もしかしないだろうけど → 中村勝広
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中村勝(なかむら まさる、1991年12月11日-)とは、埼玉県出身のプロ野球選手(投手)である。現在はKAMIKAWA・士別サムライブレイズに所属。
概要
KAMIKAWA・士別サムライブレイズ #?? 投手兼任監督・GM |
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中村勝 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 埼玉県春日部市 |
生年月日 | 1991年12月11日 |
身長 体重 |
184cm 79kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2009年ドラフト1位 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
春日部共栄高校ではエースとして活躍、甲子園出場はならなかったが、その容貌と投球フォームから「埼玉のダルビッシュ」と呼ばれた。
2009年のドラフト会議で、そのダルビッシュ有のいる北海道日本ハムファイターズに菊池雄星のハズレ1位として指名され入団。背番号は36。
日本ハム時代
2010年、プロ初登板・初先発となった8月11日の千葉ロッテマリーンズ戦で5回1失点に抑えプロ初勝利。高卒ルーキーの初登板初先発初勝利は、チームではダルビッシュ以来だった。しかしその後は打ち込まれ、4試合で1勝2敗、防御率5.50の成績で終わる。
2011年は二軍で8勝、防御率2.59の好成績を残し、シーズンの終盤に2試合先発。そこそこ好投したが、援護が無く勝ち星はつかなかった。
2012年は二軍でも防御率5点台と結果を残せていなかったが、フレッシュオールスターでは2回5奪三振の好投で優秀選手賞を受賞。その後、チームの先発事情が火の車となったため8月に一軍昇格。好投しながら援護に恵まれなかったが、9月2日の福岡ソフトバンクホークス戦で「九州のダルビッシュ」こと武田翔太と投げ合い、7回1失点に抑え2年ぶりの白星を挙げた(武田のこの年唯一の黒星がこの試合である)。最終的に8試合に先発、2勝2敗、防御率1.79をマーク。この結果を買われ、日本シリーズでも第4戦に先発。1歳下の宮國椋丞(読売ジャイアンツ)と投げ合い、7回無失点の好投を見せた。
2013年はローテーションの一角として期待されたが、開幕から4連敗と精彩を欠き、4試合目のオリックス・バファローズ戦では先発して僅か6球で危険球退場となった(その後緊急登板した乾真大がとばっちり的に10失点の大炎上)。その後はリリーフで数試合投げたあと二軍落ち。7月以降は先発ローテーションの谷間で投げたが、シーズン初勝利は閉幕直前の9月末になった。最終的に13試合(先発8試合)で1勝4敗、防御率5.11に結果に終わる。
2014年は5月16日のロッテ戦でシーズン初勝利を挙げ、その後すぐの5月24日横浜DeNAベイスターズ戦でプロ入り初完封勝利を達成する。その後は一軍登録と抹消を繰り返しながらも先発投手としての存在感を増していき、9月16日の埼玉西武ライオンズ戦で敗戦投手になるまで7連勝無敗の記録を残す。最終的に先発18試合で8勝2敗(勝数は大谷翔平の11勝に次いでチーム2位、勝率は先発投手ではチーム1位)、防御率3.79と、前年度までとはうってかわって来年度以降の更なる活躍を期待させる結果を残した。
2015年は4月末に一軍昇格し2試合に先発したが、2試合とも炎上して二軍落ち。二軍では防御率2点台と結果を出して8月に一軍復帰、以降は閉幕までローテを守ったものの、10試合で2勝4敗、防御率4.17に終わった。
2016年は二軍では最多奪三振を獲得したが、慢性的な右肘痛もあって一軍では4月に2試合先発したのみで、5月以降は一軍に戻れずにシーズンを終えた。オフの契約更改では減額制限超えの50%ダウンを食らう。
2017年は6月1日の横浜DeNAベイスターズ戦で2年ぶりの白星を挙げるも、前年からの右肘痛もあり、7月に右肘のトミー・ジョン手術を受け、その後はリハビリに費やした。
2018年は8月にようやく二軍で実戦復帰したものの、一軍昇格は叶わずシーズンを終える。
2019年は7月9日のロッテ戦で先発として2年ぶりに一軍登板したが、2回6失点KOで黒星。一軍登板はこの1試合に終わり、10月1日に戦力外通告を受けた。現役続行を目指して12球団合同トライアウトにも参加したがオファーはなかった。
日本ハム退団後
オーストラリアに語学留学し、現地のクラブチームで野球を続けていたところ、そこでの活躍が認められ、2020年9月にオーストラリアン・ベースボールリーグのブリスベン・バンディッツと契約した。
2021年はメキシコに渡り、日本ハム時代の同僚であるルイス・メンドーサがGMを務めるグアダラハラ・マリアッチスと契約。メキシカンリーグで最多勝と最高勝率のタイトルを獲得する活躍を見せる。
オリックス時代
2022年2月18日にオリックス・バファローズの春季キャンプにテスト生として参加し、3月1日に育成選手として契約を結んだ。背番号は121。二軍で主に先発として13試合に登板、防御率3点台と一定の結果を残し、7月5日に支配下登録された。背番号68。3試合の登板で1敗、防御率8.57に終わり、戦力外通告を受けた。
HFL・士別時代
2022年12月15日に北海道フロンティアリーグのKAMIKAWA・士別サムライブレイズに入団した。選手だけではなく、監督とGMも兼任する。
プレースタイル・その他
いわゆる量産型ダルビッシュの一人で、フォームも顔立ちも非常によく似ているが、球速はそれほどでもなく、100km/h台の緩いカーブが武器。
2012年に日本シリーズ第4戦で好投した際、なんJにて「中村勝は決して球速が速いわけではないのになぜ抑えられるのか」という趣旨のスレッドが立ったが、そこにいわゆる「マグヌス効果」を何か盛大に誤解したとおぼしき「中村のストレートは加速している」という謎理論を展開する人物が登場。マグヌスニキと呼ばれた彼の謎理論と語録はなんJで大いにウケ、中村にもとばっちりで「マグヌス」「マグヌス中村」という別称がつくことになった。詳細は「マグヌス効果」の記事を参照。
成績
- (2022年終了時点)
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年 | 日本ハム | 4 | 4 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 18.0 | 10 | 14 | 11 | 11 | 5.50 |
2011年 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 11.0 | 4 | 7 | 3 | 3 | 2.45 | |
2012年 | 8 | 8 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 45.1 | 16 | 29 | 10 | 9 | 1.79 | |
2013年 | 13 | 8 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 44.0 | 25 | 18 | 25 | 25 | 5.11 | |
2014年 | 18 | 18 | 1 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | .800 | 97.1 | 48 | 43 | 43 | 41 | 3.79 | |
2015年 | 10 | 9 | 1 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | .333 | 49.2 | 33 | 26 | 23 | 23 | 4.17 | |
2016年 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 12.0 | 6 | 9 | 8 | 8 | 6.00 | |
2017年 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 10.0 | 9 | 4 | 5 | 5 | 4.50 | |
2019年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 2.0 | 4 | 0 | 6 | 6 | 27.00 | |
2022年 | オリックス | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 6.1 | 3 | 4 | 6 | 6 | 8.53 |
NPB:10年 | 63 | 55 | 2 | 1 | 15 | 18 | 0 | 0 | .455 | 295.2 | 158 | 154 | 140 | 137 | 4.17 |
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関連項目
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