九五式小型乗用車とは、日中戦争・大東亜戦争期において大日本帝国軍が使用した軍用乗用車である。通称くろがね四起。
概要
日本初の量産四輪駆動車として知られる存在である。陸海軍の主力軍用乗用車として5000台弱が生産された。キューベルワーゲン(ドイツ)・ジープ(アメリカ)よりも採用は早く、軍用乗用車の先駆的な存在の一つとして数えられている。
開発
ときに1934年(昭和9年)、満州事変を経て広大な中国大陸での活動のために必要な装備の増強が決まり、不整地走行性能に優れた偵察・連作車両が必要であるという要望から当時国内で活動していた自動車メーカーである日本内燃機・トヨタ自動車・ダイハツ工業・岡本自転車製作所に試作発注が行われたのが本車開発のきっかけである。
余談ながら日本内燃機はその後紆余曲折を経て、現在は日産傘下のエンジン開発企業・日産工機。トヨタ自動車とダイハツ工業は現在世界最大級の自動車企業グループのひとつとして健在。岡本自転車製作所は後に自動車生産から撤退、「ノーリツ号」ブランドの自転車製造を手がけていたが1980年代に廃業している。
この4社から提出された試作車のうち最優秀と認められたのが日本内燃機製の車両であり、1936年(昭和11年)に九五式小型乗用車として制式化された。愛称の「くろがね四起」は、日本内燃機の主力商品であったオート三輪のブランド名「くろがね」と「四輪起動」(今でいう「四輪駆動」)から生まれたものである。
特徴
日本内燃機は当時のオート三輪業界のトップメーカーであり、オート三輪用の主力エンジンとして製造・設計ノウハウがあったV型2気筒エンジンを採用。そこに空冷用ファンとフォード社製ミッションを組みあわせ、不整地踏破能力を優先させた大径タイヤを回す設計である。寒冷で水の補給が課題となる大陸での運用を前提に信頼性の高い構成でまとめた手堅い設計であるが、後に南方で使用された際にはそれが祟ってオーバーヒートを起こす原因ともなっている。
車幅1.3メートル、ホイールベースも2メートル程度。現代の軽自動車規格よりもさらに一回り小さい上にかなりのショートホイールベースであり、平坦路での乗り心地や搭載量よりも軽快な運動性を最優先にした設計であることが伺える。座席は現代でいうところの2+2構成。上述の冷却の問題を除けば不整地走行能力は充分満足のゆくものであり、5000台弱という当時の日本の自動車としては破格の大量生産が行われることとなった。
ちなみに、歴史に大きく名を残すキューベルワーゲン(独)の生産量は各タイプあわせて6万台以上、著名な軍用汎用乗用車であり「WW2勝利の原動力のひとつ」といわれたジープ(米)の生産量は60万台以上である。この種の車両が軍にとって迅速かつ確実な情報伝達を可能とするということを踏まえるとこの生産量の差は大きな(そして辛い)問題であり、またジープが高く評価される理由であった簡易な輸送車両としての機能も本車は持っていなかった。本質的にこの九五式小型乗用車の性格は「連絡・偵察」を任務としていたサイドカーの後継車両であり、軍用汎用乗用車という新しいジャンルを切り開くものとしては設計思想が古かったと言わざるをえない部分はある。とはいえ兵器とは国情にあわせて生み出されるものであり、ジープのような車両を大量に運用するコンセプトは日本の国力が許すところではない。サイドカーの弱点である不整地運用能力の飛躍的強化を意図として設計された本車はその求められたところを充分に果たしたと言ってよく、日本の自動車開発史上にその名を残すに相応しい存在であるといえよう。
関連動画
2012年秋アニメ「ガールズ&パンツァー」より、学園艦内で告知活動を行う風紀委員チームが乗車している(0:42~)のが本車を元に製造された小型トラック、くろがね小型貨物自動車。フロントまわりはそのまんまですし、車体の割に大きなタイヤ等の本車の特徴がきっちり受け継がれています。0:59には本車の写真も収録されています。
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