中邑真輔/SHINSUKE NAKAMURAとは、新日本プロレス→WWE所属のプロレスラー及びスーパースターである。
新日本でのキャッチフレーズは「選ばれし神の子」「ストロングスタイル伝承者」「反逆のボマイェ」など。ファンからは「真様」と呼ばれることが多い。
WWEでのキャッチフレーズは「King of Strong Style」「The Artist」など。
「一番スゲェーのは、プロレスなんだよ!」「イヤァオ!!!」
一番スゲェーのは、概要なんだよ!
青山学院大学でレスリングを学び、2002年、新日本プロレスに入団。デビュー前に総合格闘技のトレーニングを行っていたことから、当時の新日本の格闘技路線の申し子として期待を受け、ダニエル・グレイシーやアレクセイ・イグナショフらと対戦した。
デビュー後1年4ヶ月にしてIWGPヘビー級王座に初挑戦。逆十字固めで天山からタップを奪いデビュー最速、最年少での同王座戴冠を果たす。その後NWFヘビー級王座・IWGP U-30無差別級王座をことごとく奪取・封印し、「封印マニア」の称号を得る。
2006年3月から半年間の海外遠征に出発。肉体改造に励み、ビルドアップされた肉体と共に新技ランドスライドを引っ提げて帰国。蝶野と組み、G1 TAG LEAGUEで初優勝を飾る。
2008年1月4日、棚橋弘至を破り第48代IWGPヘビー級王者となる。2月17日に当時カート・アングルが所持していた3代目IWGPヘビー級王座ベルト統一戦を行い、腕ひしぎ逆十字固めで勝利しベルトを奪還した。
2009年4月、真壁刀義を裏切った矢野通ら旧G・B・Hメンバーと共にCHAOSを結成。フィニッシュホールドをボマイェ(顔面への膝蹴り)に変更し、ファイトスタイルが今まで以上に殺伐としたものになった。9月27日、真壁とのIWGPヘビー級王者決定戦に勝利し、第53代IWGPヘビー級王者に載冠。アントニオ猪木を意識した発言を繰り返す。
2011年8月のG1 CLIMAXでは、内藤哲也を破り悲願のG1初優勝を成し遂げた。2012年7月22日、後藤洋央紀が保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。ボマイェで勝利を収め第4代王者に輝き、世界五大陸防衛ロードの構想を掲げる。
2013年1月4日、東京ドームという大舞台で、柴田勝頼と共に新日本プロレスに参戦していた桜庭和志と対戦。終始桜庭の関節技に苦しめられるも4年振りにランドスライドを解禁し流れを変え、ボマイェで勝利を収めた。この年のG1ではDDTの飯伏幸太と初対決。自身初となる東スポプロレス大賞・年間最高試合賞を受賞している。
世界のシンスケ・ナカムラへ~NXT
2016年に新日本プロレスを退団することを発表。1月30日の後楽園ホールが現在新日本でのラストマッチとなり、持っていたIWGPインターコンチネンタル王座は返上となった。
余談だが、この数週前のロイヤルランブルにはBULLET CLUBのリーダーとして新日本で活動していたAJスタイルズが参戦。同じく一員として活動していたカール・アンダーソンや、数年前にフェスタスとしてスマックダウンでの所属経験があるドグ・ギャローズもWWEに出向く。新日本のマット内で選手間の新陳代謝が大きく進んでいる反面、WWEにおいても彼らは高い質の試合や抗争を展開しており、2016年のWWEは"新日旋風"が吹き荒れたと言っても何ら間違いではない。
この数週前から各メディアではWWEへの移籍があるのではないかと噂されていたが、その言葉通り、翌月の2月に契約会見が行われ、正式に所属スーパースターとなることがアナウンスされた。WWEでは”SHINSUKE NAKAMURA"として、WWEの二大番組「RAW」及び「SmackDown LIVE」へ次世代のスーパースターを送り出す登竜門的な団体「WWE NXT」からキャリアを開始。それに伴いアメリカでの放送コード上の問題から、ボマイェをキンシャサへと改名する。
2016年4月1日に行われたNXTのPPV特番「TakeOver:Dallas」でのデビュー戦では、新日時代からの「King of Strongstyle」というギミックとファイトスタイルをそのままにサミ・ゼインと対戦。特番を見ていたWWE元解説者のジム・ロスをして「brutal(えげつない)…」とツイッターで言わしめた程の激闘を制してデビュー戦を勝利で飾る。この試合は2016年のWWE(NXT限定にあらず)年間ベストバウトランキングで堂々の2位にランクインした。
その後も勝利を重ね続け、NXTの象徴とも言われるほどの人気を博していた新日時代からの盟友フィン・ベイラー(プリンス・デヴィット)との激闘を経て、2016年8月20日に行われたPPV特番「TakeOver:BrooklynⅡ」にてNXT王座に挑戦。王者のサモア・ジョーをキンシャサで沈めて勝利し、NXTデビュー以来無敗のままベルトを奪取した。その後11月19日のPPV特番「TakeOver:Toronto」でジョーにNXTでの初敗戦を喫しベルトを奪われるも、12月3日の日本公演「NXT Live Japan」での凱旋試合でリベンジに成功し、2度目のNXT王座を戴冠した。
このように4月のデビュー以来、破竹の快進撃を続けてきた活躍により、ツイッターでのファン投票で決定するNXTの年間表彰「NXT Year-End Awards 2016」にて「Male Competitor of the Year(男子部門スーパースター賞)」と「Overall Competitor of the Year(年間最優秀スーパースター賞)」の2冠に輝いた。
しかし王座戴冠後にNXTレギュラー放送内で行われた、NXT王座次期挑戦者決定戦を制したThe・Gloriousことボビー・ルードとの抗争に突入すると、2017年1月28日のPPV特番「TakeOver:San Antonio」で行われた防衛戦でボビーにキンシャサを決めた際に膝を痛めてしまい敗北。その後1ヶ月もの間欠場することとなる。
膝の怪我の治療に専念した後、3月に入って復帰。同年4月1日に行われたPPV特番「TakeOver:Orlando」のメインイベントにて、NXT王者ボビー・ルードとの再戦に臨むも、古傷の膝を集中的に攻められ、最後は王者のセカンドロープからのスイング式グロリアスDDTによって敗北。試合後、一人リングに残された中邑に対し、観客から会場一杯の「Thank You Shinsuke!」チャントを贈られ、別れを惜しむかのように会場を去った。
WWEの頂点へ~SMACK DOWN
明けた4月4日のWWE SmackDown LIVEにて、WWEスーパースターのミズとその妻でディーバであるマリースのマイクアピールの後、予告なしのサプライズで登場。観客からの入場テーマの大合唱を受け、遂にWWEのメインロースター入りを果たす。
5月にドルフ・ジグラーを相手にデビュー戦を勝利で飾ると、8月のサマースラムでは早くもジンダー・マハルの持つWWE王座に挑戦するも惜敗。10月にも挑戦したものの戴冠はならなかった。
その後も、ランディ・オートンとタッグを組んだり裏切られたりしながらスマックダウンの中心選手として活躍。
11月のサバイバーシリーズではRAWとの5vs5イリミネーションマッチにスマックダウン代表として参加した。
そして2018年1月28日、中邑はWWEの歴史にその名を刻むことになる。
中邑はこの日開催されたロイヤルランブル31に初参戦。
14番手として登場すると、ジョン・シナなどの人気選手を退け、ついにラスト2人まで残る。
相手は王座経験もあるスーパースター、ロマン・レインズ。
スーパーマンパンチやスピアーを喰らいながらも最後はスライディング式のキンシャサをたたき込み、ロマン・レインズをリング外へ落とし、ついに日本人として初めてロイヤルランブルを制覇した。
(この大会で初めて行われた女子ロイヤルランブルではASUKAが優勝。日本人のW優勝となった。)
試合後、レッスルマニアでの対戦相手としてAJスタイルズを指名。
4月に行われるレッスルマニア34での王座戦が決定した。
2018年4月8日(現地時間) レッスルマニア34では第12試合WWE王座戦にて登場。7万8千人の大観衆の前でAJスタイルズとの熱戦を繰り広げる。結果は中邑がキンシャサを繰り出そうとしたところをAJが切り返し、そのままスタイルズクラッシュを決められてしまい敗北。試合後両者は健闘を称えあい、中邑が片膝をついてAJにベルトを手渡したところで事件は起こった。中邑は矢野通ばりの金的攻撃をAJに喰らわせ、彼が倒れたところを足で踏みつけリング下に落とし、そこでまたもや足蹴にした後キンシャサを浴びせた。観客のブーイングを浴びながら花道を通り退場する中邑の顔は彼のヒールターンを雄弁に語っていた。
2023年の「奇跡」
2022年6月12日に開催された「サイバーファイトフェスティバル2022」において、持病の股関節痛のため武藤敬司の引退が発表された。同年の10月に2023年元日に行われる日本武道館の試合カートが発表され、メインに武藤の化身であるグレートムタとの対戦相手に入場テーマ曲の「The Rising Sun」と共に「SHINSUKE NAKAMURA」の姿が現れ、大いに歓声が沸いた。
WWE自体が他団体にトップレスラーを送り出す事自体が奇跡的なだけに、日本のプロレス界は大きな衝撃と共に話題となった。WWEのレスラー仲間からもアメリカンプロレスではレジェンドであるムタとの対戦には冗談だろうとまで言われていた。
試合はダブルメインイベントのトリを務め、獣神サンダーライガーが解説の元試合が始まり、高度なグラウンドの応酬や、凶器や毒霧からのムタワールドに苦戦をしつつも、ムタのお株を奪う場外花道からのランニングラリアットやスライディング・スナップ・ジャーマン、腕十字固めやキンシャサを繰り出して反撃に転じ、最後にはムタの毒霧を口移しで吸い込み逆毒霧を繰り出した後のキンシャサでムタから3カウントを奪った。
試合が終わった後は感情を抑えきれず感極まって涙を流した。そして花道を去るムタの肩を抱え共にフェードアウトをしていった。
この試合は2023年で元日で行われた最初のメジャー団体で行われたメインイベントだったにも関わらず、その1試合で2023年年間ベストバウト筆頭になるのではないかと言われる程の、独自の世界観を持った試合となった。
そして、それは現実として2023年年間ベストバウト賞を受賞した。
クネクネ
CHAOS結成後、ファイトスタイルが体の脱力を重視したものとなり、現在その動きは軟体動物レベルに達している。賛否両論あるスタイルだが、他のレスラーとは一線を画しており、個性的なスタイルを確立しているといった意見も多い。
クネクネムーブ
- 入場時のくねくねウォーク
- リングイン後、トップロープに足をかけてのくねくねストレッチ
- リングコールで体を大きく反らせるくねくねポーズ
- ロープブレイクの際のくねくね脱力ムーブ
- 相手をコーナーポストに追いつめてのくねくね電気アンマ(吉野アナは武者震いと命名)
- ボマイェ発射直前、体を反らせてのくねくねポーズ(ロッケンロー!)
芸術活動
中邑はペインティングを得意とし、学生時代からレスリング部と美術部を掛け持っていた。
幼少時は周囲が女の子ばかりで一人遊びが多く、そんな中で見つけたのが絵画だったと語っている。父親も絵が得意で、親戚に画家がおり、姉も服飾系に進学したり、ピアノでで大学に進学するなど、親族に芸術の素養があったのではと本人も語っている。
2008年には自ら描いた100点を越える絵画をもって、絵画展を主催した。「みんなのパンチ」と題された小学生との黒板アート制作活動も定期的に行っている。制作活動中には、芸術と子供を愛してやまない素顔を垣間みることができる。
得意技
ボマイェ (キンシャサ)
現在のメインのフィニッシャー。コーナーでポーズを決めた後、走り込んで相手の顔面に膝を叩き込む。
セカンドロープから放つダイビング式、座り込んだ相手に放つスライディング式などバリエーションも豊富。
日本時代はボマイェ、WWEに移ってからはモハメド・アリの伝説の試合が行われた地名を取ってキンシャサとしている。
ランドスライド
日本時代にフィニッシャーとしていた投げ技。
相手をファイヤーマンズキャリーの体勢に担ぎ、自分の正面にみちのくドライバー2のような形で叩きつける。
フィニッシャーをボマイェに変えてからは、大一番の試合のみ、必勝を期して放つ奥の手的な技となった。
WWEでは似た形の技をジョン・シナが使用しているため自粛しているのかと思われていたが、レッスルマニア34のAJスタイルズ戦で解禁して以来使うようになった。
三角締め
若手時代から得意としている技の一つ。
立膝になった相手の膝を踏み台にして決める「シャイニングトライアングル」をフィニッシャーとしていた時期もあった。
現在でも、飛びつき腕十字からの連携など様々な場面で使われている。
金的攻撃
レッスルマニア34でヒールターンしてから使用。
相手の技をしゃがんで躱し、背後または正面から腕でカチ上げるように殴る。レフェリーの目を盗んで足で蹴り上げる。相手の股下をくぐり抜けて後頭部で打ち付ける等、バリエーションが豊富。
バックラッシュ2018で行われた反則裁定無しルールでのWWE王座戦では、レッスルマニア以来ずっと金的攻撃の餌食となり続けた王者AJスタイルズと対戦。フィニッシュはお互い同時に思いっきり金的を蹴り上げ、芸術的とも言えるダブルKOシーンを披露することになった。
2019年以降は封印傾向にある。
スライディング・スナップ・ジャーマン
2019年中盤より使用。
相手をトップロープとセカンドロープの間にしがみつかせ、背後から助走をつけて相手の股下をくぐるようにリング外に向かって仰向けにスライディング、その勢いのまま相手の腰をフックして、相手がしがみついているロープの反動も利用して後頭部と背中をマットに叩きつける。
ロープ際で仕掛けるため、フォールを狙うよりも相手にダメージを与える事に重点を置いた技。
獲得タイトル
- 第34代、48代、53代IWGPヘビー級王座
- 第2代IWGP U-30無差別級王座 戴冠後、封印
- 第4、6、8、10、12代IWGPインターコンチネンタル王座
- 第47代IWGPタッグ王座 パートナーは棚橋弘至
- G1 CLIMAX 準優勝:1回(2009年) 優勝:1回(2011年)
- G1 TAG LEAGUE 優勝(2006年)パートナーは蝶野正洋。
- NEW JAPAN CUP 準優勝(2011年)
- NWFヘビー級王座(第21代)戴冠後、封印
- WWE NXT王座(第9代、第11代)
- WWE ROYALRUMBLE 2018 男子ロイヤルランブル戦 優勝
- WWE US(ユナイテッドステイツ)王座
- WWE インターコンチネンタル王座
エピソード
- プロレスとの出会いはゲームがきっかけ。プロレスの初観戦は新日本プロレスの豊岡大会。
- 中学校の修学旅行で東京に出たとき、アイドールという新宿のプロレスショップで「プロレスラーになる方法」という本を買っていた
- プロレス入りする前、アマレスの実績だけでは足りないと思い、慧舟會や正道会館の柔術クラス、リングス道場にも通っていたが、当時はそのまま総合格闘技に行くということは考えていなかったそうである。
- ロス道場時代、ひたすら練習するしかなかった中、アントニオ猪木に「オマエ、どういう生活をしてるんだ? 車は持っているのか? 旅をして、いろんな人に出会えよ。自分の足を使って、いろんな人に会いに行けよ。別に練習場所だけって、ここだけじゃないんだから」と言われ、実際にあちこち渡るようになってから、世の中の見方が面白くなってきたと語っている。
- デビューから5年間ほどは一心不乱だったが、岡本太郎の言葉「きれいな絵を描いて飾られても人は“きれいな絵だね”だけで素通りする。だが、プラスでもマイナスでも人の心に訴えかけるものを飾っておけば“絵を外してくれ”とか“もう見たくない”とか、なんらかのアクションを起こさせる」という言葉が意識を変えるきっかけとなったと語っている。
- 強さの定義は一つではないと気づいてから、色々なことに興味を持って変化を促すようになったという。いわゆるクネクネムーブもその一つらしい。
- 「スポーツでもエンターテイメントでもない、プロレスはプロレスなんだという文化にしたい」というのが今のモットーらしい。
- ツイッターでは石井智宏をよくいぢっており、石井の写真を基にした大喜利を開催することもよくある。
- 「ボマイェ」をWWE参戦以来「キンシャサ」へと改名したのは、上記の通りアメリカでの放送コード上の問題による。中邑曰く、キンシャサという名称が決まったのはNXTのデビュー戦直前で、NXTの解説役を務めていたコーリー・グレイヴス(現RAW/Smackdown Live/PPVイベント解説)から「ボマイェって『ぶっ殺せ』って意味だし、放送コード上マズいから名前変えさせろって上から言われてるんだけど、どうしよう?」と相談を持ち掛けられ、2人でしばらく考えた後、中邑から「じゃあモハメド・アリつながりで『キンシャサ』でどうよ?」と申し出て決まったとの事。
(WWEでは同様の理由により、AJスタイルズの「カーフキラー」が「カーフクラッシャー」に変更になったりと前例がある)
関連動画
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関連項目
- プロレスラー
- 新日本プロレス
- WWE
- 棚橋弘至(ライバル)
- 飯伏幸太(気が合う)
- 田口隆祐(オヤァイ!!)
- 桜井章一(師匠)
- カール・アンダーソン(新日LA道場の盟友)
- フィン・ベイラー(新日野毛道場の後輩であり盟友)
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