九九式軽機関銃とはそれ以前に開発された九六式軽機関銃を原型に、九九式短小銃と同じ口径7.7mmの九九式普通実包に対応するなど、各種改良を施された分隊支援火器に当たる機関銃である。第二次世界大戦で使用された各種軽機関銃の中でも、かなり評価の高い部類に入る佳作であったりもする。
概要
一見するとモデルになった九六式軽機関銃ともどもZB26のそっくりさんで、一部では模倣と誤解されることもあるが、内部の駆動系などはフランスのオチキス機関銃のそれを参考にした、日本独自のものである(開発者である南部麒次郎氏による特許も出願されている)。
九六式に比較して大口径化で威力、射程が強化されたのは言うまでもなく、フラッシュハイダーを増設して射手の視界阻害を抑制。駆動系の信頼性向上、そして何より粗鋼生産量に乏しい日本でも量産できるよう、比較的低品質なスチールを多用しても故障しにくい高い信頼性を誇っている。
装填方式は九六式と同じく、銃本体上面の30発入り湾曲弾倉を用いる。そして命中精度にこだわる日本陸軍らしく、固定倍率の照準スコープが標準装備されており、銃本体の素性の良さもあって非常に命中精度が高く、太平洋戦争では九六式軽機関銃ともども、米軍にとって非常に厄介な存在だった。
加えて九六式ほどではないが比較的迅速な銃身交換も可能であり、十分な弾薬と予備銃身を与えられた九九式軽機関銃は、特に防御戦闘に回られた場合、延々と高精度な狙撃連射をしてくる嫌らしい機関銃でもあった。
但し国力不足からブレン軽機関銃、MG34/42機関銃などと比較すると、製造数は0が一桁少ない53000挺程度であり、戦闘での消耗を考えれば十分とはいえず、九六式や欠陥が指摘された十一年式軽機関銃を完全に代替することは出来なかった。そして九九式の後継となる新型軽機関銃も、ことごとく試作止まりで終わってしまった。
大戦末期の活躍と戦後
とはいえ信頼性と命中精度、携帯性に優れた軽機関銃であることは事実で、特に硫黄島や沖縄戦では防御陣地からの精密射撃で、米陸軍や海兵隊に多大な出血を強要している。戦後の陸上自衛隊でも新型軽機関銃を作る際、ブレン軽機関銃のようにNATO弾にコンバートしたモデルはどうかという案が、かなり有力だったという説もある。
そっちのが62式機関銃よりマシだったんじゃとか言わないであげてください…
そして軍用ではないが米国に鹵獲、あるいは戦後の武装解除で持ち帰られた九九式の一部は、現在でも個人所有やシューティングレンジの備品として稼動状態にある。何と驚くべきことにAK47の7.62mm✕39mm弾(安価で購入しやすいため)にコンバートした上でも問題もなく射撃可能で、基礎設計が非常に優れていたことが伺える。
着剣装置の謎
そして日本の軽機関銃で往々にして話題になるのが、何故歩兵銃だけでなく軽機関銃にまで着剣装置を備え、銃剣を取り付けたかである。このことは諸説多数が存在し、実際のところはまだ軽機関銃の運用方針が定まっておらず、銃剣をポン付けするのに大した手間はないので、とりあえず増設したのではないかとさえ言われている。
但し戦後の射撃試験で、30年式銃剣を取り付けた状態で射撃を行った時、銃口の跳ね上がりを抑制したのか、着剣していない状態よりも命中精度が向上したことが確認された。実戦でそのような運用が行われたかは不明だが、全く無意味な装置ではなかった模様である。
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