丸田恭介(まるた きょうすけ)とは、JRA所属の騎手である。
概要
1986年5月20日生まれ、北海道旭川市出身。
中学3年時にJRA競馬学校を受験するが不合格となり、旭川屈指の名門校である旭川東高等学校に進学。しかし翌年に再度競馬学校を受験して合格し、東高を中退する。
2003年4月に競馬学校第22期生として入学後、一年の留年を経て第23期生として卒業。入学時の同期には的場勇人らが、卒業時の同期には浜中俊、藤岡康太、荻野琢真らがいる。
卒業後は宗像義忠厩舎に所属。2018年からフリー。
2007年3月3日にデビューし、5月26日に初勝利。1年目目標として50勝を掲げていたが、現実は厳しく3勝止まりだった。翌2008年には年間31勝を達成。
2009年は49勝を挙げるが、斜行による長期騎乗停止を2回、JRAによる再教育も2回受講することになる(ちなみに2回目の再教育は新制裁基準移行後の第一号だった)。更に2010年3月20日にも同日開催内で2回斜行し、一日の処分としては当時最長となる10日の騎乗停止を喰らっている。
2010年7月24日にJRA通算100勝を達成。同年11月20日、福島記念をダンスインザモア(12番人気)で制し、重賞初制覇。
2014年から2018年までは中央重賞を1年に1回制覇し、穴騎手として穴党馬券師から注目されてはいたが、G1には手が届かずにいた。そんな中、2018年にナランフレグと出逢い、幾度かの乗り替わりもある中人馬共に我慢の競馬を続け、2022年3月の高松宮記念を勝利。デビュー16年目にしての中央GI制覇だった。
2023年にはデビュー17年目にして日本ダービーにホウオウビスケッツで初騎乗を果たし、16番人気ながら1着とは0.2秒差の6着と健闘した。
人物
騎手を志したキッカケは、1999年の第120回・天皇賞(秋)。武豊がスペシャルウィークで勝ったレースである。実家は金銭的に裕福ではなく、実習で実家に帰省した時、学費捻出のために隣の看板屋に売却され駐車場になった家庭菜園跡地を目の当たりにしたらしい。
関係者からは人に愛される性格と評されている。何かと弄られることが多いらしく、丸田本人も自覚している様子。2歳年下の23期同期達とも良き友人関係を築いているらしい。
2024年に藤岡康太が落馬・殉職した翌週の開催では、藤岡も乗っていたリフレーミングに騎乗し、福島メインレースの福島民報杯を制した。プレゼンターの志田未来と登壇した表彰式ではこらえていたものの、検量室引き上げ時に号泣する様子が目撃されている。これで心身が限界に来てしまったのか、翌日に食あたりを起こし、藤岡の葬儀には参列できなかった。
サッカーが趣味で、2007年のJRA騎手東西対抗サッカー大会で決勝ゴールを決めた事もある。
主な騎乗馬
- ダンスインザモア(2010年福島記念)
- リトルゲルダ(2014年北九州記念、セントウルS)
- ダノンレジェンド(2014年カペラS、2015年黒船賞、東京スプリント)
- ソルヴェイグ(2016年函館スプリントS)
- ライジングリーズン(2017年フェアリーS)
- メドウラーク(2018年七夕賞)
- ホウオウイクセル(2021年フラワーカップ)
- ナランフレグ(2022年高松宮記念)
関連動画
関連項目
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