伊集院光とは、東京都出身のディスクジョッキー、お笑い芸人、タレントである。ホリプロ所属。
概要
1980年代末からラジオパーソナリティーとして活躍。
軽妙な語り口、歯に衣着せぬ毒舌トーク、共感を呼ぶ過度な自虐ネタ、時に暴走する妄想トークなどで人気を博している。
1990年代以降のラジオ界における最重要パーソナリティーの一人として第一線を走り続けている。
一方、90年代初めからはテレビタレントとしても活躍。主に「デブタレ」としてその巨漢を売りにしている。また、近年ではその豆知識の豊富さから「雑学王」としても活躍しており、クイズ番組への出演が多い。
主に深夜ラジオでは「黒の伊集院」、TVや昼間のラジオでは「白の伊集院」などと呼ばれる程、深夜ラジオとそれ以外の場所ではキャラクターが異なる。[1]
逸話多数、詳しくはwikipediaで。
非常に野球好きで、北海道日本ハムファイターズの熱狂的ファン。セリーグでは長く名古屋で番組を持っていた関係で中日ドラゴンズを応援している。ラジオ番組のスタッフや若手芸人を集めて草野球チーム「ビッグ・アスホールズ」を作り活動している。
また芸能界きってのゲーマーとしても知られる。特に「風来のシレン」・「実況パワフルプロ野球」シリーズなどはかなりやり込んでおり、シレンに関してはかつてファミ通にコラム「イッテツ戦車を切り抜けたらマムルに殺られた」を連載していた。「MOTHER」シリーズのファンとしても有名。
過激な発言
伊集院光はのまネコ問題の際、エイベックスに対して真っ向から批判(の意を汲んだ揶揄)を行った数少ない芸能人である。
詳細に関してはこちらを参照。 坐り心地の惡い椅子 - 2005年9月26日放送分
この回のほかにもコーナー内でのまネコ問題に言及するネタを読むなど、業界に対して大きな影響力を持つAVEXを批判し続けた。
のまネコのほかにも、ソニーのRolly批判、コナミの露骨な商標登録出願の嵐への批判をするなど『メディアは言わないけど皆が思っていそうなこと』を代弁するなど、深夜ラジオという媒体を生かし企業や事務所に屈しないところも一種のカルト的な人気を集める要因となっている。
但し攻撃した相手に批判され返された場合は打たれ弱く、しばらくの間自嘲気味に自粛する。上記のようなトークの性質であるため360面サラウンドで楚の歌が聞こえてくることもままある。
経歴
生誕~落語家「三遊亭楽大」時代、偽名「伊集院光」としてラジオデビュー
1967年11月7日、東京都荒川区尾久生まれ、本名・篠岡建。婿養子であり、旧姓は田中。旧姓の頃は俳優の田中健と読みが同姓同名であった。
妻は元タレントの篠岡美佳。(アイドル時代の芸名はMIKA)
高校受験に失敗し、東京都立足立新田高校に滑り止めで入学するが、登校拒否(スクールエスケイパー)となる。
高校在学時、父親の知り合いの吉河さん(五代目三遊亭圓楽の実弟)のコネで、三遊亭楽太郎(現:六代目三遊亭円楽)に入門(二番弟子)し三遊亭楽大(初代)として落語家となる。二つ目に昇進するが、兄弟子(初代「三遊亭花楽京」/現放送作家:石田章洋)の紹介でニッポン放送のサクラに誘われたのをきっかけに「ギャグオペラ歌手」伊集院光として活動を始める。1988年から1990年までニッポン放送で『オールナイトニッポン』2部(水曜→金曜)を担当し、ラジオパーソナリティとしてデビューする。伊集院光という芸名は師の楽太郎にラジオ出演がバレないように、出来るだけ顔の想像がつかない名前を考案してのものである(本人談)。しかしそれが三遊亭一門にバレて大問題となる。(師匠にラジオ局へ連れて行ってもらった時に自分の顔が写ったポスターが見つかった、というのがバレた顛末である)師匠の楽太郎こそ庇ってはくれたものの、大師匠にあたる五代目三遊亭圓楽は激怒したとされており、結果的に落語家を自主廃業することになった。
この経歴から、かつての師匠に当たる六代目円楽と、伊集院光の名付け親である安岡喜郎[2]には頭が上がらないとされる。
六代目円楽との仲は良好で、六代目円楽曰く「破門にはしていない」とのことで、伊集院が円楽と同じ現場に居合わせた際には廃業後数十年が経過しても弟子として振る舞っていた。しばしば師匠から「落語やんなよ」と半分冗談、半分本気で落語家復帰を持ち掛けられるが、2021年6月にはついに「三遊亭円楽 伊集院光 二人会」が開催され、実に30年ぶりに高座での落語を披露した。
これに気を良くした六代目円楽は地方での二人会の開催も計画していたが、体調を崩す。結局この夢は叶うことなく2022年9月30日に逝去した。
伊集院も弟子の一人として葬儀に参列。また葬儀と別に行われた「お別れの会」では六代目円楽一門の紹介では、現行の惣領弟子である三遊亭楽生や実際の一番弟子である石田章洋(現在は落語家を廃業し放送作家として活動)ではなく実際の二番弟子で現在も芸能活動を行っている伊集院が紹介を行った。
ニッポン放送からTBSラジオへ電撃移籍、テレビ・文筆でも活躍
1991年3月から同局で『伊集院光のOh!デカナイト』がスタート。この頃から現在に至るまで聴取率が極めて高く、ラジオの神様との異名を持つ。しかし、晩年はニッポン放送側のスタッフと険悪になってしまい、1995年4月に突然番組は終了してしまう。
その後ニッポン放送と袂を分かち、同年10月からTBSラジオで『伊集院光 深夜の馬鹿力』をスタート。TBSラジオの深夜帯のテコ入れとして編成された「UP'S〜Ultra Performer'S radio〜」においてすでにTBSラジオ深夜の顔となっていたコサキンと並ぶ新たな柱として伊集院も招聘されたものだが、その後の「JUNK」に至るまでの大看板として30年近く経った現在も放送されている。
1998年から2008年まで日曜昼のワイド番組『伊集院光日曜大将軍(のち伊集院光日曜日の秘密基地)』を担当し、TBSラジオの顔となった。この番組でギャラクシー賞ラジオ部門パーソナリティ賞や大賞を受賞している。
また、ニッポン放送時代から徐々にテレビでの露出も増え、「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」(テレビ朝日)のプレッシャーSTUDYでは名物解答者として知られるようになり、博学キャラとしても定着した。
2007年からは伊集院光が企画・演出・キャスティング・編集などを一手に手がけるバラエティー番組「伊集院光のてれび」(BS11)をスタート。開始当初は「番組予算が途中で尽きてしまったのでソフト売上が不調なら打ち切り」という非常に危うい滑り出しだったものの、その独創的な企画が話題となり、2009年に「てれび」が終了して以降も「IJP イジュウインパーク」(TOKYO MX)、「伊集院光のばらえてぃーばんぐみ」(tvk、テレ玉、サンテレビ他)、「伊集院光のてれび」(TwellV)と断続的に新作を発表している。
文筆活動も芸能活動と並行して行い、「週刊ファミ通」でのコラムをまとめた「ファミ通と僕」、描き下ろしエッセイ集の「のはなし」シリーズを発表している。
TBSラジオ社長との軋轢、ニッポン放送との関係改善~現在
2016年4月より、30年間に渡り放送された「大沢悠里のゆうゆうワイド」の後番組としてTBSラジオの月曜日~木曜日の午前帯にワイド番組「伊集院光とらじおと」を担当することに。「深夜の馬鹿力」も継続して放送され、同じラジオ局で午前中と深夜の両方に生放送番組のパーソナリティを受け持つこととなった。
しかし、当時のTBSラジオ社長の経営方針に異を唱えるようになるなどTBSラジオ上層部との関係が微妙になる時期もあった。同時期に「らじおと」の曜日アシスタントとの間にパワハラがあったとする週刊誌記事が掲載される。そもそも番組レポーターの人員整理で伊集院と番組スタッフで意見の相違が起こるなどしていたのもあり、2022年3月に「らじおと」は終了することとなった。
平日朝帯のレギュラー番組を失った伊集院であったが、「らじおとが終わったということは伊集院の手が空いている」ということで各方面からオファーが来るように。
その中でかつて喧嘩別れのような形で去ったニッポン放送が接近。TBSラジオのみをホームグラウンドとしていた時期はニッポン放送の開局記念特番にゲスト出演した以外はほぼ無縁となっていたものの、2023年からはプロ野球ナイトゲーム中継の無い日に放送される不定期番組の「伊集院光の野球おじさん」、そして平日の火曜~金曜夕方に「伊集院光のタネ」が始まり本格的なニッポン放送への復帰を果たした。
「伊集院光のタネ」は開始当初プロ野球オフシーズン限定番組としてスタートしたものの通年放送番組へ昇格し、平日昼前にも姉妹番組の「伊集院光のちょいタネ」も増枠されている。
その他、NHK FMでも日本のラジオ放送100周年を記念し過去の音声アーカイブスを放送し回顧する「伊集院光の百年ラジオ」を2023年より担当。これにより伊集院光は一週間の内に土曜日以外ラジオのレギュラー番組が存在するという文字通りのラジオスターとなった。
影響
- ラジオパーソナリティとしてまだ駆け出しの若手だった「オールナイトニッポン」時代、「実際には存在しないアイドル」芳賀ゆいをプロデュース。リスナーからの目撃談という形で設定を構築し、歌専門の芳賀ゆい、写真専門の芳賀ゆい、手専門の芳賀ゆい、挙句には白人の芳賀ゆいまで登場させ、「理想のアイドルのプロデュースごっこ」を商業的に成功させたことによって注目される。現在におけるバーチャルアイドルの雛型を作った企画の一つであり、「アイドルプロデュースごっこ」という点では「アイドルマスター」や「初音ミク」などにもその共通点を見出すことができる。受け手もまた送り手として新しいネタを提供し、時にはそれが公式化してしまうという構図を、1980年代末~1990年代初頭の時点で完成させたというのは特筆に値するだろう。
伊集院光の番組のリスナーだと公言している有名人(過去のリスナー含む)
※大百科に記事のある人物のみ
- 桜井和寿(Mr.Children)
「深夜の馬鹿力」をわざわざ録音してまで聞いている熱心なリスナー。テレビ番組の対談で桜井からわざわざ伊集院が対談相手に指名されたこともある。 - 田村ゆかり
「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」(文化放送)で「Podcast(番組ダイジェスト版)でたまに聴いている」と発言。伊集院光が知っている数少ない最近の声優らしい。
- ポアロ(鷲崎健・伊福部崇)
元々は「深夜の馬鹿力」の初期に電波歌のコーナーへ投稿していた名物職人。これをきっかけに二人とも放送業界に入り、鷲崎はラジオパーソナリティーとして、伊福部は放送作家として活動している。
- 桃井はるこ
「Oh!デカナイト」時代のリスナー。「深夜の馬鹿力」で伊集院が桃井を「ニセ広末涼子」と揶揄したが、その事実を知り「味方を撃ってしまった」と落ち込み謝罪した。 - 春日俊彰(オードリー)
「Oh!デカナイト」時代のリスナー。この番組がきっかけで「オールナイトニッポン」も全曜日聴く様な熱心なラジオリスナーになった。 - 山里亮太(南海キャンディーズ)
学生時代から伊集院光の番組のリスナーであったと公言し、現在も「深夜の馬鹿力」のリスナーである。
現在、同じ「JUNK」において「山里亮太の不毛な議論」のパーソナリティを務めており、横のつながりができたので伊集院からいじられることがある。
「深夜の馬鹿力」の裏で「オールナイトニッポン」がももいろクローバーZ(山里が大ファン)の特別番組を放送した際、名指しで山里にだけ向けたクイズを突然行い、山里は番組プロデューサーに直接メールで解答を送り続けた。 - 小野大輔
「みなみけ」イベント内にて「大学時代に伊集院のラジオ(「深夜の馬鹿力」)をよく聞いていた」「ポアロのファンである」と発言している。 - 斎藤佑樹(北海道日本ハムファイターズ)
伊集院光との雑誌の対談の中で発言。「伊集院光は過激で超スケベな話をする人だと思っていた」らしい。高校受験の際に聞いていており、親が聞かせたがらなかったそうだ。世代的に「深夜の馬鹿力」のリスナーだったと推測される。
- 藤島康介(漫画家)
逮捕しちゃうぞ内でクロスワードを解くシーンにて、プロジェクトI(全日本伊集院化計画)の言及があった。他にもコンビニのポスターに伊集院の番組が書かれてもいる。
その他、神谷浩史、久米田康治、畑健二郎、和月伸宏、平野耕太、尾田栄一郎、福田萌などがいる。(公式ソース求む)
補足・豆知識
- 声優の皆口裕子は伊集院と同じ東京都荒川区立第七中学校出身。しかも伊集院は皆口の1年後輩で、同じ人形劇クラブに所属していた時期がある。皆口はこのことを知っていた
が、伊集院は幽霊部員だったので2009年11月に同じイベントに出演した際に対面して聞くまで全く知らなかった。
- 伊集院の兄はナムコの社員で、「女神転生」の開発スタッフの一員である。ちなみに兄の中学生時代の同学年には元女子プロレスラーのジャガー横田が居た。
- 伊集院の父はライオンの元社員で、生理用品の開発などをしていた。
- 伊集院の祖父はかなり破天荒な人物だったそうである。生前、「田中角栄と飲み友達だ」と家族に話し、角栄の直筆とされるサインまで持ってきたという。家族の誰もが嘘だと思っていたが、死後に遺品整理をしたら祖父と角栄がツーショットの写真が出てきて驚愕させたという。さらに、伊集院が「開運!なんでも鑑定団」でそのサインを鑑定してもらったら本物であった。
- 『伊集院光のOh!デカナイト』時代には、小室哲哉の右腕と呼ばれていた久保浩二(COZY/久保こーじ)とARAKAWA RAP BROTHERS(ARB)というラップユニットを結成し、「アナーキー・イン・AK」というシングル、「ARAKAWA魂」というミニアルバムをリリースした。AKとは荒川のことで、荒川区を拠点に活動しているという設定だった。
アルバムを売る為の付録として、当時流行っていた「バーコードバトラー」用の超能力戦士バーコードを初回特典として封入した。日比谷野外音楽堂にて、入場料100円のライブを行って解散した。 - TMNのアルバム『EXPO』(1991年)収録の「Crazy For You」に“笑い声”(クレジットには「Crazy Laugher」と掲載)として参加。それが縁で小室哲哉からヤマハのシンセサイザー・EOSを贈られたり(小室のサイン入り。後にスタッフによって鍵盤が壊され、現在はベランダに放置)、TMNのライブにも一度だけ飛び入り参加した。
- 筋肉少女帯のアルバム『猫のテブクロ』に収録されている「これでいいのだ」で冒頭の「これでいいのだー!」とシャウトしているのは伊集院である。同様に、電気グルーヴのアルバム『KARATEKA』収録の「スネークフィンガー」の冒頭でシャウトしているのも伊集院である。大槻・電気共に当時交流があったためにこのような形で参加した。
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関連項目
番組
- 伊集院光 深夜の馬鹿力
- 伊集院光とらじおと
- オールナイトニッポン
- TBSラジオ(1995年に移籍以降ホームグラウンドとして活動)
- ニッポン放送(1987年にラジオデビューしてから1995年に飛び出すまで活動した古巣。2023年より本格的に復帰を果たしている)
人物
関連リンク
脚注
- *近年はあまりにこの言われ方をされたが故に逆に反発しており、あまり快く思っていない旨の発言も見られる。
- *当時のニッポン放送ディレクター。後に日本テレビに転じ、テレビプロデユーサーを経て、現在は日テレ系列のレコード会社・VAPの社長を務めている。余談ではあるが伊集院光宅の電話加入権は、安岡ディレクターが結婚した時に不要となった奥様の電話加入権を引き継いでいる。(当時は固定電話の加入権購入に相応の金額が必要だった)
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