- プロ野球選手一覧 > 五十嵐亮太
五十嵐亮太(いがらし りょうた、1979年5月28日-)とは、北海道出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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五十嵐亮太 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道留萌市 |
生年月日 | 1979年5月28日 |
身長 体重 |
180cm 91kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1997年ドラフト2位 |
引退 | 2020年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
敬愛学園高校から1997年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。
ヤクルト時代
1999年は中継ぎとして6勝をあげた。この年は154km/hをマークした。2000年はまた中継ぎとして11勝をあげ、古田敦也と共に最優秀バッテリーに選ばれた。
2001年は故障が多かったが、41試合に登板し、優勝に貢献した。しかし日本シリーズでは第2戦タフィ・ローズにホームランを打たれて以降出場しなかった。
2002年は石井弘寿と共に「ロケットボーイズ」の愛称がつき、2004年からはストッパーとなり、当時日本最速タイの158km/hをマークした。
2005年からは故障が相次ぎ、2006年オフに右肘靭帯を断裂し、トミー・ジョン手術を受ける。
2007年は1試合も出場できなかったが、2008年には157km/hをマークした。
2008年にFA権を取得し、2009年オフに行使。ニューヨーク・メッツに移籍した。
MLB時代
2011年オフにFAとなり、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ。
2012年は3月30日にトロント・ブルージェイズに移籍。5月25日にメジャー昇格したが、戦力外通告を受け、ニューヨーク・ヤンキースに移籍し、6月7日にメジャー昇格するが、メジャーに上がっては数日で降格するのを数回繰り返し2試合に登板したのみに終わった。オフにFAとなり、阪神タイガースなどが獲得に動いたが、11月16日に福岡ソフトバンクホークスに入団が決定した。
ソフトバンク時代
2013年は開幕当初打ち込まれ、自ら志願して二軍で再調整。5月末に一軍復帰すると見違えるようなピッチングを見せ、セットアッパーとなる。夏場からはクローザーに配置転換され、最終的には51試合で3勝3敗12セーブ11ホールド、防御率2.51と好成績を残した。またこの年、地味にNPB史上初となる救援登板のみでの通算50勝を達成。
2014年は開幕からセットアッパーとして貢献し続け、8月28日の北海道日本ハムファイターズ戦で通算100ホールドを達成。ところが9月に3敗と突如崩れる。特に9月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では史上5人目の1イニング4押し出しをやらかし、マジックを消滅させた。その後は修正し、10月2日の優勝が決定するオリックス・バファローズ戦では1回を無失点に抑え優勝に貢献。この年のシーズン44ホールドは地味にパ・リーグ新記録となった(しかし最優秀中継ぎ投手のタイトルは6勝42ホールドの佐藤達也に奪われた)。日本シリーズでは4試合の登板で要所を抑え、日本一に貢献した。
2015年は開幕に出遅れたが、4月半ばに昇格すると引き続きセットアッパーとしてフル回転。54試合に登板して31ホールドを挙げ、防御率1.38で2年連続日本一に貢献した。オフに2年総額7億円で契約した。
2016年は開幕を一軍で迎えたが、4月21日に左太ももの肉離れで戦線離脱し、6月に復帰する。8月28日の千葉ロッテマリーンズ戦で通算700試合登板を達成した。
2017年も左太もも裏の負傷で離脱したこともあり、46試合の登板に留まった。
2018年は23試合の登板に留まり、オフに自由契約となった。
ヤクルト復帰後
2018年12月26日に古巣のヤクルトに入団した。背番号は53。
2019年4月5日の中日戦において、古巣・ヤクルトでは約9年半ぶりに勝利をあげる。その後も4月だけで5勝をあげ、40歳シーズン以上での月間5勝という史上初の快挙を成し遂げる。5月28日の広島戦では史上7人目となるNPB通算800登板、8月8日の阪神戦では日米通算900試合登板も達成。最終的に45試合 防御率2.98の好成績を残し、戦力外からの復活を遂げた。
2020年は開幕直前からのコンディション不良が災いし、二軍での調整が続く。10月にはシーズン限りでの引退を表明し、10月25日の中日戦で引退試合が行われた。この引退試合での登板により、4つの世代(1990年代~2020年代)で一軍出場を経験。NPB史上5人目の選手となった。
人物・プレースタイル
- ヤクルト時代は典型的なノーコン速球派で、150km/h超の荒れ球ストレートでゴリ押しし、フォークで三振を奪うタイプのパワーピッチャーだった。
- メジャーを経てのソフトバンク移籍後は、球速は落ちたがコントロールが安定。ヤンキースで覚えたナックルカーブを武器にベテランらしい投球術を身につけ、三十代半ばにして全盛期を迎えている。ただ、2014年の4押し出しのように、今でも荒れるときは荒れる。それもまた五十嵐。
- SMAPの木村拓哉に似ているため、「球界のキムタク」と呼ばれている、なお本人は頑なに否定している。
- 野村克也監督時代にヤクルトへ入団した選手としては最後の現役選手となった。
- 2008年のシーズンオフ、自称親友の覆面レスラー「スワローズマン」が登場。オフの間トレーニングのパートナーとして行動を共にしていたらしく、ブログを開設してファンと交流したり(現在は閉鎖済み)、あろうことかあの蝶野正洋氏と対談したこともあった。
しかし五十嵐のメジャー挑戦と同時に「メキシコでプロレスする」という理由で日本での活動を休止した。
余談だが2019年のオフにウインターリーグ参加中、現地のメキシコにて再会を果たした模様。五十嵐曰く元気にやってるらしい、また日本で見られる日も近いかもしれない。
(正体はもちろん五十嵐本人だが、マスクは本物の覆面レスラー「U.M.A.」氏からプレゼントされたものであり、ネタキャラとはいえかなり凝っていた)
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#827 | 11317 |
成績
通算投手成績
通算:21年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB:18年 | 823 | 0 | 0 | 0 | 65 | 39 | 70 | 163 | .625 | 866.1 | 362 | 920 | 305 | 282 | 2.93 |
MLB:3年 | 83 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 4 | .714 | 73.0 | 51 | 72 | 52 | 52 | 6.41 |
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関連項目
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