京都市とは、京都府南部の都市。京都府の府庁所在地で、政令指定都市。京都府の人口の半分以上を占める。このような全都道府県人口の過半数となるプライメイトシティは全国では京都市だけである。
基礎データ | |
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面積 | 827.90km² |
人口 | 約137万人 (全国第7位) |
市の木 | シダレヤナギ タカオカエデ カツラ |
市の花 | ツバキ ツツジ サトザクラ |
行政区 | 北区 上京区 左京区 中京区 東山区 下京区 南区 右京区 伏見区 山科区 西京区 大津区 |
紋章 |
概要
国内外から年に5000万人近くが訪れる、日本有数の観光都市。1200年の歴史からくる伝統を維持しつつ、時おり新しい文化を取り込んでいく町である。ただ、最近はちょっとばかりあさっての方向にぶっ飛んだ挙句「狂都」と称されることもある。
関西以外からは観光産業と伝統工芸が主と思われがちだが、昔から「伝統工芸」として工業が発達していた影響からか、京セラ、島津製作所、村田製作所(現在は長岡京市に移転)、日本電産、オムロンなどの先端技術企業や任天堂、ワコール、タキイ種苗などの業界トップの本社を抱える工業都市でもある。元々江戸時代から江戸は武士の町、大坂は商人の町、京は坊さんと職人の町といわれている。また京都は、保守的に見えて進取的で、新しいもの好きである一面もあり、これが先進的な工業を生む土壌を作った。
また、京都市は京都大学、同志社大学、立命館大学、龍谷大学、佛教大学、ノートルダム女子大学など大学を多く抱え、一説には50万人近い学生を持つ「学生の街」でもある。「一見さんお断り」や独特の表現・文化など、いわゆる「よそさん」にとっては厳しい一面も持つのだが、学都、文化の都という自負も強いためか学生に対してはなんか理解があり優しい。自由な校風と学生自治の伝統から来る京大生のフリーダムぶりはよく知られる。
そして、京都市は決して観光写真で見るような”平安京ランド”なんかではなく、普通に大都市である(大体、人口140万も居て古都のままなわけがないだろ、常識的に)。金融街、ビジネス街の烏丸七条や官公庁街の河原町三条などはモダンなビルが建ち並び、繁華街の四条河原町や四条烏丸などには商業ビルがひしめき合う。そして、七条と八条の間に位置する京都駅は博多駅を凌ぐ現代的な巨大ターミナル駅である。ただ、後述する景観条例があるために高層ビルを作れないだけである(そのため、京都市内の超高層ビルは洛南にある日本電産ビル1本だけである)。逆に、その景観規制が存在するため、市街地は東西南北に発展していき非常に広大となり、京都駅の南(洛南)も八条通、九条通、十条通、久世橋通と開発されていき、単純な市街地の広さだけなら福岡や札幌をも凌いでいる。
また、都市雇用圏人口は札幌や福岡を凌ぎ、全国で4位(約260万人)である。
京言葉(京都弁)
京言葉は主に京都市旧市街で話される方言で、TVドラマ等を通じてよく知られている方言の一つ。遠まわしな表現や敬語が多用され、なるべく柔らかい口調で角がたたないような表現を用いるのが特徴。また独特の語彙も多い。ちゃんと話せる人は実は少ない。詳しくは京言葉の記事などを参照。
よく言われる「ぶぶ漬け=帰れ」は、実際には「今はぶぶ漬けみたいな粗末なものしかお出しできないからまた日を改めてお越しください」を意味するか、もしくは「食事を勧める→客人に食事時の訪問(=常識的に考えれば失礼な行為)であるということを暗に気づかせる」ということを狙ったものであるとされる。誤解を恐れず簡単に言うと、「空気嫁」をお互いの対面を保ちつつ表現するための方法なのである。桂米朝によれば、京都の人は質素倹約な人が多く、そのためお客が来ても満足させられるような食事は出せないという事情もあったフォローしている(京の茶漬けという落語の演目にもしている)。
なお、これ自体あくまで「京都における遠まわしな表現」の喩えであるため、この体験を実際にした人がどれだけいるかは定かでない。
また、京都の人はどこから来ても「田舎からよく起こしやした」と言うので、真に受けてしまう人がたまに機嫌を損ねてしまうが、京はずっと日本の中心であったこと、それは真摯に受け止め、普通にやり過ごすべし。逆に、煽てにはすごく弱く、褒めちぎれば仲良くなれることが多い。
あと、京都といえば「~どす」という芸妓の言葉が有名だが、一般人は全く使わない。この言葉尻で他地方の人がからかうと、本当に機嫌を損ねさせるドスのようなものを突きつけられるかもしれないから注意すべし。だが「おこしやす」という挨拶や「~してはる」という言い方は男の人も普通に使っている。
そのほかの豆知識・トリビア
歴史
- 平安京の時代から続く大都市。何度も戦争や火事で焼けては、甦ったしぶとい奴である。
- しかし、そもそも平安京創建時の計画は予算不足で途中で頓挫し、さらに西半分(右京)は湿地帯であったために、旧来の街は東半分(左京)しか栄えなかった。それに戦火や火災で何度も焼けているので、現在の京都は「平安京の土台の上にある都市」と考えた方がよい。
- なお、京都に行くことを上洛という雅語を用いるが、この「洛」とは元々、朝廷のある左京を意味した。そして、京都は中国の長安(今の西安)、そして洛陽に影響を受けており、右京を長安、左京を洛陽と呼び分けていたからである。なお、室町時代ぐらいまでは京に出向くことを上京という言葉も使っていたことがあるらしいが、江戸時代には既に上京とは江戸に行くことも意味していた(そもそも、上京とは諸地方在住者が都に出向くことを指した)らしく、今日上京というと、上京(かみぎょう)区と紛らわしい理由もあるため、京都市民でもほぼ東京方面へ行くことを意味している。また、洛は京都市街を指し、中心地を洛中、近郊の開発エリアをそれぞれ洛南(八条通以南)、洛北(北大路通以北)、洛東(東大路通以東)、洛西(西大路通以西)と呼んでいる。
- 凄惨な争乱が複数回起こっているため、「昔たくさん人が死んだ病院」「戦国時代に大名が殺された土地」などが心霊スポットとして取り上げられた際には「そんな程度で幽霊が出るなら京都は幽霊だらけやろ」というツッコミに使われる。
- 地面を掘り返すと、高確率で何かが出てくるという土地。地下鉄一本通すのも一苦労。東西線はそのために、とてつもない建設費用がかかっている。(北陸新幹線桂川駅案はそういった事態を回避するための案だと言われている。)
- 第二次世界大戦の戦火をあまり受けていない(勘違いしている人もいるがゼロではない)ため、京都市民が「先の大戦」と呼ぶ場合、その大戦は都が焦土と化した応仁の乱であると言う人もいる。
- 京都こそが都だと信じてやまない人も多い。なお、大阪には一目置いている人と敵視している人の両極端に分かれる。そのため、京都では阪急よりおけいはん(京阪)に愛着がある人が多い(京阪の本社は大阪の枚方だけど)。また、関西No.2の座を饒って神戸とも争っている人もいるが、基本は京阪神三都の仲は悪くはない。
- 天皇家や文化財を東京に奪われたことは未だに根に持っている人(特に年配層)が多く、「田舎からよく起こしやした」という発言は東国出身を嘲け笑う近世からの風習である(実を言えば、東国以外の他地方出身者になら言わない)。今もその遺恨は根強く残っており、京都の企業は大阪と違い、本社を東京に移すことはない(ふとんの西川が東京に集約しようとしたが、結果的に京都、東京、大阪に本社を残すことになった例など)。一方で、大阪への対抗意識なのか不明だが、大阪よりいち早く在京系チェーン店を誘致したり、なぜか歴史的に読売巨人軍のファンが多かったり、よくわからない立ち位置である。
土地・地理
- 別に、今の道路がキチンとした碁盤目というわけではないが、「烏丸御池」のように、縦+横の通名を合わせた交差点名も中心部に存在し、交差点名はだいたい南北の大通り+東西の大通りとなっている(出町柳(東大路+今出川)、円町(西大路+丸太町)、西院(西大路+七条)など西大路通、東大路通は例外多数)。後述する四条河原町の場合、四条通+河原町通という組み合わせとなる。だいたい南北の大通り(片側2車線以上)は北から北山通、北大路通、今出川通、丸太町通、御池通、四条通、五条通、七条通、(八条通)、九条通、十条通、久世橋通…となり、東西の大通りは、西から西大路通、千本通・大宮通、堀川通、烏丸通、河原町通、川端通、東大路通、白川通となっている。南北で最大の通りが堀川通、東西で最大の通りが御池通であり、これらは片側4車線にも及ぶ。また大阪と違い、東西、南北とも通なので注意。
- この通りを覚えるわらべ歌がある。南北の歌もあるのだが、丸竹夷ニ押御池姉三六角蛸錦…という東西の通りの方が有名か。
- ほぼ碁盤目に道路が形成されていることから車で行動しやすいように見えるが、道が狭く、そこらじゅうに一方通行があり、車や自転車の運転マナーも正直そこまで良くない。また中心部は修学旅行生や観光客、外国人、大学生その他でごった返しているのだが、幹線道路は自動車交通も激しいため、歩行者ですし詰めとなっており、かなり危険。また近年では、歩行者の安全確保のため歩道を拡張したところ、今度は車線を減らされた自動車交通が麻痺気味な状態にある。加えて学生の自転車、バイクと原付、更にバスにタクシーも多いため、車の運転は超上級レベルである。観光に来たら、レンタカーを借りるのは自殺行為。金がある、グループで来たならタクシーを使うのが一番。体力に余裕があるなら地図アプリを頼りにレンタサイクルを用いるのも良いだろう。
- バス交通も充実しているが、運転手の当たり外れがけっこう激しい(阪急バスの出向組とそうでない人の…おや、誰かがノックしてはる)上に、路線系統が複雑を極める。
- 京都市民は「北上」「南下」のことをそれぞれ「上がる」「下がる」と言う(例:「烏丸御池上がったとこにあるお店」)。
- 左京区は東側、右京区は西側にある。これは大内裏から見た位置に因む。なお中京区、上京区、下京区もある。西京区もあるが、東京区、南京区、北京区はなく、東山区、南区、北区となっている。
- 住所でも交差点を基準に「上ル(あがる)」「下ル(さがる)」「東入ル(いる)」「西入ル」という表現が使われる場合があり、「京都市中京区寺町通御池上ル上本能寺前町488」(京都市役所)のように表記する。「のぼる」「くだる」「はいる」とは読まないので注意。
これは基本的に市内でのみ通用する標記であり、グーグルマップなどで調べると違う=全国標準の住所標記が出てくる。でも郵便物は京都ローカルの住所表記で届くようになっている。 - 京都駅北口も第二の繁華街として賑わっている。特にジェイアール京都伊勢丹ができてから一気に垢抜けた。少し離れた梅小路公園や崇仁も再開発され、梅小路は水族館と鉄道博物館を擁する新たな観光スポットとして、崇仁は「諸事情」を伝えながら発展する新たな街となることが期待されている。
- そんな京都も市街地から離れると、山しかない。鞍馬や大原、果ては花背(福井県との県境)や広河原、京北町まで行政上は京都市内である。とはいっても先述通り市街地面積はかなり広く、縦に市街地が発展した神戸市とは対照的。業務中心地の総面積も3大都市に次ぐ規模であり、福岡や札幌より広かったりする。
- ちょっと、仁丹の地名看板を探してみよう。
京都と景観
- 京都市中心部は景観保護条例で高い建物が建てられない。京都タワーや京都駅は結構批判を受けた。今では普通に受け入れられているけど。市内で最も高いのは南区にある日本電産本社ビルで、高さ100m以上のビルはこれのみ。これですら建てる時に遺跡が見つかって、地下にその遺跡を保存してるという。なお、相国寺にかつて建てられていたとされる八角七重塔は、14世紀末の建造物でありながら高さ109mだったと言われる。落雷によって築4年で焼け落ちたが。
- 近年では財政難による住民増加策の一環として京都駅から南側の高さ規制が緩和されている。
- 高層ビルにかかわらずとも、京都では景観に関する議論がしょっちゅう起きる。市街中心部では、景観に配慮して有名チェーン店の看板の色が地味(マクドナルド→赤褐色 など)。
- また、この景観条例のために、都市高速も作れない。そのため、東西、南北の大通りは慢性的な渋滞に悩まされており、交差点の多さも相まって市街地を移動するのにも時間がかかっている。将来的には地下に自動車専用道を通す計画が浮上しているのだが…。
- また、この景観条例は夜間の光源も規制されている。そのため、他の大都市の夜景と比較すると物寂しさがあり、あまり夜景を自慢にしてはいない。特に夜景を売りとしている神戸市や空路による高度規制で中層ビルが多いながらも、にぎやかな繁華街が見られる福岡市との落差は歴然である。
- ただ、これらの高層建造物規制や光源規制は京都のお盆を彩る五山の送り火のすべてが洛中のすべてのエリアから綺麗に見えるように、という景観配慮に基づいているので、あまり京都市民から不満の声はないどころか、大いに歓迎されている。
- 中心部への大規模店舗の出店が制限されていることと学生、工場が多いことから、コンビニがやたら多い(人口比では日本一といわれる)。市が温室効果ガス削減のためにコンビニ深夜営業規制を発表して注目を浴びたが、当然業界からの大反発も浴び、話はこじれている。効果を疑問視する声もあり、今後の動向が注目される。また、かつてはコンビニ商品のモニターとして京都がうってつけだったため、全国大手コンビニ上位10店舗のうちスリーエフ以外全部揃っていた(ポプラやセーブオン、セイコーマートまであった)。
- 時代と共に高層・近代化が進んだが、明治~昭和前半(いわゆる建築基準法が制定される前)に建てられた伝統的な町家(京町家)が結構残っている。年々減りつつあるが、市民団体の手により保存を望む団体が出現、平成20年には「景観法」の施行をきっかけに、全国に先駆けて景観条例を発布。また、2016年7月に「町家の日」を3月8日の記念日として制定し、京都だけでなく全国にも周知を広めようと努めている。
- 最近は海外からの観光客の増加が影響しているためか、京町家が宿として使われる例が21世紀(特に2000年代後半)になって急増している。ホステル・ゲストハウスと呼ばれる宿泊施設(いわゆる簡易宿所)や、町家を一軒そのまま借りれる宿が続出。まさにホテルや旅館とは一味違った、「京都に住んでみる」感覚を味わうことができる。2017年には、主に女性の下着で知られるメーカーのワコールが京町家などを宿泊施設として利用する事業にも参入した。
その他
- 盆地気候で、熱がこもって夏はとにかく蒸し暑い。一方で冬は比較的寒く、かつては「京の底冷え」といわれ、今でも大阪市で雨でも京都市で雪ということはよくある。
- 京都市北区にある御薗橋801商店街は801ちゃんで有名。
- 京都は関西でも名高いラーメン処の1つ。だが、西は薄味というイメージとは真逆のこってりしたスープと比較的細い麺が特徴。あっさりとしたヘルシーなラーメンは『京都』のラーメンではなく『京風』のラーメンであり、そのほとんどが京都発祥ではない。京都ラーメンは鶏ガラ白湯系(天下一品が有名)、トンコツ清湯系、背脂醤油系(第一旭、ますたにが有名)、濃厚醤油系(新福菜館が有名)など、さまざまな味や系統が存在するが、総じて魚介系出汁をあまり使わず、また味噌ラーメンも少ない。一方で、うどんはまさしくイメージどおりの味であり、利尻昆布を寝かせてダシをとるなど実にあっさりした味わい。
- 京都といえば和食文化…なんて間違ったイメージを抱いてはいけない。実は全国屈指のパン食文化圏であり、パン屋の数や洋菓子店の数は神戸にも匹敵し、朝食はパンという家庭が非常に多い。また、洋食専門店も多く、オムライスやハンバーグは年配の人にも人気が高い。
- また、「京野菜」と呼ばれる、京都で伝統的に栽培されてきた野菜も有名。九条ネギや水菜などが代表格。これらは「茶の栽培が盛んな山城ほど暖かくはなく、雪が積もる丹波ほど寒くはない」「大消費地に近く、また多種類の野菜が必要な料理がある」という地理的要因から発展してきたものである。
- その他食文化としては鱧、豆腐への執着が尋常でない。鱧は専用記事を見てもらったら分かるが、全国の4割を京都で消費する。豆腐は良質の地下水が流れる関係で、GMSの一般流通品すらハイレベルである(有名な男前豆腐も京都発)。また、鯖街道という言葉が残るほどサバへの執着もかなりのものである。
- 一方で、市外の人がイメージするほどそこまで漬物、宇治茶への愛着は強くない。特に宇治茶に至っては「あれは宇治ですやろ」とそっけない反応である。逆に茶屋のバリエーションは豊富で、筆者は京都で狭山茶、白川茶、出雲茶などを試飲しました。
- 京都タワーにはたわわちゃんというキャラクターがいる。結構可愛い。
- オタク御用達のエリアは、寺町通り・新京極通り。この通りの三条~四条の間は観光客や修学旅行生に人気のアーケード街だが、アニメイトやメロンブックス、らしんばんなどがひそかに入居している。四条~五条間は古くからの電気街であり、京都駅前の盛り上がりに合わせて徐々に死につつあったが、とらのあながオープンして再び賑わっている。ある。(とらのあなは寺町三条~四条間に移転したが後に閉店、四条~五条間では駿河屋が残る程度である。)
- 大原と大原野を間違う観光客が後を絶たない。タクシーで間違うと取り返しがつかないことになる。大原は左京区の北の外れ、大原野は西京区の西の外れにあり、30キロ以上離れている。大原野神社で「あの三千院行きたいんですけどどうしたらいいんですか?」って訊かれたら親切に、「ええ、車で北東へ30キロぐらい走ったらいいですよ」と答えてあげよう。
- 歴史的には日本一格式の高い遊郭と言われた島原遊郭は今は現存しない。そういった風俗街は徹底的に締め出した過去があるため、京都市内では存在しないことになっている。一方、先斗町や上七軒といった花街は伝統文化として残されている。奥には夜の遊びを楽しむお座敷もあるんだけどね。にも全部書けよ)
- またこれに関連して、公営競技場は京都の端も端にある京都競馬場一か所のみ。府内もう1つの公営競技・京都向日町競輪場は京都の隣町・向日市にある。1950年代には宝が池公園に競輪場があったのだが、市営ギャンブル[1]に対する疑問が噴出したため閉鎖され、児童専用公園として整備された。この後も2000年代初頭まで競輪場のスタンドが残されていた。
- 京都は盆地上の平地に桂川や賀茂川が南北に走る。そして、大雨や集中豪雨による水害がおこりやすく、特に桂川流域にある長安(右京)地区に朝廷や公家が住んでいなかったのも慢性的な河川氾濫があったためであり、現在では天神川などでは天井川の跡が見られる。近代も昭和10年の京都大水害や南山城水害などがあったが、それらの教訓を活かし水害対策の河川改修を行い、また、河底の浚渫、欄干の流木駆除などといった対策を全国に先駆けて実施している。今日でも右京エリアも景観の良さなどで北野や鷹峯、御室など高級住宅街が見られるが、一部では大通りのビルに隠蔽された低地の下町エリアもあったりする。
各区の概要
きわめて市域が広いこともあり、各区に名所旧跡が残るほか、各区内ですら全く特徴が異なる様々な地域が存在する。世界遺産に指定されている施設に関しては『古都京都の文化財』が詳しい。
区の順番は上記の表内の順に。各施設の並びは五十音順、通称がある場合は通称の方を採用している。
北区
金閣寺や左大文字、立命館大学のお膝元で有名な衣笠、市電車庫を再開発し副都心エリアとして発展した北大路駅など区内面積は広い。衣笠の裏山も北区で、氷室や原谷といった開発の進んだ地域から真弓、杉阪といった山間部集落までその形態は多彩。
- 上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
- 正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)。水の神様を祀る。京都三大祭の葵祭で知られる。左京区にある下鴨神社とともに世界遺産。下鴨神社は「鴨」だが上賀茂神社は「賀茂」である。
- 金閣寺(きんかくじ)
- 正式には鹿苑寺(ろくおんじ)であり、金閣はその中の構造物。金閣寺というのはあくまで俗称である。北山文化唯一の遺構。いつ行っても観光客しかいない。世界遺産。戦後まもなくは国宝だったが、あっち系の修行僧に燃やされ、その史実から三島由紀夫が「金閣寺」を著した。現在の建物は将来、再び国宝に指定されるようにと忠実に再現したもの。
- 大徳寺(だいとくじ)
- 名物和尚と枯山水の石庭で有名な臨済宗大徳寺派の総本山。京都五山に歯向かったために格を貶められ、その腹いせに五山制度を脱退し、独自の寺風を掲げた。
- 平野神社(ひらのじんじゃ)
- 桜の名所と某大学の学生の溜まり場として有名な神社。境内には200種類の桜が植えられている。平成30年の台風21号によって拝殿が倒壊、多くの桜の木が倒されるなど甚大な被害を受けた。上京区にある北野天満宮とは最短ルートで徒歩約3分の位置関係にあり、間に古い花街の名残を残す上七軒(かみしちけん)がある。
上京区 -かみぎょう-
上京(じょうきょう)にあらず。京都御所や西陣織で有名な西陣などを持つ地区であり、かつては朱雀大路が通る(現在は千本通)都の中心部であった。京都府庁やKBS京都なども上京区にあり、特に京都府庁は明治期に建てられた美しい旧本館と昭和天皇御大礼記念として建てられたモダン建築の旧警察本部が有名で、府庁旧本館は国重要文化財に指定されている。また、御所の北には金閣寺と銀閣寺の大本である相国寺、関西の名門同志社大学が隣接。そちらにも相国寺の歴史を伝えたるもの、あるいは京都におけるキリスト教史、さらには同志社大学が収集した資史料など、貴重な文化財が残されている。
- 上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)
- 平安遷都直後、桓武天皇との政争に敗れ憤死した早良親王の祟りとされる疫病の流行があり、それを鎮めるため建立された。その後平安朝で政争に敗れた者の祟りが伝えられる度に祭神が追加されたり変更されたりして、現在は「崇道天皇(早良親王)」「井上大皇后」「他戸親王」「藤原大夫人(藤原吉子)」「橘大夫(橘逸勢)」「文大夫(文室宮田麻呂)」「火雷神(ここまでの6人の荒魂、つまり怨霊だが、名前から「菅原道真」とするなど諸説あり)」「吉備大臣(吉備真備)」の八柱を「八所御霊」として祀っている。
実はこの上御霊神社のある地は、平安遷都以前からの当地豪族「出雲氏」の拠点であり、今でも「出雲路」という地名に名を残しているほか、この神社自体も出雲氏と深く関わっているという説がある。また後の世には応仁の乱がこの地から始まったりと、京都の歴史に深く関わっている神社。 - 北野天満宮(きたのてんまんぐう)
- 言わずと知れた天神さん。梅のシーズンと受験シーズンは賑わう。菅原道真公の怒りを鎮めるために作られた。実は太宰府より歴史は新しい。一方で、紅葉シーズンは閑散としていたため、周囲の活性化対策もあってカエデを植樹した。
- 京都御所(きょうとごしょ)
- かつての内裏を保存したという位置づけになっている施設で、平安遷都の頃の位置からは移動しており、現在の形は幕末の1855年孝明天皇の時代に再建されたもの。紫宸殿(ししんでん/ししいでん)や清涼殿(せいりょうでん)といった建物や、禁門の変の舞台となり、未だにその時の弾痕が残ることで知られる蛤御門などがある。
- 清明神社(せいめいじんじゃ)
- 平安中期に活躍した陰陽師・安倍晴明を祀った神社。安土桃山時代には荒廃したが、ここに隣接して千利休の屋敷があったと伝えられ、境内にある「清明井」には清明だけでなく利休にまつわる伝承も残されている。
左京区 -さきょう-
京都駅から東側にあるのが左京区。右京区と並びセレブが多い区。特に南禅寺界隈は明治時代別荘地として分譲され、大企業創業者の旧邸が多い。白川通はノートルダム女子大のお膝元であり、沿道にはおしゃれな店が多い。また、吉田周辺は吉田神道で有名な吉田神社と京都大学のキャンパスがあり、一帯には古書店が多く、ミニ神田神保町といった趣がある。この一帯は天下一品など、京都ラーメンの激戦地としても知られる。下鴨神社近くで合流する賀茂川・高野川の合流点は「鴨川デルタ」とも通称され、「歴史ある京都」とはまた違う京都が味わえる人気スポット。また北山通り沿いには京都府立大学・京都工芸繊維大学の他、デートすると別れるというジンクスで有名な(?)京都市立植物園(そもそも植物園は男の忍耐力が試される場所なんて言われてるし…)がある。
一方で吉田界隈からさらに北上すると、盆地部から見える北山(五山送り火の「妙法」)の裏に入ることになる。叡山電鉄線沿いの宝ヶ池、岩倉や市原は郊外住宅地として開発され、岩倉宝が池のほとりにある京都国際会館は1997年に「京都議定書」が採択された場所として知られる。これらの地域を流れる高野川やその支流の流れに沿って北上すると、鞍馬・貴船や大原、花脊・広河原、久多といった山間地帯に入っていくことになる。鞍馬寺や貴船神社のある鞍馬一帯や、京都と若狭・北陸間の隠れた迂回路である「鯖街道」国道367号が貫く大原はまだしも、花脊や久多は正直田舎というより山奥の村で、冬には雪が積もる。バスも1日に数本しか通らないが、そんな大自然が田舎暮らしに憧れる若者を惹き付けるのか、花脊は近年はクラフトの村として知られるようになっている。少し山奥に行った広河原にはスキー場があり、京都人スキーヤーにとっては穴場スポット。久多はキャンプ場があるほか、茅葺屋根の家と独特の伝統行事が残る。
- 永観堂(えいかんどう)
- 正式名称は禅林寺。紅葉の永観堂といわれ、東福寺と同じく紅葉シーズンとそれ以外で印象はガラリと変わる。
- 銀閣寺(ぎんかくじ)
- 正式名称は慈照寺(じしょうじ)。東山文化の代表的建築で、世界的には金閣より評価が高い。世界遺産。なお、銀箔は最初から貼っていなかった説が濃厚となっている(時々、テレビ番組で再現CGを映したりしているが、貼らなくて正解です…マジで)
- 鞍馬寺(くらまでら)
- 北方鎮護の寺と見做された古刹。元は天台宗だったが、今は鞍馬弘教という独自の宗派。鞍馬の火祭りで有名。平成30年の台風21号の被害が残っているため、祭は1988年の昭和天皇重篤の報を受けて自粛されて以来30年ぶりの中止となった。
- 三千院(さんぜんいん)
- 京都~大原三千院♪というデューク・エイセスのヒット曲で一躍全国区に。天台宗の名刹で、紅葉の名所。元々は隠居場になったり、修行道場になったり、色々な歴史を踏んでいる。
- 詩仙堂(しせんどう)
- 曹洞宗の寺院でもあり丈山寺ともいう。中国的な建物が特徴で、ツツジをはじめ、花の名所として名高い。
- 下鴨神社(しもがもじんじゃ)
- 正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。水の神様を祀る。京都三大祭の葵祭で知られる。北区にある上賀茂神社ともに世界遺産。ちなみに双方の距離は約3.6km程度。
- 修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)
- 17世紀中頃、後水尾上皇の指示で比叡山麓に造られた離宮。借景の手法を採り入れた庭園として、日本を代表する庭園だそうだ。かつては見物するには予約が必須だったが、2016年頃より当日券も出るようになった。とは言え予定が固まっているなら予約を取る方がよいのは言うまでも無い。
- 峰定寺(ぶじょうじ)
- 花脊地域にある名刹。修験道系の寺で、大悲山という山号でも知られる。京都市内だが市街地から大きく離れた場所にあったこともあり、貴重な文化財が多く残されている。近くには花脊の三本杉と呼ばれる杉並木があり、寺ではこれを神木としている。悪天候時と冬場は拝観できない上、出町柳からバスで90分・本数日2+休日1往復という交通の便には注意。
- 平安神宮(へいあんじんぐう)
- 天皇家を東京に奪われたことの腹いせに市民を元気づかせるために平安京大内裏朝堂院を模して作った神社。時代祭は京都三大祭の一つ。境内は桜の名所。
- 南禅寺(なんぜんじ)
- 京都で最も格の高かった臨済宗南禅寺派の総本山。紅葉の名所でもあり、境内はすごく広く、塔頭も多い。沿道は湯豆腐で有名。
中京区 -なかぎょう-
中京(ちゅうきょう)に非ず。京都市の都心部にあたり、二条城を始め、京都市役所、平安神宮や京都随一の繁華街、河原町通と四条通がある区。特にその交差点で阪急京都線京都側のターミナル駅である四条河原町が京都一番の繁華街として栄えている。四条通は高島屋と大丸、大丸とは無関係な藤井大丸、丸井があり、商業の中心地、対して河原町通はファッションビルや居酒屋などが多い。四条通には地下道があることはあまり知られていない(地下街を作る計画もあったが、表通りが廃れるなど色々な理由で中止になった)。案外東西に広く、東の端は河原町通り沿いと鴨川だが、西に目を向けると壬生、二条駅、さらには島津製作所本社などのある西ノ京を越えて天神川周辺までが中京区にあたる。
- 下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)
- 名前からもわかる通り、上御霊神社とは対の関係。こちらは現在の府庁近くに移転された後豊臣秀吉により現在の御所南東角に遷座された。こちらで祀るのは「崇道天皇(早良親王)」「伊予親王」「藤原大夫人(藤原吉子)」「藤大夫(藤原広嗣)」「橘大夫(橘逸勢)」「文太夫(文室宮田麻呂)」およびこの6人のそれぞれ和魂と荒魂である[2]「吉備聖霊」「火雷天神」の八柱御霊。
- 二条城(にじょうじょう)
- 幕府が朝廷を監視するために設けた表向きの城で、いわゆる現存十二天守には含まれない。大政奉還の拠点となったなど、幕末の激動に巻き込まれた。世界遺産。
- 壬生寺(みぶでら)
- 10世紀に建立された律宗の寺。鎌倉中期と江戸中期、そして戦後と3度も火災で焼失するがその度に再建されてきた。「壬生狂言」が伝統行事として伝わるほか、幕末には新選組の屯所や訓練場が置かれたことでも知られている。
東山区
文化財の宝庫として知られ、清水寺や八坂神社周辺の祇園地域を中心に観光地・繁華街として発展してきた区。京都名物として知られる舞妓・芸妓はこの東山区にある花街の演舞場に多くいる。人口は京都11区で最も少ないが、古くからの名家が多い。
- 清水寺(きよみずでら)
- 清水の舞台が有名。桜と紅葉の名所であり、沿道は茶わん坂と呼ばれ、観光客向けの店が立ち並ぶ。京都で最も観光客が多い寺ともいわれ、人が途切れることはない。境内は世界遺産。
- 建仁寺(けんにんじ)
- 京都五山の第四で臨済宗建仁寺派の総本山。国宝の風神雷神図はここの所蔵品。
- 高台寺(こうだいじ)
- 秀吉が北政所のために建てた菩提寺。茶の湯関連の史跡、宝物が多い。紅葉の名所としてライトアップされる。
- 三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
- 元は大寺院だったが、一部が残り、お堂とした。千体観音像と通し矢行事で有名。周辺には豊臣秀吉が建立した方広寺、紀州根来勢の生まれ変わり智積院などがあり、それらの建物に囲まれたところに京都国立博物館が建てられている。このため最寄りバス停の名前も「博物館三十三間堂」である。
- 知恩院(ちおんいん)
- 浄土宗の本山。左甚五郎のわすれ傘など七不思議で有名な寺院。
- 東福寺(とうふくじ)
- 紅葉シーズンとそれ以外で印象に雲泥の差がある臨済宗東福寺の名刹。京都五山の三位。
- 泉涌寺(せんにゅうじ)
- 皇室の菩提所として知られる名刹で、寺内には皇室ゆかりの宝物が数多く収蔵されている。
- 八坂神社(やさかじんじゃ)
- 祇園祭が行われる牛頭天王信仰の総本社。尾張の津島神社、武蔵の氷川神社と系統は同じ。
下京区 -しもぎょう-
中京区とともに京都市都心部を形成する区の一つ。玄関口の京都駅と四条通の南側が区内にあり、そこから南北に伸びる烏丸通には金融機関や企業本社が林立。また、京都駅周辺は四条河原町や祇園界隈に次ぐ繁華街にもなっている。また、応仁の乱でも比較的被害が軽微であったことから、復興の狼煙はこの下京から始まったといわれる。
南区
京都駅の南側に位置する下町地区であり、京都駅のほか名神高速道路京都南インターや第二京阪道路終点などがあり、道路交通の便もいいことから、任天堂やワコール、佐川急便を筆頭に京都を本拠とする大規模な製造・物流業の本社が集積する。かつては平安京の南端で皇族や平安貴族の主な行楽地として親しまれ、羅城門や鳥羽離宮が置かれていたことから、埋没文化財は豊富。一方現存する文化財には乏しいが、その中で東寺の存在感が一際光る。
- 東寺(とうじ)
- 真言宗の総本山の一つ。正式名称は教王護国寺であり、東寺とはかつて存在した西寺に対する呼称。京都駅から見える国宝の五重塔は京都のシンボルで、国内最大の国宝五重塔。世界遺産。なお、発音は「とうじ」(冬至と同じ発音)と読み、地元では弘法さんと呼ばれている。傘下には関西屈指の進学校にして、バスケットボールや陸上競技の強豪校として知られる洛南高校がある。
右京区 -うきょう-
京都駅から西側にあるのが右京区です。平安遷都以来の別荘地で、皇室や平安貴族ゆかりの遺跡が多く、御室、嵯峨野、北野などセレブ街が至るところに見られる。嵐山の他、そこからさらに山中に入っていった保津峡・宕陰や三尾(高雄、槇尾、栂尾)といった自然にも恵まれた地で、市電も三条通の京津線もなくなった今、京都で唯一の路面電車ついでに叡電と福井地区を切り離した結果京福電鉄としても唯一の鉄道路線となった「嵐電」もある。
市町村合併により京都市の一部となった京北区右京区の京北地区はもともと京北町という町であり、紛れもない田舎である。この京北は深い森林に覆われ、桂川経由の水運にも便利なことから林業が盛んで、北山杉の主要な産地として有名。
一方、太秦(うずまさ)には古刹広隆寺のほかにも三菱自動車京都工場や東映京都撮影所、松竹京都映画などの大規模な事業所が展開しており、特に後者の映画産業が昭和初期に多く立地していたことから、太秦は「映画の街」として知られ、東映撮影所の一部は「東映太秦映画村」というテーマパークとして一般に公開されている。また、西京極には市内最大の運動公園があり、京都サンガF.C.の旧本拠地として知られる「西京極総合運動公園陸上競技場(たけびしスタジアム京都)」がある。
- 高山寺(こうざんじ)
- 紅葉の名所で知られる栂尾(とがのお)にある真言宗の古寺。国宝の鳥獣人物戯画はここの所蔵品。世界遺産。
- 広隆寺(こうりゅうじ)
- 太秦にある京都最古の古刹。真言宗系の単立寺院。かつて京大生が悪戯をしようとして誤って像の指を折ってしまった国宝の半跏思惟像で有名(なお、今日では補修の跡は全くわからないほど精巧に復元されている)。ちなみに国宝半跏思惟像は国内の国宝彫刻第一号であり、国宝関連書籍の表紙を飾ることが多い。
- 神護寺(じんごじ)
- 高雄にある真言宗の名刹。広い境内は紅葉の名所としても有名で、市内で最も色づきが早い。ここが色づくと晩秋を感じるとか。国宝の梵鐘は国内の三大名鐘の一つとか。
- 天龍寺(てんりゅうじ)
- 嵐山にある紅葉の名所。臨済宗天龍寺派の総本山で京都五山の第一。
- 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
- かつては藤原定家の山荘があったと伝わり、安土桃山時代に日蓮宗の寺院となった。境内は紅葉の名所で名高い小倉山の中腹にあり、境内中が紅葉と人混みに包まれる。
- 大覚寺(だいかくじ)
- 嵯峨御所といわれた門跡寺院で、大沢の池から見る月は有名。また、華道の嵯峨御流や大覚寺豆腐などもよく知られる。紅葉で名高い祇王寺(ぎおうじ)はこの末寺の一つ。
- 仁和寺(にんなじ)
- 背丈の低い御室の桜で有名な名刹。徒然草にある「仁和寺にある法師」でも有名だが、当時のものは全部応仁の乱で焼けてしまったらしく、現在の遺構は全部江戸以降のもの。天皇家ゆかりの寺であり、御室さんと呼ばれる。世界遺産。
- 妙心寺(みょうしんじ)
- 花園にある名刹で、臨済宗の宗派で最も信者が多い妙心寺派の総本山。施設を拝観するには料金がかかるが、境内は一般開放されており周囲を散策するだけなら無料な上に、生活道路にもなっておりバイクや自転車は通行できる(乗用車は規制)。
- 龍安寺(りょうあんじ)
- 虎の子渡しといわれる枯山水の石庭で有名な臨済宗の寺院。世界遺産。
伏見区 -ふしみ-
ご存知、伏見の女酒で知られる酒処で、全国的に有名な月桂冠、松竹梅(宝酒造)、黄桜は伏見の酒蔵である。安土桃山時代には豊臣秀吉の築いた桃山城の城下町、そして淀川水運を通じた京都の玄関口として発展。明治天皇も桃山城のほど近くに造られた桃山御陵に眠っている。こういった経緯もあり1931年までは京都とは別の「伏見市」だったのだが、合併されたことにより「京都の一部」になった。戦後は近鉄、京阪、JRと鉄道交通の優秀さから新興住宅地としても発展、結果として各区の中でも飛びぬけて多い30万人近くが住む、京都市内で最も人口が多い区に発展した。そのため醍醐地区を分割して醍醐区を作るという話が出ては立ち消えになっている。また「スクール☆ウォーズ」のモデルとして知られるラグビーの強豪・伏見工業高校(現・京都工学院高校)のある地としても有名。
一括りに伏見と言っても、酒蔵や桃山城や明治天皇陵で知られる伏見・桃山地区の他、名刹醍醐寺や明智光秀が討ち取られた小栗栖などがあり、戦後は山が切り開かれニュータウン都市に変貌、また山科区とのつながりが深い醍醐、伏見稲荷大社の鳥居前町で、明治時代には陸軍師団が置かれたことで陸軍の街としても発展、戦後は師団跡地に龍谷大学が移転し学生街となった深草、「竹田の子守歌」で有名な京都市営地下鉄と近鉄京都線の結節点・竹田、巨椋池干拓により誕生した陸地が現在京都市内最大の農業地帯となっている向島、江戸時代は淀藩の城下町で、戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いの主な舞台となり、大正以降は京都競馬場のお膝元として競馬ファンに親しまれるようになった淀、京都府民にとっては運転免許試験場のある場所として有名で、桂川の対岸にある羽束師…と、広い区内に散らばる地区によって街の姿はかなり多彩である。
- 醍醐寺(だいごじ)
- 豊臣秀吉が主催した醍醐の花見で有名な洛南随一の名刹。また、西国観音霊場の札所といわれているが、厳密には上醍醐寺である。世界遺産。
- 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
- 豊穣神や田畑の守り神として知られ、そこから商売繁盛、家門繁栄、防災と守備範囲が広くなった宇迦之御魂神を祀る神社。千本鳥居が世界中の観光客の注目の的に。稲荷信仰の総本社で、初詣シーズンには大変なことになる。
山科区 -やましな-
元々山科村だったが、戦前に京都市に併合され、後に東山区から分区した。京都盆地と東山を隔てたまた別の盆地にある。京都市街から離れて市街地が見えるため、新幹線で東から来た人が思わず京都市街と勘違いすることも。
京都名物の清水焼は元々東山界隈で焼かれていたのだが、都市化に伴って煤煙が問題となり、職人らが山科に集団移住している。これが今日の清水焼団地であり、「清水焼の郷」として花の寺として名高い勧修寺や紅葉の名所の毘沙門堂などとともに、山科の観光名所となっている。この他、かつて応仁の乱で焼け出された公家が隠棲し、また石山(現在の大阪城)の地に移転するまでは本願寺の置かれた地でもあるため、歴史的な史跡がけっこう多い。また、餃子の王将の本社や京都薬科大のキャンパスがあることでも知られ、日本初の高速道路・名神高速道路が起工された地でもある。
西京区 -にしきょう-
西京(さいきょう)にあらず。東西南北で唯一、◯京区と名乗る(北京、南京、東京はない)。実は11区で最も新しい区であり、右京区からの分区。京都市郊外の西山、桂、大原野一帯を包含して洛西(らくさい)と呼ばれ、京都の西のニュータウン「洛西ニュータウン」が開発されている。下記のほか、酒の神様として有名な松尾大社、梅宮大社や竹取物語ゆかりの地・大原野神社などがある。
- 桂離宮(かつらりきゅう)
- かのブルーノ・タウトが絶賛し、島根の足立美術館などと並び日本庭園として最高の名園ともうたわれる皇室関連施設。修学院離宮と同様にかつては見物するには予約が必要だったが、当日券も出るようになっている。でも、人気も高く当日券が取れなくても泣かない。
- 苔寺(こけでら)
- 正式名称は西芳寺(さいほうじ)。ほっておいたら苔むした庭が有名な寺。最も観光が難しい寺で拝観料の高さは目を瞑ったとしても事前予約が必要な上、説法を聞かねばならない。世界遺産。
- 勝持寺(しょうじじ)
- 花のお寺として知られる大原野の名刹。西行法師ゆかりの寺で西行桜や紅葉で有名。
- 善峰寺(よしみねでら)
- 大原野にある紅葉の名所で、西国観音霊場の札所でもある。遊竜松という松の老木が有名。
など、まあきりがないのでこの辺にしておきます(あと、100以上は優にある)
施設・企業
施設
- 京都駅 - 下京区・南区
- 京都大学 - 本部:左京区
- 同志社大学 - 本部:上京区
- 立命館大学 - 本部:中京区
- 京都産業大学 - 本部:北区
- 龍谷大学 - 本部:伏見区
- 佛教大学 - 本部:北区
- 御薗橋801商店街 - 北区
- 京都水族館 - 下京区
- 京都鉄道博物館 - 下京区
企業
- 餃子の王将 - 本社:山科区
- 京セラ - 本社:伏見区
- 京都銀行 - 本社:下京区
- 京都放送(KBS京都) - 本社:上京区
- 佐川急便 - 本社:南区
- 任天堂 - 本社:南区
- はてな - 本社:中京区
- PHP研究所 - 京都本部:南区
- わかさ生活 - 本社:下京区
- ワコール - 本社:南区
関連動画
関連項目
脚注
- *京都競馬(というかJRA)は農林省(当時)管轄の特殊法人。向日町競輪は京都府が主催者。
- *名前からして「吉備真備」「菅原道真」とされることも多いが、真備は6人と違い憤死しておらず、道真も天神になる前に神社が創建されているためこの解釈が取られている。
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