。
ミュージシャン・中川勝彦
ミュージシャンとしては、当初、和製デビッド・ボウィの様な白い肌に薄化粧を施して口紅をひく等、華麗且つ端正な顔立ちによる中性的な面が、同じころに活動していたビジュアル系アーティスト本田恭章に引けをとらないと言われていたが、次第に化粧は抑えられ、素のイケメンぶりをクローズアップしていくようになった。
※80年代当時は、肩幅の広いジャケットがもてはやされた為か、ライブ映像ではアスペクト比がおかしいのではと思えるほど肩幅が広く見えることがある。
外見ばかりではなく、延びのある声から力強さと妖しさを見せるヴォーカリストとしても評価が高く、デビュー時には、ムーンライダースから楽曲の提供や演奏参加などのサポートを得、「Please Understand Me」を筆頭に「クール・ロマンティック」「してみたい」等を発表し、Charとは「MAJI-MAGIC」と言うユニットを結成して活動し、中川勝彦本人の手による楽曲も発表している。
※B'zの松本孝弘は、中川勝彦のバックバンドのギタリストを務めていたことがある。
俳優・中川勝彦
慶應義塾大学に進学後(後に中退)、俳優としての活動のスタートさせ、「転校生」や「狙われた学園」といった映画に出演し、「海峡」では、高倉健の息子役を務めた。
※「ねらわれた学園」では、主演の薬師丸ひろ子の相手役の最終選考まで残っていた。
TVドラマ版「時をかける少女」や、年末時代劇「白虎隊」等のTVドラマにも出演し、特に「白虎隊」で演じた沖田総司は、史実の本人の顔が吹き飛ぶほどの美男子ぶりに多くの沖田ファンの理想像として残ることとなった。
声優・中川勝彦
声優としては、サンライズ制作のスラップスティックロボットアニメ「超力ロボ ガラット」で主役のマイケル役を好演した。
中川勝彦自身は、イケメンな外見とは裏腹に実の娘から「怪獣オタク」と言われるほどのマニアでもあり、幼少時の娘に「ゲゲゲの鬼太郎」を買い与えて英才教育を施していたらしい。
娘・中川翔子
中川勝彦は、当時としては珍しい「できちゃった結婚」であり、結婚して子供もいる事を長らく隠しとおしていた為、娘の「中川翔子」がタレントとして活動し始めた際に、彼女の来歴を調べて中川勝彦が結婚していた事を知った人も多かったらしい。
外では、ビジュアル系アーティストやイケメン俳優そして下ネタトーク有りなタレントとして活動していた中川勝彦だったが、家では、怪獣映画や漫画をこよなく愛する変な親父であった為、娘の中川翔子もその英才教育により特撮ファンになった。
白血病にかかると、以前から制作していた貼り絵をつかった絵本「未知の記憶 Unknown Memory」を、筋力の衰えと戦いながら完成させ、「自由な好きなことをやれ」と言うメッセージを娘に残した。
そして、娘の中川翔子が9歳の誕生日を迎えた5月5日に、娘が好きな猫の絵を描いたバースデーカードを自作し、
鳥が空を恋ひ 魚が海を慕うように 私はあなたを 愛するのでしょう
と言うメッセージを添えて最後のプレゼントとして渡し、同年の9月17日に32歳で早世した。
後に、いろいろあって中川翔子はバースデーカードを捨ててしまい、
白血病で力が入らなかったのに一生懸命書いてくれたんです。
猫が好きだったので、猫のイラストがかいてあるんです。それなのに捨ててしまった。
と後悔していた事を24時間TVで吐露した際に、回収していた母親によりバースデーカードが送られ涙を流した。
そして2007年、中川翔子が父・中川勝彦と同じ渋谷C.C.Lemonホール(旧:渋谷公会堂)にて初めてのコンサートを開いた際には、父・中川勝彦の席を用意し、墓前にコンサートのチケットを供え、コンサートでは、中川翔子たっての希望で、
私の大好きなパパの曲だよ
そして2011年
中川勝彦の絵本「未知の記憶 Unknown Memory」は、90年代に2度刊行されたことはあったものの一般販売はされず、入手手段も読む機会もほぼ失われた状況となっていた。時が過ぎて2002年2月22日、復刊ドットコムにて絵本の復刊リクエストがスタートした。
『未知の記憶(Unknown Memory)(中川勝彦)』 復刊リクエスト投票
9年程かけて300評近い復刊希望が集められた結果、2011年1月24日に復刊ドットコムよりソフトカバー版として発売される事が決定し、絵本のみのスタンダード・エディションのほかに、生前の中川勝彦の肉声をあつめた朗読CD付きのスペシャル・エディションが2011年3月中旬に発売される事がリリースされた。
広大なアフリカを舞台に、ダチョウのニポが初めて大海に行き着き、世界のありかたを知るまでの幻想的な旅------。
中川氏が病床で完成させた、この、こころ優しい愛の絵本は、当時幼かった中川翔子さんも制作を手伝い、中川父娘の最初で最後のコラボレーション作品としても、たいへん貴重な一冊です。
中川勝彦氏自身による全本文の朗読CD付「スペシャル・エディション」と、書籍のみの「スタンダード・エディション」の2種類を同時発売。
イマジネーション溢れる物語に加えて、貴重なオリジナル原画から今回新たにおこした“貼り絵”の鮮烈な色彩美は、まさに圧巻。
本書は、この地球に生きるすべての人々に贈りたい、素晴らしい生命への讃歌です。
父が描き紡いだ“生きた証”
言葉に、空の色に、伝えたかった想いがあふれています。
またこの絵本がたくさんの方に見てもらえる機会ができて嬉しいです。
とのコメントを寄せた。
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