曖昧さ回避
本記事にて扱う日本刀をモチーフにした刀剣乱舞のキャラクターは右記参照 → 亀甲貞宗(刀剣乱舞)
概要
刀工正宗の実子あるいは養子といわれている刀匠、相州貞宗作の無銘貞宗が一振。享保名物帳によれば全長二尺三寸四分程で、国宝データベースでは70.9cmと記録されている。茎(なかご)に亀甲菊花文の彫物があるのが特徴で、表は掻き流し、裏は掻き通しの乱れ刃。その為、無銘貞宗の中ではこの亀甲の彫物が特徴となっているため、現在の通称がついた。
元々は雲州松江藩の藩祖である松平出羽守直政が所持していた刀で、この亀甲紋は松江藩ではおなじみ出雲大社で使用されている『二重亀甲に剣花菱』をヒントにしたのではという説もあるが真偽は不明。後にこの刀は奥州窪田藩にある土方家に伝わるが、3代目藩主である伊賀守雄隆が御家騒動でやらかしたせいで土方家は断絶、見事に本刀は売り飛ばされてしまう。
結果、本阿弥光甫から南部藩の御用人赤沢某が買い、南部信濃守行信へ献上される。そして元禄11年(1698年)、本刀クラス以上の価値を持つ刀を探し求めていた尾張徳川家が買い取り(代わりに南部家には道誉一文字と綾小路行光がプレゼントされた)、宗瑞正宗と共に徳川綱吉に献上された。以後、亀甲貞宗は将軍家においてを代々世子に譲る名刀となった。
時を経て昭和8年(1933年)7月25日、徳川家達公爵所持だった亀甲貞宗は重要美術品に指定され、昭和11年(1936年)5月6日に旧国宝指定を受けた。当時はまだ徳川家達公爵の所持品だったが、昭和15年(1940年)に行われた紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会に出展された。更に時が経ち、刀は徳川家達公爵から渡邊三郎の手に渡り、昭和40年(1965年)5月29日には改めて国宝指定を受けた。現在は子息である渡邊誠一郎の手により東京国立博物館へ寄贈された。
なお、2016年8月23日~11月13日までの間、東京国立博物館の本館13室にて展示されているので、興味のある人は見に行ってみるといいかもしれない。
関連項目
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