仲恭天皇(1218年10月30日~1234年6月18日)とは、第85代天皇である。諱は「懐成(かねなり)」。
在位:1221年5月13日~1221年7月29日 ※天皇在位78日間という最短記録保持者。
概要
1221年に父・順徳天皇の譲位により4歳で践祚(即位式は行われていない)。しかし同年に、祖父の後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して承久の乱を起こして北条泰時に敗北してしまう。結果、
とそれぞれ流されたり配流されてしまった為、仲恭天皇も廃立させられてしまう事になり、高倉天皇の第二皇子・守貞親王の皇子・茂仁王が即位した(後の御堀河天皇)。即位式が行われずに78日間で廃立された仲恭天皇は太上天皇号をおくられなかった。
まだまだ幼年であった仲恭天皇は母方の実家に預けられ、1234年に17歳でお隠れになられた。その際も即位式を行っていない事から諡号がおくられず、半帝や九条廃帝や後廃帝などとよばれていた。仲恭天皇という諡号がおくられたのは、お隠れになってから636年後の明治3年の事だった。
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関連項目
84代 | 85代 | 86代 |
順徳天皇(じゅんとくてんのう) 1210~1221 |
仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう) 1221(78日間) |
御堀河天皇(ごほりかわてんのう) 1221~1232 |
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