概要
1957年山口県生まれ。1975年に新日本プロレスに入門。プロレスが台本のあるショーと知るとアントニオ猪木に真剣勝負の格闘技を興してほしいと直訴し、キックボクシングのジムに通うなどして今でいう総合格闘技を模索していた。メキシコ留学やアメリカでカール・ゴッチの指導を受けたりしたのちイギリスでブルース・リーのイトコというギミックでデビューし人気を博した。1981年に初代タイガーマスクとしてデビュー。
”初代”が付くのは、4代目までいるからである。
身長173cmとレスラーとしては小柄だったが、抜群の身体能力でブームを巻き起こした。
「タイガーマスク」とはスポーツ漫画のカリスマ、梶原一輝の原作で1968年から1971年に連載された人気プロレス漫画で、テレビアニメも放送され大人気となった。その主人公をそのままリングに登場させた新日の英断は、佐山聡の実力の裏付けがあってこそである。
タイガーマスクはそのスピードとテクニックで観客を驚嘆させたが、とりわけ目を引いたのが派手な空中殺法である。
ピョンピョン飛び跳ねるスタイルよりも伝統的なストロングスタイルを好むファンもいたが、社会現象にまでなったのはやはり革新的な彼のプロレスが一般に支持されたからである。しかし佐山は人気絶頂の83年に新日本プロレスを退団し、テレビで素顔まで見せてしまう。想像とは違いややポッチャリとしたその顔にガッカリしたファンも多かったのだ。
タイガーマスク時代に少年期を迎えたますだおかだ増田などはプロレスラーとしての姿を、ノンフィクション作家の柳沢健などは格闘技の創設者としての姿を神格化しており一見さんはひいてしまうかもしれない。
本人はそんなことなど気にする様子もなく格闘家としての道を歩み始め、UWFでの前田日明や藤原喜明らとの死闘を経て、総合格闘技「シューテンング(修斗)」を提唱するが1994年にはプロレスに復帰。1998年、今度は格闘技団体「U.F.O.」に参加。
その後さらに掣圏真陰流(せいけんしんかげりゅう)なる武道を創設。
だんだん過激な精神論が表に出てくるようになり、タイガーマスクの頃からは想像も付かない感じになってきた。
ただ基本的に理想の格闘技を追い求める、戦うことが好きな男であるのは間違いないと思われる。
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