通称「タキ井上」。
概要である(汗)!
1985年に日本でレースデビュー後、1987年にイギリスに渡ってジム・ラッセル・レーシングスクールに入学、ドライビングの研鑽を図る。卒業後はイギリスのフォーミュラ・フォード選手権に参戦。
1990年に帰国して、全日本F3選手権に4年間参戦、その間に英会話教室のNOVAやユニマットなどのスポンサーを得る。
1994年にNOVA傘下のSUPER NOVAレーシングで国際F3000に参戦後、日本GPでシムテックからスポットで参戦した。
1995年にアロウズでレギュラードライバー契約を果たす。これはスポンサー持ち込みによるペイドライバーとしては日本人初のことである(大半は下位クラスでのチャンピオン経験者で、未経験者としては他に中野信治がいる)。
しかし、マシンに速さも信頼性もなく、完走できたのはわずか5回で、ポイント獲得は出来なかった。
逆にF1に残る珍プレーで話題となってしまった。特にハンガリーGPでは、エンジントラブルでリタイヤした後、マシンから炎が上がったのに気づいて消火器を持って駆けつけたところ、同じく駆けつけたレスキューカーにはねられる事故に遭ってしまったのである(汗)!
本人は無事であったものの、コース内でレースカー以外の車による事故として珍しいものとなった(下記動画を参照)。
ちなみにフジテレビのインタビューに対して、持ち込みスポンサーの広告料で作ったマシンのダメージを心配する傍ら、「ついてないね」と、大したことなのに大したことでもないようなクールなコメントをした。
その後はF1シートを獲得できず、そのほかのレースにもわずかに参戦したものの、2000年頃には活動が無くなったのである(汗)!
本人はペイドライバーであることを恥とはせず、若手ドライバーにもスポンサー獲得やペイドライバーとして参戦することを勧めているが、本人は実力が伴わなかったこともあって、F1で走る器でなかったことを述懐している。
現在は実業家の傍ら2002年に設立した「ユーロ・ノヴァ・レーシング」のオーナーを務め、若手ドライバーのマネージメントなどを行っている。
2013年にはイギリスF3での優勝経験を持つ佐藤公哉とともにAUTO GPに参戦、佐藤は開幕戦のレース2で早くも優勝を遂げている。また、カート出身の笹原右京もフォーミュラ・ルノー・アルプスシリーズでの参戦もサポートしている。
現在でも、ツイッターなどでF1に関する情報をつぶやいている。その内容もかなり辛辣なものが多く、賛否両論がある(汗)!
2013年には、イギリスAUTOSPORT誌で過去20年で最悪のドライバーの投票に、井上自らが立候補。「ヘイ、ミスター! 誰が史上最悪のF1ドライバーかなんて考えるまでもない!! この僕、タキ井上に決まっている」とアピールすると、見事1位に輝いた。
獲得後の彼のコメント、「皆さんのおかげでTaki Inoueが過去20年間で最悪のF1ドライバーに選ばれました。これで名実ともに最悪ドライバーを名乗れるようになった事をここにご報告差し上げます。よっしゃ~(汗)!!」
ここまで自らネタにしては、もはやこの一言しかいうべき言葉もないだろう。おめでとう(汗)!
関連動画である(汗)!
関連商品である(汗)!
関連コミュニティである(汗)!
関連項目である(汗)!
- 3
- 0pt