- プロ野球選手一覧 > 井口資仁
井口資仁(いぐち ただひと、1974年12月4日-)とは、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)である。
本名及び2000年までの登録名は「井口忠仁」。
概要
OB | |
---|---|
井口資仁 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都田無市 |
生年月日 | 1974年12月4日 |
身長 体重 |
178cm 91kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手、一塁手 |
プロ入り | 1996年ドラフト1位 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
選手歴
|
|
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 1996年 |
プロ野球選手テンプレート |
國學院大學久我山高等学校で内野手にコンバートし、2年に甲子園に出場した。
青山学院大学に進学し、アトランタ五輪に出場し銀メダル獲得に貢献した。1996年福岡ダイエーホークスをドラフト1位で逆指名して入団した。背番号は7。
ダイエー時代
入団時は遊撃手で、打撃を期待され1年目から積極的に起用されたが、低打率で2000年頃までは主に下位打線を打っていた。
2001年、鳥越裕介の遊撃レギュラー定着で二塁手にコンバートされると、この年30本塁打・44盗塁をマークして覚醒。以降二塁手の不動のレギュラーとなり、盗塁王2回、ゴールデングラブ賞3回の足と守備に加え、2003年には100打点も記録する走攻守揃った球界最高峰の二塁手として活躍した。
MLB時代
2005年からメジャーリーグのシカゴ・ホワイトソックスに入団。地区優勝とリーグ優勝に貢献し、ワールドシリーズ制覇に貢献した。
2007年はフィラデルフィア・フィリーズに移籍。
2008年にはサンディエゴ・パドレスに移籍したが戦力外通告を受け、その後古巣のフィリーズに移籍。出場はしなかったが、ワールドシリーズを制した。
ロッテ時代
2009年、日本球界に復帰し千葉ロッテマリーンズに入団。4月7日の北海道日本ハムファイターズ戦では4番で本塁打を打ち、史上7人目の「全打順で本塁打」を達成した。
2013年、鈴木大地の台頭や、ベテラン勢の守備負担の軽減目的もありプロ入り初の一塁へコンバートされた(程なくして鈴木は遊撃に、根元俊一が二塁へコンバートされた)。コンバート前は打撃が絶不調だったが、一塁コンバート以降は絶好調。7月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、田中将大からソロホームランを放って日米通算2000本安打(史上48人目)を達成した。
2016年は球界最年長野手(41歳)となる。代打とスタメンで交互に起用され、79試合に出場。9月1日のオリックス・バファローズ戦で通算1000打点を達成した。
2017年はパ・リーグ最年長選手となり、5月25日の福岡ソフトバンクホークス戦で通算250本塁打を達成。6月20日に現役引退を表明した。引退試合となった9月24日の日本ハム戦では9回裏に増井浩俊から試合を振り出しに戻す同点2ランホームランを記録。増井からは「引退する人の打撃じゃない」と称賛された。試合は鈴木大地がサヨナラタイムリーを放ち、引退試合に華を添えた。10月12日にロッテの一軍監督に就任することが球団から正式に発表された。元メジャーリーガーが一軍監督に就くのは史上初である。
ロッテ監督時代
2019年9月9日のソフトバンク戦の4回ではベンチを出て審判に抗議しただけで退場処分を受ける。選手時代を含めても初めてのことだった。
2020年はソフトバンクと首位を競ったが、コロナ禍で主力選手が離脱。3位の西武に追い抜かれそうになったが2位を死守し、チームは4年ぶりのクライマックスシリーズに進出した。クライマックスシリーズではソフトバンクに2敗で敗退した。
2021年はオリックス・バファローズと優勝を競ったが、2.5ゲーム差で首位に立てず2年連続の2位となった。クライマックスシリーズではファイナルステージに進出したが、オリックスに勝てなかった。
2022年は3年ぶりにBクラスに低迷し、10月2日に退任が発表された。
プレースタイル
ロッテ移籍後は、毎年春先は絶好調で打ちまくるが、後半戦では調子を落とすというパターンが多い。そのことから、打撃絶好調時は「春井口」、不調時は「夏井口」と言われる。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
ダイエー | 応援歌のピコカキコ一覧#560 | 10199 | |
ロッテ | 応援歌のピコカキコ一覧#109 | 8692 | |
ロッテ2 | 応援歌のピコカキコ一覧#133 | 8725 |
成績
通算打撃成績
通算:21年 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB:17年 | 1915 | 7535 | 6512 | 939 | 1760 | 367 | 26 | 251 | 1017 | 176 | 41 | 58 | 778 | 146 | 1409 | 149 | .270 | .358 |
MLB:4年 | 493 | 2078 | 1841 | 267 | 494 | 91 | 11 | 44 | 205 | 48 | 22 | 14 | 189 | 12 | 387 | 40 | .268 | .338 |
年度別監督成績
- ※太字は日本一
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2018年 | ロッテ | 5位 | 143 | 59 | 81 | 3 | .421 | |
2019年 | 4位 | 143 | 69 | 70 | 4 | .496 | ||
2020年 | 2位 | 120 | 60 | 57 | 3 | .513 | クライマックスシリーズ敗退 | |
2021年 | 2位 | 143 | 67 | 57 | 19 | .540 | クライマックスシリーズ敗退 | |
2022年 | 5位 | 143 | 69 | 73 | 1 | .486 | ||
NPB:5年 | 692 | 324 | 338 | 30 | .489 | Aクラス:2回、Bクラス:3回 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | |||
---|---|---|---|
NPB | 盗塁王 | 2回 | 2001年、2003年 |
表彰 | |||
NPB | ベストナイン | 3回 | 2001年、2003年、2004年 |
ゴールデングラブ賞 | 3回 | 2001年、2003年、2004年 | |
日本シリーズ優秀選手賞 | 1回 | 2003年 | |
月間MVP | 3回 | 2004年8月、2011年5月、2013年5月 | |
その他 | |||
NPB | オールスターゲーム出場 | 9回 | 2001年-2004年、2009年-2013年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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