京都サンガF.C.とは、日本のフットボールクラブである。ホームタウンは京都市及び宇治市、城陽市、長岡京市、向日市、京田辺市、木津川市、亀岡市、福知山市、舞鶴市、綾部市、南丹市、京丹波町、八幡市。
ホームスタジアムは京都府立京都スタジアム(京セラが取得した命名権により通称はサンガスタジアム by Kyocera)。
概要
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1922年設立の京都紫光クラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)を前身とし、Jリーグ所属のチームとしては日本最古である。京都パープルサンガとして、1996年よりJリーグへ加盟した。「サンガ(samgha)」はサンスクリット語で「仲間・群れ」の意。
初年度に開幕17連敗を記録するなど(2002年シーズンまでの延長Vゴール方式を採用していたJリーグの旧レギュレーションでは最長連敗記録)、かつては弱小クラブ筆頭であった。2000年に初めてのJ2降格。
2001年は降格後一年でJ1への復帰を果たし、2002年、松井大輔、朴智星らを中心とした若い世代の台頭もあり、シーズン年間5位、および天皇杯で優勝を飾った(現時点での唯一のビッグタイトル)。
しかし、2003年シーズンは朴の海外移籍や黒部の不調なども重なりリーグ戦では振るわずJ2へ2度目の降格。
2005年、アレモン、パウリーニョの2トップを擁し2シーズンぶりにJ1へ昇格するが、翌2006年思ったような補強が出来ずチームはダントツの最下位でJ2に3度目の降格。
2007年、チーム名を「京都サンガF.C.」へと変更。エンブレムなども一新した。この年、サンフレッチェ広島との入れ替え戦を勝利し3度目のJ1昇格を果たした。
2008年は元日本代表FW柳沢敦など積極的な補強を行い、7年ぶりのJ1残留を決めた。
2009年も最終的に残留を決め、2部制移行後初の2年以上のJ1定着を達成。
2010年にホームタウンを京都市のみから府南部の5市に拡大。成績は伴わずに4度目のJ2降格となった。
2011年は降格による戦力流出からユースから大幅に選手を昇格させるなど、選手層の薄さなどから、序盤からつまずいたのが大きく響きJ1への昇格に失敗したものの、リーグ後半からの好調を維持して望んだ天皇杯は、鹿島アントラーズ・横浜F・マリノスを次々に破る金星を重ねるなど快進撃し、最終的には準優勝。
2012年はホームタウンに府南部の木津川市を追加。リーグ戦は最終節まで自動昇格圏の2位だったものの、その最終節、ヴァンフォーレ甲府にスコアレスドローで3位で終了。またJ1昇格プレーオフでも大分トリニータに破れたため、J1への昇格は失敗した。
2013年も年間3位となりJ1昇格プレーオフへ進むが、決勝で徳島ヴォルティスに破れまたしても昇格に失敗した。
2019年は一時首位を走るものの失速。最終節で柏レイソルに勝てばJ1参入プレーオフ進出という場面で13-1という前代未聞のスコアを記録(詳細は一三スコアを参照)。
2020年も昇格には届かなかったが、2021年持ち前の堅守でJ2最小失点を記録し、12年ぶりに4度目のJ1昇格を果たした。
かねてからの懸案だった西京極競技場に替わる、新しいホームスタジアムの建設予定地は京都府亀岡市、JR嵯峨野線亀岡駅前を中心とする土地に決定。2014年にはその亀岡市もホームタウンとして認定されている。序文のとおり、2020年シーズンよりホームスタジアムを移転した。
長きにわたってスポンサーを務める京セラの稲盛和夫元会長は、「何でも成功できる稲盛さんが京都サンガだけはうまくいきませんね」と周囲に冷やかされていることを明かし、「1つくらいそういう悩ましいものがある方がいいのだろうと神さまが思っておられるのだろう」と返したのだとか。
京都といえばかつての白河法皇が天下三不如意として賀茂川の水、双六の賽、山法師(延暦寺の僧兵)を挙げているが、ある意味現代版天下三不如意の一つにサンガがあるのかもしれない。
エレベータークラブ
俗に、サッカーにおいて上部リーグと下部リーグを行ったり来たりするクラブを指す言葉。
Jリーグが開幕して四半世紀、J2リーグが発足してから20年ほどと歴史の浅いJリーグにおいてこのクラブは上述の通りエレベータークラブの代名詞的存在になりつつある。
4度のJ2降格はコンサドーレ札幌と並びJリーグ最多記録、3度のJ1昇格はヴァンフォーレ甲府と並びJリーグ最多記録である。
そんなチームも2010年にJ2へ降格してから昇格はなく、すっかりJ2が定着したが、上述のとおり2021年に久しぶりにJ1昇格を果たしたことでエレベータークラブから脱却できるか注目である。
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関連項目
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