伊豆急200系単語

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伊豆急200系とは、かつて伊豆急に在籍した車両である(2000年2008年)

概要

2000年から2003年にかけて限界まで老朽化した伊豆急100系の置き換え用としてJR東日本より113系115系改造して導入した。元々は東急8000系の導入が計画されていたが、この当時は東急8000系の置き換えは計画されておらず(むしろもっと長い事使う積もりであった)、またJR東日本側でも当時のメイン車両113系211系が3ドアの中で、8000系の4ドアでは乗位置の問題があったようで、113115系の導入はJR東日本からの提案であった。

伊豆急行はどちらかと言えば観光メインの路線なので物商売の傾向が強く、たびたび起こる群発地震などで収益の振れ幅が大きかった。そんな中でもリゾート21の導入など、積極的に新を導入していったのだが自動車の整備がなされると鉄道を使っての旅行が減少し、新規に車両を導入する事も難しい状況となっていた。その為、100系をだましだまし使ってきたが、製造から40年に迫る齢はプラスすると耐用年数をとっくに過ぎていると言っても過言ではなかった。

全部で35両、113系ベースの4両編成と115系ベースの3両編成があったが、中には100系より齢の高いもの(115系800番台1966年ごろの初期が多い。100系の最終製造は1972年更新1000系1979年製造)もあった。それでも導入に至ったのは故障頻発の100系の置き換えや伊東線ATS-P導入が前に迫っていた為と言われる。また伊豆急側も113系115系は乗り入れや借入車両で使用経験が豊富にあり、割合に取り扱い方としては慣れていた為、導入と相成った。

改造点

ここでは共通した改造点を挙げる。個別の改造点については各々の項で下線で記載するが、必要最低限の改造で済ませており、種の面は色濃く残っている。

これらの車両自走伊豆急線まで来た後に伊豆高原改造を受けた。保安装置がほぼ共通だからこそ成しえた技である。

これらの編成を示す記号「F」が採用された。

最後に書いた番は「モハ2##」などと書かれたものを上に貼り付けただけであり、下から見れば元番が容易に見ることが可であった。

4両編成

2000年に導入されたグループ113系ベースとなっている。4両編成が2編成在籍した。F-1編成とF-2編成と名付けられた。

このグループ塗装で、改造点は上記にあげたもののほかに、日本初の燃焼式トイレの設置と元のトイレの位置に喫煙室を設けた程度となっている。なお、113系には伊豆急の行き先のコマが入っていたので、オリジナルの物を使用、この車両方向幕には英字も併記されている。

伊豆急8000系の導入に伴い、2005年頃にになっている。

3両編成

2001年から2003年にかけて導入された車両でこちらは115系ベースとなっている。3両編成が9本であり、元々中央本線で使用されていた車両ベースとしていた為、115系の中でも割合に初期の部類の800番台も譲渡対となっている。F-3編成からF-8編成が当該となっており、これらの車両の中間中央本線の狭小トンネル対応の為、パンタグラフのある位置の屋根が低くなって、その部分のみ扇風機ではなく軸流送機(ファンリア)となっていたりする特徴がある。また初期導入の為、昭和41年製と100系とでは一部車両の場合は200系の方が齢が高いという逆転現が発生していた。論、100系にはによるプラスアルファの老朽化も鑑みる必要がある。

また、この車両より塗装バリエーションが増え、F-3編成とF-4編成は塗装であったが、F-5編成とF-6編成は「河バガテル園」のPR車両である「トランバガテル塗装として活躍、この車両内外にバラの絵が書かれ、自動放送も装備されていた。F-7編成とF-8編成は塗装デビューした。

115系方向幕には伊豆急関係の方向幕が入っていたなかったので、新たに新規に方向幕製作した。この方向幕は丸っこい書体に英字が併記されていないタイプで「熱伊東伊豆高原伊豆急下田(2コマ)・試運転回送」のみと言う、極めてシンプルなものとなった。

F-9編成からF-11編成までは少し新しい300番台ベースで、この車両編成でのデビューとなっている。この時点では100系の置き換えは終了しているが、伊豆急の運用の中にはJR東海からの113系によるものも存在しており、これの解消と予備確保も兼ねて追加で導入がされた。

余談だがこのJR東海編成によるはまだ東海道本線113系の頃、JR東日本113系の付属編成として連結されていたもので、運用上、伊豆急線に入る行程が組まれていた。この編成には伊豆急の行き先は存在していないので、側面方向幕は「普通」を常時表記していた。

運用

4両編成と3両編成は互いに連結する事はく、4両編成はF-1編成+F-2編成を必ず相方としていた。

一方、3両編成はF-1F-2編成以外であれば互いに連結する車両に制限がなく、編成と編成、トランバガテル編成と編成と言う組み合わせもあった。なお、貫通路はつなげていなかった。

今の伊豆急8000系と同じように伊東線伊豆急線の通し運転や双方の線内完結の運転、伊豆高原リゾート21車両交換や分割運用があった。これらの車両ワンマン対応していなかった為、分割後に3両編成になってもが乗務していた。

置き換え

200系導入に際しては東急から8000系の譲渡が出来なかったとはいえ、あくまで「その時は」であり、先々は譲渡する計画が既定の路線であったと思われる。実際、置き換えをするにしてはあまりに齢が高い初期を導入するあたり、長期間の使用を見込んでおらず、あくまでつなぎ車両であった。それは前述の必要最小限の改造にも表れていた。

おそらくはATS-P化の即時対応の面も大きかったと思われ、また8000系の将来的な導入に際しての保安部品ねん出の意味合いもあったと思われる。言わば「車両付きATS-P一式」の見方もあったかもしれない。

そしてJR東日本E231系2004年東海道線デビューさせ、ドア数の問題が解決。同じ頃にみなとみらい線開業に伴う東急車両の一部置き換えが始まり、東急8000系に余剰が出てきた。こうして体制が整ったので2005年伊豆急8000系がついにデビューし、200系の置き換えが始まった。最終導入からわずか2年後である。そして副都心線開業が迫り、従来の置き換えが急ピッチで進むと、それと同時に改造工事も進み、2008年についに全車両引退した。登場から引退まで8年、車両によっては4~5年程度の稼働であった。

とはいえ、リリーフとしての役割は十分に果たし、保安装置や運行番号表示、内のテーブルなど一部の部品は伊豆急8000系に流用された。

さよなら運転も行われ、有終の美を飾った。

評価

これまで伊豆急と言えば100系リゾート21に代表されるような「The 観光列車」と言える車両が多かっただけにいかに中距離対応の車両とはいえ、JR中古を導入したことは少なからず伊豆急の苦が見え隠れする結果となった。

一方で2ドアで乗降に難のあった100系や、そもそも「夕ラッシュ?それって食えんのか??」のリゾート21が苦手とする通勤通学輸送には大いに役に立ったと言われる事もある。また、様々なタイプ車両が雑多に混ざった、まさに良くも悪くも古き時代な車両単位での運用でのやりくりに苦労があったことは想像に難くなかったが、編成単位での運用として統一されたことで合理化にもつながったものと思われる。

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伊豆急200系

1 ななしのよっしん
2015/08/01(土) 22:51:22 ID: CWB9yRi8SR
>熱伊東伊豆高原・試運転・回送」のみと言う、

伊豆急下田すらなかったのかw