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中日ドラゴンズとは、セントラル・リーグ(セ・リーグ)に所属する日本のプロ野球球団である。
本拠地はナゴヤドーム。現在の監督は井上一樹(2025年~)。
概要
| セントラル・リーグ | |
|---|---|
| 中日ドラゴンズ | |
| 基本情報 | |
| 創設 | 1936年 |
| 本拠地 | ナゴヤドーム |
| 一般略称 | 中日 |
| アルファベット | D |
| 優勝回数 | |
| リーグ優勝 | 9回 |
| 日本一 | 2回 |
| アジアチャンピオン | 1回 |
| セ・パ交流戦 | 0回 |
| 永久欠番 | |
| 経歴 | |
| 球団組織 | |
| 運営母体 | 中日新聞社 |
| オーナー | 大島宇一郎 |
| 球団社長 | 加藤宏幸 |
| GM | -- |
| プロ野球球団テンプレート | |
セ・リーグの伝統的な球団の一つであり、また東海地方に本拠地を置く唯一の球団となっているため、熱心なファンが多い。
あまり知らない人もいるようだが、昔は打撃を重視した攻撃的チームであった。現在でも”強竜打線”と呼ばれるのはその名残である。
のちには投手力を武器に、2000年代を中心に黄金期を形成した。
球団史
戦前の1936年1月5日に発足した名古屋軍をルーツとする。現存する球団としては、読売ジャイアンツ、阪神タイガースに次ぐ3番目に長い歴史を持つ。
親会社の新愛知新聞社は1942年に新聞統廃合令でライバル関係にあった名古屋新聞社と合併し、中部日本新聞社(現在の中日新聞社)となった。名古屋新聞社はプロ野球でも名古屋金鯱軍を経営してたが、名古屋金鯱軍は翼軍と合併して大洋軍となり、1943年には西日本鉄道に譲渡されるが(西鉄軍)、その年限りで解散するに至った。
一方の名古屋軍であったが、戦時体制で新聞社の営利事業兼営が認められなくなったため、1943年シーズンは創業家の大島家の個人経営で何とか乗り切った。それにも限界があり、名古屋軍理事の赤嶺昌志が1944年2月5日に球団を理研工業の傘下に入れ、球団名を産業軍に改称した。
戦後にプロ野球が再開されるが、日本野球連盟は「連盟が活動を停止した1944年まで存続していなかった球団は復帰を認めない」として、西鉄軍などの復帰を突っぱねた。名古屋軍は産業軍として活動を続けていたため復帰が認められ、中部日本新聞社が経営に復帰して球団名も中部日本(中部)に改められた。1947年の開幕前にニックネーム導入の申し合わせが行われ、中部日本ドラゴンズとなった。
ところがこの年のオフに、球団を大激震が襲う。経営方針を巡って対立した赤嶺が解雇されるや、これに憤った赤嶺を慕うチームの主力選手(選手26名の約半数近い12選手)が相次いで退団してしまうのである。1948年よりチーム名は中日ドラゴンズとなるが、戦力が大幅に低下したチームは最下位に転落した。オフに本拠地となる木造の中日スタヂアム(中日球場)が完成し、翌年から本拠地となった。
1950年よりプロ野球は2リーグ制に移行し、中日ドラゴンズはセントラル・リーグに所属することとなった。
1951年より名古屋鉄道(名鉄)も経営に参画することとなり、球団名も名古屋ドラゴンズに改められた。しかし、1953年をもって撤退したため、1954年より再び中日ドラゴンズに戻されて、今に至っている。
1951年8月19日の巨人戦で火災が発生し、球場が全焼してしまう。オフに鉄筋コンクリート造で再建工事が行われ、翌1952年4月5日の巨人戦がこけら落としとなった。1973年に運営会社が倒産し、そこから紆余曲折を経て、1976年より名称もナゴヤ球場に改められた(→中日スタヂアム事件)。
1954年に初のセ・リーグ優勝を果たす。日本シリーズでも西鉄ライオンズを下し、初の日本一となった。2022年現在に至るまで、実は「リーグ優勝した上で日本一」になったのはこの年以外にない(2度目の日本一となった2007年はシーズン2位)。その後もAクラスを守り続けるが、1960年に初のBクラスとなる。
1958年のオフに、球団史上初(にして、2022年時点で最後)の永久欠番が誕生する。服部受弘の10と、西沢道夫の15である。ただ、当時のことをよく知る杉下茂によると「30歳代以上の選手の一掃を決めたフロントが、“永久欠番にしてやるから引退しろ”と迫った」という、トホホな理由が真相のようである。
特記事項
- 1996年まではナゴヤ球場が本拠地であったが、1997年のナゴヤドーム完成と共に本拠地を変えたため、現在のナゴヤ球場は二軍本拠地となっている。
- 球団マスコットのドアラはニコニコ動画では大人気。
- 必勝祈願アイテムとして「あっ!と驚きドアラ耳!」がある。応援時に振りかざすと中日に勝利をもたらすという噂→「噂の件検証動画」
- 放出された選手が他球団で活躍することが多く、一時期は「信頼と実績の中日ブランド」とか言われていた(最近はそうでもない)。特に山崎武司、鉄平、小山伸一郎、川岸強など楽天がその恩恵に預かっている。
- 2004年から2011年まで、落合博満監督のもと優勝4回、日本一1回の黄金時代を築く。2007年から採用されたクライマックスシリーズでは2012年まで全リーグ中唯一(ホーム、ビジター共)6年連続ファイナル(2nd)ステージ進出を果たしていたが、2013年は12年振りにBクラスに転落しCS出場もなくなったことでこれまでの連続出場記録も6年で途絶えた。
- 2013年にBクラスに転落して以降はフロントの迷走などで低迷が続いており、Bクラスが定位置になっている。
- 1988年のリーグ優勝の際、昭和天皇の容体悪化を考慮しビールかけを自粛し、祝勝会のみを行った。
- 1999年にリーグ優勝では、優勝を決めた9月30日の午前に「東海村JCO臨界事故」が発生。国内初となる被曝による死者を出し、周辺住民を避難させるなど大事件であった。そのため夜の中日のテレビ中継でもニュース速報のテロップが随時出されるなどした。翌日の新聞一面がすべて東海村の事故の記事で占める中、中日新聞はドラゴンズ優勝の記事を一面に掲載した。
関係者
首脳陣
※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。
| 一軍 | 二軍 |
|---|---|
| 巡回・その他 | |
所属選手
※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示
があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
| 支配下選手 | |||
|---|---|---|---|
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
|
|||
| 育成選手 | |||
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
記事のある球団スタッフ
- 石森大誠(広報部(チーム付))
- 岩田慎司(ゲーム戦略アナリスト)
- 川井雄太(二軍マネージャー)
- (103)杉山翔大(ブルペン捕手)
- (123)鈴木翔太(打撃投手兼ビデオ)
- 鈴木義広(チーフアナリスト兼コーディネーター)
- (112)高島祥平(打撃投手)
- 堂上剛裕(営業本部イベント推進部)
- 西清孝(一軍用具)
- 平沼定晴(選手寮館長)
スカウト
記事のあるOB・関係者
戦績
1961年は新人の権藤博の奮闘で巨人に追いすがった。毎日のようにマウンドに上がり続けるそのあまりの酷使っぷりから「権藤、権藤、雨、権藤」という流行語まで生まれた。
1964年、1968年と最下位になり、1968年からは3年連続でBクラスに沈む低迷期に入るが、1974年には巨人のV10を阻み、ついに20年ぶり2度目のセ・リーグ優勝を果たした。だが、日本シリーズではロッテオリオンズに敗れた。
1976年のオフに太平洋クラブライオンズとの間でトレードが成立するも、藤波行雄が移籍を拒否したことで大騒動が起きる。藤波は1974年の新人王であり、球団にはファンからの抗議の電話が殺到し、トレード撤回の署名運動まで始まる始末であった。結局フロントが及び腰となり、このトレードは不成立に終わった。
1980年代
1982年に8年ぶり3度目のセ・リーグ優勝を果たす。勝ち星が全試合(130試合)の半分にも満たず、しかも2位の巨人を下回るという珍事であった。日本シリーズでは「石ころ事件」の影響もあって西武ライオンズに敗れた。
1986年は横浜大洋ホエールズと4位を競ったが、最終的に5位だった。途中に高木守道が監督代行を務める。後任には星野仙一が就任する。オフに、ロッテオリオンズとの間でトレードが成立し、落合博満を獲得する。中日からは牛島和彦牛島和彦、上川誠二、桑田茂、平沼定晴と4名を放出する大流血トレードだった。
1987年は星野仙一監督の方針でユニフォームが更新される。広島と2位争いを繰り広げて最終的に2位を確保したが、1位の巨人には8ゲーム差を付けられた。この年はリーグ1位の168本塁打を記録した。
1988年に6年ぶり4度目のセ・リーグ優勝を果たすが、日本シリーズでは再び西武ライオンズの前に敗れ去った。
1990年代
詳細
1990年はドラフト1位で獲得した与田剛が抑えで活躍し、新人王を受賞。4位に終わったが、リーグ1位の162本塁打を記録した。
1991年は前半戦は首位で折り返したが、9月に失速して2位。星野仙一が辞任し、後任監督に高木守道が就いた。
1994年10月8日、巨人と同率で最終戦を迎え、ナゴヤ球場で史上初の最終戦決戦が行われた(10.8決戦)。しかし力及ばず、中日は優勝を逃した。
1996年は星野仙一が監督に復帰。ナゴヤ球場最後の試合で巨人に敗れ、長嶋茂雄監督の胴上げを許した。最終的に巨人とは5ゲーム差の2位だった。山崎武司が最多本塁打、アロンゾ・パウエルが首位打者を獲得した。
1997年よりナゴヤドームが開業するが、広いドーム球場に対応出来ず、前年の2位から最下位に転落する。
1999年は開幕11連勝と好スタートを切り、一時は阪神に首位を譲ったが、突き放した後は独走態勢に入り、9月30日のヤクルト戦で11年ぶり5度目のセ・リーグ優勝を果たした。日本シリーズでは福岡ダイエーホークスと対戦したが、野口茂樹、井上一樹、関川浩一、福留孝介ら主力が軒並み不調に陥り、1勝4敗で敗れた。
2000年代
詳細
2001年(62勝74敗4分、5位) 監督:星野仙一
山崎武司が前年オフのフロントと対立から不振に陥り、また福留孝介も一向に成長の兆しを見せずチームは低迷、ついには前年引退したレオ・ゴメスを呼び戻すという異常事態となった。
投手陣は2位だった昨年よりむしろ状態が良く、野口茂樹が最優秀防御率に輝くなど明るい話題はあったものの、結局打撃不振が最後まで響いて4年ぶりのBクラス(5位)に終わった。1996年から采配を揮った星野仙一が勇退。オフには横浜の正捕手の谷繁元信をFAで獲得した。
2002年(69勝66敗5分、3位) 監督:山田久志
投手コーチだった山田久志が監督に昇格した1年目。佐々木恭介(ヨッシャー)打撃コーチの指導によりついに未完の大器福留孝介が覚醒し、首位打者に輝いた。立浪和義のサードコンバートにより荒木雅博がセカンドのレギュラーとなり、昨年ショートでレギュラーとなった井端弘和とのアライバコンビが確立した。
朝倉健太の急成長と川上憲伸の復調があったものの、前年の三本柱野口・山本昌・バンチが結果を残せず、Aクラスには復帰したが3位に終わった。
2003年(73勝66敗1分、2位) 監督:山田久志→佐々木恭介
一度中日と契約していたケビン・ミラーが来日を拒否し、ボストン・レッドソックスと契約。代わりにアレックス・オチュアを獲得する。不満分子化していた山崎武司を放出し、代わりにオリックスから獲得した平井正史の再生に成功した。しかし、ギャラードがシーズン途中に退団(横浜に移籍)するなどチーム内のギスギスは深刻なものとなり、ついにはシーズン終盤に山田監督が成績不振を理由に解任されるという事態にまで陥った。
ところが、佐々木コーチが代行監督に就任してからは急激にチーム状態が上向き、解任時点で5位だった順位が終わってみれば2位にまで持ち直した。
2004年(79勝56敗1分、優勝) 監督:落合博満
落合博満が監督に就任。「補強しなくても勝てる」と豪語しつつ、横浜を解雇されたドミンゴ・グスマンをこっそり獲得。就任1年目でリーグ優勝を果たすが、日本シリーズでは西武ライオンズに3勝4敗で敗れた。
2005年(79勝66敗1分、2位) 監督:落合博満
横浜からタイロン・ウッズを獲得。この年から導入されたセ・パ交流戦で苦戦し、最終的に阪神とは14.5ゲーム差の2位に終わる。
2006年(87勝54敗5分、優勝) 監督:落合博満
セ・リーグ5球団に勝ち越しての完全優勝。しかし日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズに1勝4敗で敗れた。
2007年(78勝64敗2分、2位、日本一) 監督:落合博満
シーズンを通して上位をキープし、巨人と阪神との三つ巴となる。レギュラーシーズンは2位に終わったが、クライマックスシリーズで阪神、巨人を無敗で制し、2年連続で日本シリーズ出場を決めた。
前年同様、日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズと対戦し、4勝1敗で53年ぶりの日本一に輝いた。「リーグ優勝をせずに日本シリーズを制した」初のチームとなった。
2008年(71勝68敗5分、3位) 監督:落合博満
前年度日本一となったドラゴンズは、MLBに移籍した福留孝介の代役としてFA宣言していた和田一浩を西武ライオンズから獲得。2008年はリーグ優勝、日本一の二つを期したシーズンとなった。
シーズン当初は防御率1点代の投手陣を擁して順調に勝ち星を重ねた。しかし野手・投手ともに故障者が続出。また主砲タイロン・ウッズが不振に陥り、序盤に積み重ねた勝ち越し数を取り崩す厳しい戦いを強いられる。
それでも決して低迷せず順位も上位をキープし続けたのは、持ち前の投手力に裏付けられた地力の強さをドラゴンズが有していたからに他ならない。それでも、北京オリンピックによる主力選手の離脱及びその影響はあまりに大きく、一時は四位転落、負け越しという事態に陥った。
だが終わってみれば順位は3位のAクラス。結局は阪神タイガースに大きく負け越したのが最後に響いた形になっただけで、その他巨人・広島・横浜には五分以上の戦いをしていたドラゴンズは二年連続のクライマックス・シリーズ進出を果たす。その後のクライマックスシリーズ・ファーストステージでは苦手阪神を、タイロン・ウッズが藤川球児から2点本塁打を放つなどして撃破する。
しかし、三年連続の日本シリーズ進出を目指したが、セカンドステージでは巨人相手に善戦するも敗退。中日ドラゴンズの2008年シーズンは課題を多く残して終結した。
シーズン終了後、エース川上憲伸がMLBアトランタ・ブレーブスへ、中村紀洋が東北楽天ゴールデンイーグルスへFA移籍、主砲タイロン・ウッズが退団。野球浪人中の河原純一、日本ハムを戦力外となった小山桂司、そして、“ウッズの後釜”としてドミニカからトニ・ブランコを獲得。これが、翌年予想だにしないことになる。
2009年(81勝62敗1分、2位) 監督:落合博満
シーズンオフには川上憲伸(MLB移籍)、T・ウッズ(解雇)、中村紀洋(FA移籍)と言った主力級の選手の離脱により、開幕前には”もしかしたら久しぶりのBクラス(2001年が最近)も有り得るかも”とも言われていた。そして、追い討ちをかけるかのように谷繁の開幕直後の1ヶ月の離脱があった。
だが、投手ではチェンや川井雄太、吉見一起、河原純一と言った選手の活躍、野手では藤井淳志が大ブレイクしたこともあり、5月の半ば頃までは勝率五割弱程度と頑張っていたほうである。
そして、5月半ば頃から丁度トニ・ブランコが絶好調となったこともあって、6月は13勝4敗、7月は17勝7敗と、すさまじい勝率をたたき出し、リーグ順位2位と大躍進。
8月、9月も大苦戦していたイメージは強かったものの(実際、ブランコなどは不調であった)結局は8月:15勝10敗、9月:12勝14敗とそれほど悪い成績ではなかったりする。
だが、結果的には首位巨人相手に8勝16敗と負け越したのが大きく響き、12ゲーム差の2位に終わり、CSでも第2ステージで1勝4敗と、巨人相手に苦戦した形であった。
また2009年シーズン終了をもって、ドラゴンズの一時代を築いた井上一樹、立浪和義の2選手がファンから惜しまれつつ引退した。
2010年代
詳細
2010年(79勝62敗3分、優勝) 監督:落合博満
昨年のトニ・ブランコに続き、助っ人外国人ディオニス・セサルを獲得。しかしネルソンが実弾所持により逮捕され出場停止処分、更に開幕直前に荒木雅博が故障で離脱、昨年ブレイクした藤井の出遅れなど、2年連続となる不安な幕開けとなった。
序盤は先発陣が不振だったが、和田一浩,森野将彦、中継ぎでは浅尾拓也,高橋聡文らが奮起し、そこそこ好調を維持していた。しかし5月以降は先発投手陣、外国人助っ人の不振、井端弘和の離脱が大きく響き、6月終了の時点で3位と苦戦を強いられたが、7月から風向きが変わった。
野手陣では若手の堂上直倫をはじめ、堂上剛裕、大島洋平、野本圭、岩崎達郎らが台頭。更に前半崩れかかっていた先発投手陣がついに復調し、7月16日から20日にかけてプロ野球新記録となる5試合連続完封勝利を記録。中継ぎ陣も前半同様に好調を維持し、お得意の「守り勝つ野球」を前面に出せる試合が増えていった。
8月に入ると、今度は中堅~ベテラン勢である荒木、小田幸平、谷繁元信、山本昌らが大奮起。上位2チームが夏バテで失速する中、中日のみ好調をキープし9月初旬には総力戦の末、遂に首位奪還に成功。 以降はそのまま首位を譲らず、一時期首位巨人につけられていた8ゲーム差をひっくり返す大逆転優勝を成し遂げた。
CSは初戦を勝ち抜いた巨人を相手に順調に勝ち星を重ね、4勝1敗(内、首位アドバンテージによる1勝)という安定した成績で勝利しCS制覇。
しかしこの勢いは日本シリーズまでは続かず、千葉ロッテには激闘の末2勝4敗1分で破れ、悲願である完全優勝(ペナント-日本シリーズ制覇)は夢と終わった。
チーム防御率は12球団トップの3.29、ホーム戦勝率7割5分という鉄壁な「守り」を誇った反面、チーム打率が11位の.259、アウェー戦の借金18、という貧弱な「攻め」が目立つ、非常に両極端なシーズンであった。
シーズン終了後、セサル,二軍監督川相昌弘が退団。後任に井上一樹が就任した。
2011年(75勝59敗10分、優勝) 監督:落合博満
詳細はプロ野球2011を参照
- 新外国人としてジョエル・グスマン、エンジェルベルト・ソト、横浜ベイスターズを戦力外になった佐伯貴弘を獲得。
- 首位のヤクルトが失速したことで追撃に入ったが、これを球団のフロントでが快く思わず、坂井球団社長が敗戦時にガッツポーズをしていたという目撃証言まで現れる。フロントの妨害の数々に選手たちが発憤し、首位に浮上した後は逃げ切り、10月18日に球団史上初のリーグ連覇を達成した。
- クライマックスシリーズファイナルシリーズでヤクルトを下し、日本シリーズでは福岡ソフトバンクホークスと対戦したが、第7戦で敗れ、2年連続で日本シリーズで敗れた。
- 就任8年で全てAクラス入り、リーグ優勝4回、日本シリーズ進出5回、日本一1回と中日の黄金期を築いた落合博満は、悲願の「リーグ優勝からの日本一」だけは成し遂げられなかった。
2012年(75勝53敗16分、2位) 監督:高木守道
詳細はプロ野球2012を参照
- 首脳陣が刷新され高木守道が監督に就任。山崎武司、川上憲伸がチームに復帰。
- 序盤は首位だったが、夏場になるとセ・パ交流戦で勢い付いた読売ジャイアンツに差を詰められ、6月29日から7月1日までの首位攻防戦で3連敗を喫して2位に転落。前年を上回る勝率.586を記録しながら、巨人の独走を止めることはできなかった。
- クライマックスシリーズではファーストステージは2勝1敗でヤクルトを退ける。
ファイナルステージでは3連勝し、下馬評を覆しこのまま突破かと思われたが、そこからベンチで監督とコーチによる内紛もあり追い詰められてから3連勝した巨人に及ばず、3勝4敗で日本シリーズ出場を逃した。 - 英智と小笠原孝が現役を引退した。
2013年(64勝77敗3分、4位) 監督:高木守道
詳細はプロ野球2013を参照
2014年(67勝73敗4分、4位) 監督:谷繁元信
詳細はプロ野球2014を参照
2015年(62勝77敗4分、5位) 監督:谷繁元信
詳細はプロ野球2015を参照
2016年(58勝82敗3分、6位) 監督:谷繁元信→森繁和
詳細はプロ野球2016を参照
2017年(59勝79敗5分、5位) 監督:森繁和
詳細はプロ野球2017を参照
2018年(63勝78敗2分、5位) 監督:森繁和
詳細はプロ野球2018を参照
2019年(68勝73敗2分、5位) 監督:与田剛
詳細はプロ野球2019を参照
2020年代
2020年(60勝55敗5分、3位) 監督:与田剛
詳細はプロ野球2020を参照
2021年(55勝71敗17分、5位) 監督:与田剛
詳細はプロ野球2021を参照
2022年(66勝76敗2分、6位) 監督:立浪和義
詳細はプロ野球2022を参照
- ジャリエル・ロドリゲスが最優秀中継ぎ投手、ライデル・マルティネスが最多セーブ投手、岡林勇希が最多安打のタイトルを獲得。
- 現役ドラフトでDeNAの細川成也を獲得。
2023年(56勝82敗5分、6位) 監督:立浪和義
詳細はプロ野球2023を参照
- 7月11日に球団通算9000本塁打、8月4日に球団通算5500勝を達成。
- 8月26日、大島洋平が2000本安打達成。
- 9月24日、ダヤン・ビシエドが球団史上初の外国人選手による通算1000本安打達成。
- オフに巨人を自由契約となった中島宏之と中田翔、ソフトバンクを自由契約となった上林誠知と契約。
2024年(60勝75敗8分、6位) 監督:立浪和義
詳細はプロ野球2024を参照
2025年(63勝78敗2分、4位) 監督:井上一樹
詳細はプロ野球2025を参照
2026年(??勝??敗?分、?位) 監督:井上一樹
詳細はプロ野球2026を参照
- この年から本拠地バンテリンドーム ナゴヤにホームランテラスが設置される。
年度別球団成績
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順位シーズン最高成績(チーム)シーズン最低成績(チーム) |
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関連項目
外部リンク
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