事後諸葛亮(事后诸葛亮)とは、「だろうと思った」「そら見たことか」等と、後になってから、初めて以前から知っていたかのように口出しする人を指す中国語圏のスラングである。事後諸葛、事後孔明とも。
概要
「諸葛亮」というのは三国志で有名な、中国に実在した軍師であり、知恵のある人物・策士として後世に知られている。
世の中には事が起こった後になって知識をひけらかし、「こうすればよかっただろう」と策を示してくる人がいる。このような人物を指して、諸葛亮の名前を使って「事後諸葛亮」と呼ぶ。プロや当事者でも事前の予想ができない、または予想が難しい出来事への対応について、「これしかなかっただろう」と後になってから物申す人に対してよく使われる。
日本語では「後出し孔明」「後孔明」とも呼ぶ。「孔明」は諸葛亮の字(あざな)。
初出
1975年に出版された向春の小説「煤城怒火」の第二二章が中国語圏のネット上の多くのページで初出とされている。
Twitterでは2008年から既にツイートが見られるため、インターネットの普及期かそれより前から使われていたものと思われる。
2010年代になってから日本でTwitterを中心に一部で言葉の存在が知られるようになり、2019年以降にTwitterで人気ツイートが複数生まれた。さらに2020年1月末にラジオ番組「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」で取り上げられたことでTwitterのトレンド入りし、多くの人に知られるようになった。
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https://twitter.com/Fumiaki_Taka/status/1174161358935347201
なお、三国志関連の文献で諸葛亮自身が後知恵をしたという記録や描写は残っていない。
余談だが、「これは孔明の罠なのでは?」などといろいろ事前に考えて不安になってしまうことを「事前司馬懿」と呼ぶ動きもあるようだ。恐らく横山三国志の影響と思われる。
事後諸葛亮に関連する言葉
後知恵バイアス
認知バイアスの記事を参照。英語では「hindsight bias」。
下種(下衆)の後知恵
日本のことわざ。頭が悪い、劣った人は必要な時に何も思いつかず、後から名案が浮かんでくるという意味。「下種の知恵は後から」とも。
対義語が「先見の明」とされることもある。
結果論
原因や動機を考えず、その結果だけから物事を論じることを指す日本語。「結果論ではあるが…」という自分の意見に対する枕詞としても使われる。
マンデー・モーニング・クォーターバック
アメリカのスラング。日曜のアメリカンフットボールの試合について、月曜日の朝(マンデー・モーニング)に「俺だったらこうする」等とあれこれ批評をする人のこと。「クォーターバック」とは、アメフトでプレイの指示役になる中心的な選手のこと。略称は「MMQB」。
関連動画
関連リンク
- gryphon「中国語には後知恵を意味する「事後諸葛亮」という言葉がある。/プラス「MMQB(マンデーモーニング・クォーターバック/米国の言葉)」の再紹介」(INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-、はてなブログ)
- 煤城怒火(Google Books)
- 事後諸葛亮(基隆市武崙國小成語詞典)
関連項目
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