概要
1924年(大正13年)2月8日生まれ。長男は帝京平成大学準教授スポーツ科学者、次男はミュージシャン。
学徒として動員され戦地から帰還後に東京商科大学(現・一橋大学)に復学。俳優座の上演したゴーゴリの喜劇作品『検察官』にのめり込み、演劇研究会を立ち上げる。
1947年演劇集団「ぶどうの会」に入団。山本安英(新劇の女優)、木下順二(劇作家)、岡倉史朗(演出家)を師として共に結成し、舞台『夕鶴』、『ふくろう』などの舞台に立つ。特に山本主演、木下作、岡倉演出の『夕鶴』の出演は人生を変えたという。
1964年に解散後、2年間フリーとなり1966年に劇団「欅」に入団。1967年に劇団「昴」に合流する形で入団。日本大学藝術学部演劇科の講師、後に教授を務めていた時代もあった。
テレビ朝日系列『報道ステーション』では特集で開戦の翌年に戦争で学徒兵として召集され軍事精神を叩きこまれ、戦地から九死に一生を得て帰還した、と戦争の悲惨さを孫に語った。
ハンフリー・ボガートの専属吹き替えを担当している。テレビ朝日の報道番組『ニュースステーション』のナレーションをしていた際、久米宏に「ナレーターは私の父です」と冗談を言われた事がある。だが実際には親子ではない。
ボガートについて比較的表情を変えないのにクセが非常にあって、自分自身の個性を強烈に出し独特なセリフ回しや目を十分にギラッとさせスクリーン全部の中に訴える。だから声だけで演技の全てを支えるのは難しく、ボガードの強烈さに押し飛ばされそうになる事もあるのでアテレコしづらかった、と評した。自分ではボガートの吹き替えは失敗ばかりと語っている。
また、『裸足の伯爵夫人』で狂言回し的な役でナレーションもあったから自分に回ってきただけだ、と当初は思ったが演出家(恐らく小林守夫)から「もう少しドスを利かせてくれ」と言われたという。以後、ボガートの正式なFIXとなる。
また、スペンサー・トレイシーについては年配の俳優をアテれる人が他にいなかったから、自分に回ってきただけだ、と僻んでいる。
小林守夫は記憶に残るフィックス声優のベスト・3の一つに久米明のボガートを選んでいる。
声優としての出演作
アニメ
など
ナレーション
など
吹き替え
ハンフリー・ボガート作品
カサブランカ、麗しのサブリナ、アフリカの女王、裸足の伯爵夫人 ※初ボガートの吹き替え など
スペンサー・トレイシー作品
山、日本人の勲章、招かれざる客 など
- エクソシスト(マックス・フォン・シドー)※日本テレビ版
- 風と共に去りぬ(ハリー・ダベンボード)※日本テレビ江守・戸田版、テレビ東京版
- くまのプーさん(ナレーター)※ポニー発売ソフト版
- 十戒(チャールトン・ヘストン)※フジテレビ版
- 戦場にかける橋(アレック・ギネス)※フジテレビ版・・・演技の計算が読み取れて吹き替えやすかった、と本人談。
- タイタンの戦い(バージェス・メレディス)※テレビ朝日版
- タイタニック(バーナード・ヒル)※テレビ版
- チップス先生さようなら(ピーター・オトゥール)※フジテレビ版・・・吹き替えやすかった、と本人談。
- ニュー・シネマ・パラダイス(フィリップ・ノワレ)※ソフト版、フジテレビ版
- ベスト・キッドシリーズ(ノリユキ・パット・モリタ)
- リトル・マーメイド(トリトン)
など
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関連項目
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