今井啓介とは、
ここでは1.について解説する。
概要
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OB | |
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今井啓介 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 新潟県栃尾市 (現:長岡市) |
生年月日 | 1987年5月24日 |
身長 体重 |
183cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2005年高校生ドラフト2巡目 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高校は中越高校に進学。最速は146km/hを記録し、エースとして活躍するも甲子園出場経験はない。
入団当初は当時のエースであった黒田博樹とフォームが似ていた事から、黒田二世と呼ばれた(現在はフォームを矯正したため、当時ほどは似ていない)。
最速147km/hの速球に、スライダー、フォーク、カーブ、シュートを投げる。
プロ入り後
2006年~2009年
制球力不足からなかなか一軍に上がる事が出来ず、フォーム改造や体力強化に取り組んだ。
その結果2008年には、まだ制球に課題を残しつつも二軍で一年間ローテーションを守り抜いた。
翌年2009年、オールスター戦間近の7月18日に一軍初登録、そしてひっそりと初登板を果たす。
8月1日には初先発も果たし、藤田一也にホームランを浴びながらも5回を2失点で抑える好投を見せた(勝ち負けはつかず)。しかし、その後1ヶ月半未勝利が続く。
下記の表を見てムエンゴと思うかどうかはあなた次第である。
日付 | 対戦相手 | 投球回 | 失点 | 降板時点でのチーム得点 | 勝敗 | 試合結果 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
8月1日 | 横浜ベイスターズ | 5.0 | 2 | 0 (今井の代打喜田剛 のタイムリーで1得点) |
- | 6-3 | 勝利投手は横山竜士 |
8月12日 | 読売ジャイアンツ | 3.0 | 6 | 4 | ● | 5-16 | |
8月23日 | 阪神タイガース | 6.0 | 1 | 2 | ● | 2-8 | |
9月1日 | 中日ドラゴンズ | 5.1 | 3 | 2 | - | 6-3 | 勝利投手は小松剛 |
9月6日 | 阪神タイガース | 5.1 | 3 | 1 | ● | 1-4 | |
9月18日 | 阪神タイガース | 5.1 | 3 | 5 | ○ | 5-4 | 初勝利& 初ヒーローインタビュー |
9月23日 | 東京ヤクルトスワローズ | 7.2 | 1 | 0 | ● | 1-4 | 自責点0での敗戦 |
9月29日 | 横浜ベイスターズ | 6.0 | 1 | 1 | - | 2-1 | 勝利投手はシュルツ |
2010年、2011年
2009年に爪跡を残し、一軍の先発ローテーション入りを期待された2010年であったが、春季キャンプ中に右肘を故障してしまう。
5月に復帰して以降も制球難に苦しみ、一軍と二軍の行き来を繰り返した。
勝ち星にも恵まれず、2010年は未勝利という結果に終わった。
プライベートでは、かねてより交際のあった元タカラジェンヌの琴まりえとの結婚を発表した。
婚姻届の提出は今井の背番号62にちなんで6月2日。
オフシーズンの12月には、睡眠時の呼吸の通りを改善するために鼻の矯正手術を受けた。
所帯も持ち準備万端で迎えた2011年キャンプでは首脳陣から高い評価を受け、開幕一軍の有力候補とされていたが、オープン戦終盤に左肋間筋挫傷を起こし離脱を余儀なくされる。
5月中旬、二軍で実践復帰。徐々に調子を取り戻し、8月末に一軍登録される。
中継ぎ起用で結果を残し、9月25日横浜戦(横浜スタジアム)で今季初の先発を任されると、6回1失点(自責0)で約2年ぶりに勝利投手となった。
その後も中継ぎ・先発両方で起用され、まずまずの投球を続けるも勝ち星には繋がらなかった。
2012年以降
開幕二軍スタートだったが、5月2日に一軍登録される。以降、しばらくはロングリリーフとして起用された。6月17日の埼玉西武ライオンズ戦では7回から3イニングを無失点に抑え、プロ入り初セーブを記録した。先発の機会が廻ってきたのは6月28日の巨人戦だった。本来登板予定であったルーキー野村祐介が、背中の張りによりローテーションを回避したため、2日前に急遽登板が決定した。6回4失点で敗戦投手となったが、戦犯小窪味方のエラーなどが絡んだため自責点は2点であった。オールスター直前の中日戦で3回5失点(四死球4)と崩れ、二軍降格で調整を受けたが、それ以降の今井の投球は特筆すべきものがあった。9月1日には阪神戦でプロ入り初完封(初完投)勝利を挙げる。ヒーローインタビュー中、今井をベンチで待ち祝福するマエケン、大竹、野村、タクローの4投手の姿が中継には映っていた。9月26日の巨人戦では7回を無失点に抑え、チームの連敗を8で止めるとともに、ホームであるマツダスタジアムでの自身初勝利をあげた。
なお9月にチーム(打線)が大失速してしまったため、2勝の今井がチームの月間最多勝投手であった。悲しいお話。チームの成績はさておき、後半戦は先発ローテーションの5番手に完全定着し、2012年は今井の成長が窺える年となった。
それを示すように、2012年は今井にとって2009年に続く初物づくしのシーズンだった。上記太字以外にも、5月8日ハードオフ・エコスタジアム新潟で行われた阪神戦で、初の地元凱旋登板を果たした。
予断であるが、2012年はロンドン五輪が開催された年であった。
国民が五輪のニュースに沸く中、重量挙げに出場した八木かなえ選手に関する記事で今井の名前が出され、一部の広島ファン困惑という事態がひっそりと起きていた。八木選手のコーチである横山氏が今井の義父というあるんだかないんだか分からない縁による。
(参考URL:http://hochi.yomiuri.co.jp/london2012/etc/news/20120730-OHT1T00065.htm)
2013年は故障で開幕一軍はならなかったが、4月29日の阪神タイガース戦でシーズン初勝利を挙げる。先発として投げたのは3試合だけで、中継ぎに転向。自己最多の33試合に登板した。
2016年はチームが25年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた中、今井は一軍登板なしに終わった。
2017年は4試合の登板に留まり、戦力外通告を受けて現役を引退した。
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
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2009年 | 広島 | 9 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 45.2 | 15 | 28 | 20 | 19 | 3.74 | 1.16 |
2010年 | 11 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 37.1 | 18 | 24 | 26 | 22 | 5.30 | 1.61 | |
2011年 | 11 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 30.1 | 7 | 22 | 11 | 10 | 2.97 | 1.35 | |
2012年 | 24 | 1 | 1 | 4 | 8 | 1 | 1 | .333 | 96.0 | 34 | 70 | 35 | 30 | 2.81 | 1.25 | |
2013年 | 33 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 2 | .500 | 61.1 | 26 | 50 | 27 | 22 | 3.23 | 1.37 | |
2014年 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 17.0 | 11 | 20 | 16 | 12 | 6.35 | 2.18 | |
2015年 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 18.0 | 2 | 11 | 7 | 6 | 3.00 | 1.00 | |
2017年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 5.0 | 2 | 5 | 3 | 3 | 5.40 | 1.80 | |
NPB:8年 | 114 | 1 | 1 | 8 | 20 | 1 | 4 | .286 | 310.2 | 115 | 230 | 145 | 124 | 3.59 | 1.36 |
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関連項目
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