- プロ野球選手一覧 > 中村紀洋
中村紀洋(なかむら のりひろ、1973年7月24日-)とは、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手)である。
概要
OB | |
---|---|
中村紀洋 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市淀川区 |
生年月日 | 1973年7月24日 |
身長 体重 |
180cm 92kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 三塁手、一塁手、二塁手 |
プロ入り | 1991年ドラフト4位 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
五輪 | 2000年、2004年 |
プロ野球選手テンプレート |
大阪府立高等学校では2年の夏に4番を務め、甲子園大会に出場した。
近鉄時代
1997年には自身初のシーズン30本塁打を達成。2000年には本塁打王と打点王を受賞。年棒3億円でパ・リーグの日本人最高年棒選手となったが、チームは2年連続で最下位だった。
2001年は打点王を獲得し、近鉄優勝に貢献。当時年俸5億円(推定)を貰っていたノリさんは複数年契約を拒否し、単年契約を結ぶ。
2002年にFA権を取得し行使したが、ニューヨーク・メッツ入団に合意と報じられたが、12月にこれがニューヨーク・メッツのホームページに載った事について激怒し、交渉を白紙に戻し、近鉄に残留した。この頃から「黒く」なっていった。
2004年 近鉄消滅を受け、当時近鉄と業務提携していたロサンゼルス・ドジャースへ移籍。
ドジャース時代
2005年は4月にメジャー昇格を果たしたが、5月に40人枠から外れる。ウエーバー公示にかけられたが、獲得球団は現れず、AAA級への降格を了承。オフにオリックス・バファローズに移籍。
オリックス時代
2006年、清原和博との共演が話題になるが、4月28日に左手首を負傷。その後も右手首、8月には左肘も痛めるなど負傷続きのシーズンを送る。9月には左手首を手術する。しかしその左手首の故障を巡って、球団と散々もめる。
2007年にオリックスを解雇される。他球団が獲得を匂わされるも結局手を挙げるところがなく、2月にキャンプが始まった中で、ただ一人自主トレを続けた。
中日時代
2007年2月12日にに中日ドラゴンズのキャンプで入団テストを受け、2月25日に育成枠で入団。オープン戦で結果を残し、3月22日には年棒600万円で支配下選手契約を結び、背番号も205から99に変更された。
中日にきてからはさらに広角打法(右打ち)に磨きがかかりその上バント・進塁打とチームプレイも積極的になった。クライマックスシリーズでも活躍し日本シリーズMVPを獲得し涙を流した。
中日時代は白くなったと言われているが、実際の所は先輩である立浪和義や監督の落合監督という重石の効果が効いていたからだったりする。
2008年シーズンオフにFA宣言。東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得に名乗りを挙げ、移籍決定。
楽天時代
2009年は活躍が期待されていたが、持病の腰痛もあり、不本意な成績に終わった。
2010年は前半戦は4番を任されるなど好調だったが、後半戦に入ると下降。シーズン終了後、戦力外通告を受けた。
横浜・DeNA時代
2011年5月23日、横浜ベイスターズに入団。右の代打、一塁の守備固めとして起用。またチーム事情で日本では初となる二塁を2試合だけ守った。
2012年は3番または5番を任され、アレックス・ラミレスが欠場した日は4番にも入り安定した打率、勝負強いバッティングでチームに貢献する。5月4日の中日ドラゴンズ戦で岩瀬仁紀からホームランを放ち、史上22人目の全球団から本塁打を達成。 5月20日には千葉ロッテマリーンズ戦で唐川侑己からホームランを放ち史上38人目の通算1000得点を達成。また8年ぶりにオールスターに出場し、第一戦で斎藤佑樹から逆転2ランを打ちMVPを獲得した。
しかし8月15日の阪神タイガース戦にて自分の打席で盗塁を試みた内村賢介を叱責し、采配批判とみなされ二軍に懲罰降格されると、復帰後は降格前よりかなり調子を落とした。それでも打率.274、得点圏打率.306はそれぞれリーグ10位と5位にランクイン、61打点はリーグ8位、11本塁打の活躍でラミレスと共にチームを支えた。
ゴールデングラブ賞も期待されたが一塁手として1位の畠山和洋と2票差の2位で、惜しくも受賞を逃した。契約更新時に代打要員との通告を受けた。
2013年は前述の理由で開幕戦も出番がなかったが、調子を上げレギュラーを奪取。5月1日は日米通算2000本安打を達成するも、「日本だけの記録に拘りたい」として祝賀を保留。そして5日に国内2000本安打を記録し、改めて快挙を祝った。6月30日の中日戦。相手先発の山本昌から先制ソロ本塁打を放ち通算400号本塁打を記録。さらにその試合ではサヨナラ安打も放ちチームの勝利にも貢献した。
2014年は中畑清監督の起用法に従わない言動があったとし、5月6日の読売ジャイアンツ戦以降一軍出場がなく、オフに戦力外通告を受けた。
DeNA退団後
現在は学生野球資格を回復し指導者として活動している。選手としては実質的な引退状態だが、死ぬまで何かにチャレンジし続けるという意味で「生涯現役」を宣言している。
打撃
一見すると窮屈そうな構えからテイクバックを大きく取り、足を高く上げるフォームでホームランを量産。
フォームは年齢を重ねる毎に少しずつ変わっており、1年間で大きく変わることもよくあった。
打撃の師と仰ぐ落合博満と同じ神主打法も取り入れた特徴的なバッティングフォームは、2000年代前半の野球少年達がこぞって真似をしたフォームでもある。
また、ホームランを打った際のバット投げは野球ファンなら一度は真似をしたくなるほどの綺麗さである。
「全打席ホームランを狙う」「フルスイングを捨てたら4割打てる」と豪語するほど、フルスイングにはこだわりがあり、「ミスターフルスイング」の異名を左打者の小笠原道大と競い合っていた。
年齢的にも衰えが見え始めた頃から状況によってはフルスイングを捨て、ライト方向への流し打ちもよく見せるようになった。
近鉄時代に左手首を故障して以降、バットのグリップ部分にテープを巻くようになり、一時期はグリップエンドがとても大きくテーピングされたバットを使用していた。
そのため右手でバットを押し込む動作が洗練され、ライト方向への強い打球が打てるようになった。
守備
本職は三塁手で、一塁も守るが本人は三塁にこだわりがある。高校時代はピッチャー、近鉄所属の頃は一時期ショートも守っていたことも。横幅が広めの体型でパワーヒッターのイメージが強いからか、よく知らない人には守備が下手と思われていることが多い(『実況パワフルプロ野球』での守備力の査定がさほど高くないことも原因かも)。
が、実際はゴールデングラブ賞を7度(ちなみに三塁手部門歴代最多記録)受賞している、日本屈指の名三塁手である。どんな体勢からでも一塁へ正確無比なボールを投げる送球の技術は天下一品。近年は腰を痛めているせいもあって試合終盤には一塁に回ることも多かったが、技術は決して衰えてはいない。
2011年10月13日 対阪神タイガース戦では、国内では初めて二塁手としてスタメン出場を果たす。
人物・その他
- 左手は何度も手術し握力がなくなっている(本人談)。2003年一気に成績が下がっているが、この年に膝を故障(半月版損傷)し、それまで速球待ちで変化球を溜めて打てたのが膝が我慢できなくなったのが原因。
- 前年オフに(移籍を留意され球団側から)複数年契約をしたため後に近鉄から赤字のスケープゴートにされた。
- タフィ・ローズとは近鉄時代チームメイトだったため仲がよい。
- 選球眼にも優れ、初球打ちは滅多にせず相手の出方を伺ってから打つことが多い。派手な記録ではないが、通算1000四球も2013年4月27日に達成している。日本球界では14人目。
- 中日時代は監督としてお世話になった落合博満を尊敬しており、現役時代のバッティングをまとめたDVDを何度も見直している。
- 育成枠という形で中日に入団した際は話題になったが、これはかつて近鉄監督だった梨田昌孝が落合に頼んだのが切っ掛けである。しかし余らせる支配下枠に困った落合が、苦肉の策で育成枠に入れたというのが真相。後に落合は「日本一に貢献してくれたのは感謝してるけど、あれで計画(若手に切り替え)が遅れた」と語っている。
- 球界でも屈指(野村克也・落合博満級)の恐妻家である。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
近鉄 | 応援歌のピコカキコ一覧#683 | 10733 | ![]() |
楽天 | 応援歌のピコカキコ一覧#286 | 9161 | ![]() |
DeNA | 応援歌のピコカキコ一覧#4 | 8006 | ![]() |
成績
通算打撃成績
通算:23年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB:22年 | 2267 | 9048 | 7890 | 1076 | 2101 | 363 | 13 | 404 | 1348 | 22 | 26 | 53 | 1030 | 47 | 1691 | 257 | .266 | .352 |
MLB:1年 | 17 | 41 | 39 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | 3 | .128 | .171 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | |||
---|---|---|---|
NPB | 本塁打王 | 1回 | 2000年 |
打点王 | 2回 | 2000年、2001年 | |
最高出塁率 | 1回 | 2001年 | |
表彰 | |||
NPB | ベストナイン | 5回 | 1996年、1999年-2002年 |
ゴールデングラブ賞 | 7回 | 1999年-2002年、2004年、2007年、2008年 | |
月間MVP | 5回 | 1999年8月、2000年5月・9月、2001年5月、2002年5月 | |
オールスターゲームMVP | 2回 | 2001年第3戦、2002年第1戦 | |
日本シリーズMVP | 1回 | 2007年 | |
その他 | |||
NPB | サイクルヒット | 1回 | 1994年9月18日 |
オールスターゲーム選出 | 9回 | 1995年、1996年、1999年-2002年、2004年、2012年、2013年 | |
全球団から本塁打 | - | 2012年5月4日 | |
通算満塁本塁打 | - | 14本(歴代2位) | |
通算サヨナラ本塁打 | - | 10本(歴代3位) |
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