概要
正式名称は「革命的共産主義者同盟全国委員会」と言い、「前進派」「本多派」という通称もある。主な公然拠点に前進社が在る。
1950年代後半に「革命的共産主義者同盟(革共同)」と言う政治団体の数度に渡る空中分解の過程で発生した分派の一つで、世界共産革命の実現のため、日本で暴力革命によるプロレタリア独裁政権樹立を目標としていた武闘派の組織であった。そのモットーは反帝国主義・反スターリニズムとしており、ソ連や中国や日本共産党(代々木派)などの既成共産主義団体もスターリニズムの手先として敵視していた。
同時期に革共同から分派した「革命的マルクス主義派(革マル派)」とは基本的な目標やモットーを同じくしているが、組織や理論を重視する学者肌・官僚肌の革マル派と大衆運動主義と武闘路線を貫く在野思考の強い中核派は誕生当初から犬猿の仲であり、過去には度々流血・殺人に至る衝突を繰り返した。
1960年代後半から70年代前半にかけての第二次学生運動期には新左翼勢力で最大の派閥として君臨し、ベトナム戦争を巡る諸闘争、成田空港開港阻止闘争、沖縄返還阻止闘争など各種の政治闘争を参画する。
70年代に入ると学生運動の沈静化や連合赤軍事件の影響によってそれまで高かった学生や大衆の支持は急落。中核派内部でも思想が急進化し、革マル派との内ゲバや今まで以上に非合法な方向の武闘路線に傾注するようになる。
80年代に入りゲリラ路線に活路を見出した中核派は、手製のロケット弾や迫撃砲を官公庁関連施設に打ち込む、国鉄の通信網や駅を破壊する、成田空港工事従業員の宿舎を放火するなどのテロ・ゲリラ行動を数々企てていた。勿論これらの活動に警察や公安が黙っているはずもなく、中核派にも次々に逮捕者が出て組織は疲弊の一途を辿るようになる。
1991年5月、組織の弱体化を懸念した中核派は、疲弊の原因となった非合法武闘派路線の一旦の放棄と以降は大衆運動を重視することを決定した「5月テーゼ」を発表。これ以降は労組や自治体議会などへの影響力拡大を主な手段とすることにした。しかし武闘派路線から穏健路線に急転換を図った反動で中核派内部でも分裂が発生している。
2003年に千葉県の民家を爆破して以降、ゲリラ事件は起こしていないが、現在も約4700人が活動しているという。[1]
中核派が関わった主な事件・闘争
- 早大殴り込み事件
- 羽田闘争
- 佐世保港原子力空母寄港阻止闘争
- 10.21国際反戦デー闘争(新宿騒乱)
- アスパック闘争(神戸カルチェラタン闘争)
- 東大安田講堂占拠事件
- 成田闘争(三里塚闘争)
- 渋谷暴動
- 東京教育大学学生リンチ殺人事件
- 中核派書記長内ゲバ殺人事件
非合法闘争に傾注していた時期のもの(1970年代後半~1980年代以降)
関連動画
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関連項目
- 左翼
- 革マル派
- 極左暴力集団
- ヘルメット - 新左翼は党派ごとにヘルメットの色が違い、中核派は白いヘルメットを被った。
- ゲバ棒
- テロ
- ゲリラ
- 労働組合
- 学生運動
- 国鉄千葉動力車労働組合 - 通称「動労千葉」。JR東日本の労組の一つで、中核派シンパとして最も有名な組織。
脚注
- *中核派トップ・清水丈夫議長、51年ぶりに姿…見たことある捜査員おらず写真で照合 2020.11.11
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