中田宏樹(なかたひろき)とは、将棋棋士(故人)である。棋士番号173。東京都出身。追贈九段。
愛称はデビル(後述)。よく中川大輔八段や中田功七段と間違えられやすい。
概要
プロ入りは21歳で、55年組と羽生世代の狭間の世代であるため、両強豪に揉まれ、なかなか昇級できなかった。しかし、プロ入りからずっと安定した勝率を誇り、2010年台前半まで勝率6割以上を保っていたという、そして50を超えても未だにB2級で好成績を続けているという、細く長い棋士である。
2008年には最高でB2級のまま600勝を達成するという史上初の珍記録を打ち立てるが、その2年後45歳のとき、初めて悲願のB1級に昇級した。
1991年には王位戦に出場、またオールスター勝ち抜き戦では二度優勝している。居飛車党で矢倉を好むが、後手番だと様々な手を指しこなすオールラウンダーとなる。
2019年の竜王戦4組3回戦では、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった藤井聡太と対局し、中田勝勢のまま終盤に突入し1分将棋に突入した。
しかし102手目、ここで藤井が打った△6二銀、これが勝負のすべてを動かした。
詳細は関連動画を参照してほしいが、この手は一見すると銀を隣にある7二の竜に取られる、言ってしまえばタダ捨てする手だった。しかしこの銀を取ってしまうと、7筋にあった竜の効きがなくなり、逆に藤井優勢になる毒まんじゅうのような一手だったのである。
結果、持ち時間も残りわずかだった中田はこの銀を取ってしまい、大逆転負けを喫した。
2022年の秋ごろから体調不良による不戦敗が続き、2023年の2月1日には同年3月末までの休場を発表したが、その矢先の2月7日に死去。58歳の若さだった。2月9日に日本将棋連盟からその死が公表され、翌日に九段を追贈された。
死去時点で順位戦はB級2組、竜王戦は5組在籍。通算成績は770勝592敗で、将棋栄誉敢闘賞(通算800勝)まであと30勝、勝数規定のみによる九段昇段(通算810勝)まで40勝と現役での九段昇段も近いところでの病死だった。ちなみに八段での将棋栄誉敢闘賞受賞と勝数規定のみによる九段昇段は達成していれば阿部隆以来2人目であった。ちなみに阿部は勝数規定による八段昇段後に順位戦A級昇級しているので、A級経験なし(なんなら竜王戦1組経験もなし)で勝数規定のみの通算810勝で九段昇段という珍記録(これはこれで着実に勝ち星を積み重ねているので本当にすごいのだが)も視野に入るところでの惜しまれる死だった。
また、中田のニックネームはかの有名な「デビル」であるが、本人はむしろゴッドに近いほど人格者であり、また奨励会時代はニヒルと呼ばれていた。なぜこう呼ばれるようになったかというと、奨励会仲間とオイチョカブをやったところ無類の強さを発揮し、みんなの有り金を巻き上げてしまったことで、「お前なんかニヒルじゃなく悪魔だ、血も涙もないデビルだ!」と告げられてからである。
以来、麻雀やトランプなどいろんなゲームをやってもすぐコツを覚えてしまい、将棋と同じぐらい底知れぬ強さと粘り強さを発揮していたという、まさに勝負の鬼ならぬ勝負のデビルだったのである。尚、その時の遊び仲間に若かりし森内俊之もおり、いの一番に遊び会場となっていた植山悦行宅に駆けつけていたという(何やってんすか…)
なお、野球好きとしても知られ、連盟の野球チーム「キングス」の監督を務めたこともある。そのとき、たけし軍団とも対戦したことがあるらしい(1勝1敗だとか)。こっちはさほど勝負にはこだわらず、采配も別にデビルではなかったそうだ。
関連動画
在りし日の解説
関連項目
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