仁木頼章(1299~1359)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将である。
概要
仁木氏は足利一門の中でも庶流というよりもはや被官と化した一門であったが、彼と弟の仁木義長の活躍で同祖の細川氏と同様躍進を遂げた存在である。
他の足利一門同様元弘の乱の際から足利尊氏に従い、建武政権からの離反後、足利尊氏の九州落ちの際に、丹波の守護に補任。氷上城を拠点に丹波国内だけでなく播磨、備前、美作に至るまでの国人を尊氏派に組み込み、宮方との戦いを繰り広げて尊氏を援護した。
湊川の戦いでの勝利後の再上洛以降は北陸に落ちた、恒良親王を旗印とした新田義貞への対抗に向かい、高師泰、今川頼貞とともに金ヶ崎城を囲い落城させた。
その後も有力武将として転戦し、1348年には楠木正行軍を高師直とともに破っている。観応の擾乱の際には弟とともに積極的尊氏派となり、高師直亡き後の執事に任命され、丹波に加え、丹後、武蔵、下野の守護に任じられたのである。その後も政治面で尊氏を支えたが、尊氏の亡くなった翌年に没した。
仁木氏はその後弟の仁木義長に引き継がれるが政争に敗れ、以降彼ら兄弟の権勢は見る影もなくなっていくのである。
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