九八式陸上偵察機とは、大日本帝國海軍が運用した偵察機である。連合軍側のコードネームはベイブス。
概要
帝國海軍は海上での戦闘に重きを置いている都合上、陸上基地で運用する偵察機を持ち合わせていなかった。しかし支那事変が長期化し、航続距離の長い航空機が必要になってきたため、陸軍が運用していた九七式司令部偵察機二型を採用。三菱重工に海軍式へ改造するよう命じ、エンジンを海軍式の瑞星エンジンに換装した上で20機程度を試作させた。1939年11月、制式採用されて九八式陸上偵察機となった。つまり海軍は陸軍の機体を改造しただけである。高性能と称されていただけに高速性は高く、零戦が登場するまで海軍一の快足を誇った。1940年にはエンジン出力を向上させた12型が誕生し、30機が生産された。しかし陸軍機共通の欠点である離着陸性能はしっかり引き継がれ、搭乗員から嫌われた。量産された機体は支那戦線に投入され、華南方面での偵察任務で活躍した。
大東亜戦争の足音が迫ってくると、開戦に備えた偵察を開始。1941年11月1日、台湾から九八式陸偵が発進し。高度7000mからイギリス軍の拠点である香港を偵察している。機体側面にはカメラが搭載されていて、空撮まで行った。同月21日にはアメリカ軍が支配するルソン島を偵察し、貴重な情報を持ち帰っている。彼らが持ち帰った情報は当然作戦の立案に役立てられた。
1941年12月8日に大東亜戦争が勃発すると、南方作戦に投入される。緒戦のフィリピン航空戦では零戦を先導し、制空権を奪取する一助になった。しかし1942年8月よりガダルカナル島争奪戦が生起すると、航続距離不足が露わになってきた。最も足が長い零戦ですら往復に苦労する片道1000kmの道のりは、九八式陸偵には荷が重すぎた。性能的にガ島への偵察任務が出来ず、急遽海軍は十三試双発戦闘機を偵察機に転用して急場を凌いだ。長くなりすぎた戦線は、九八式を置き去りにしてしまったのだ。
ラバウル上空での空戦では三号爆弾を使ってB-17を撃墜するという離れ業を見せ付けたが、次第に使用されなくなっていった。
関連項目
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