佐村河内守単語

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人物
佐村河内守
基本情報
生年 1963年9月21日
生誕地 日本広島県佐伯五日市
存命中
--
出身地 日本広島県佐伯五日市
日本
本名 佐村河内 守(さむらごうち まもる)
別名
職業・肩書 作曲
備考・その他
人物テンプレートボックス

さむらかわちのかみ
佐村河内守 ( さむらごうち まもる )は、広島県出身の全聾自称職業作曲自称で、あった(本人が謝罪、後述)。

概要

1963年9月21日、被爆者の両の下に広島県佐伯五日市町(現広島市佐伯区)に生まれた。佐村河内とはしい姓だが、著書『交響曲第一番』(講談社;2007年)によれば、佐村河内能美島の出で、村上軍の末裔とのことである自称。 そのためかはわからないが、クセのある長にあごヒゲを蓄えた、浮世離れした威厳ある貌をしている。

1998年頃、35歳のときに聴覚を失うなか映画ゲーム鬼武者』の音楽を皮切りに本格的に音楽制作に取り掛かり、2003年交響曲第1番 HIROSHIMA』を完成させ、アメリカの雑誌「TIME」には『digital-age Beethoven現代のベートーヴェン)』と言わせしめ(※ただしTIME誌原文“Mamuro Samuragouchi: Songs of Silence. Video-game music maestro Samuragoch can't hear his own work”exitを参照すればわかる通り、この記事は2003年に作られたとされる『交響曲第1番 HIROSHIMA』よりも前の2001年9月15日に書かれたもので、ゲーム鬼武者」などの音楽を手がけたゲーム音楽作曲としての佐村河内守氏に対して「デジタル時代のベートーヴェン」と表現しただけのものであり、NHKスペシャルなどのテレビ番組が故意に印づけたような交響曲第1番 HIROSHIMA』を作曲し、それを世界が認めて「現代のベートーヴェン」と評したというものではない広島市からは市民賞(広島市民表)を受賞した人物。

「新進作曲のもっとも清新にして将来性に富むオーケストラ作品」を対とした芥川作曲賞の選考過程においては審員である三枝が推すも最終補とならなかったが、「NHKスペシャル の旋 ~音を失った作曲~」(2013年3月31日放映、NHK)で大々的に紹介されると交響曲第1番のCD売上がオリコン週間総合チャートで2位を獲得、その驚異的な売上を紹介する形で「めざましテレビ」(2013年4月11日フジテレビ)、スマこと「中居正広金曜日のスマたちへ」(2013年4月26日TBS)でも取り上げられ、数万枚売れればヒットと呼ばれるクラシック界で約17万枚もの売上(2013年8月時点)を記録した。

そして、ついにはソチオリンピックにて、フィギュアスケート高橋大輔ショートプログラム演技に彼の楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ 短調」を使用すると報じられた。

このように佐村河内守の名が上がり続けることに対し、彼の一連の楽曲を本当に作曲していた学園大学音楽講師 、新垣隆氏が世間を騙し続けることについに耐え切れなくなり、2014年2月週刊誌に一連の事実告白、さらに同6日に行われた同氏の記者会見によって衝撃の事実が判明した。

説明を続ける前に公式サイトに載せていた佐村河内守氏のプロフィールがあるのでまずはそのままご覧頂きたい。

4歳で母親ピアノの厳格な英才教育を始める。
その他、幼少からヴァイオリン尺八マリンバなどを習う。

5歳で「マリンバのためのソナチネOp.1」を作曲

小学校広島市五日市小学校)4年生でベートーヴェンピアノソナタバッハを弾きこなす。

10歳のとき「もう教えることはない」と母親から告げられて作曲を志望。

これ以後は楽式論、和法、対位法楽器法、管弦楽法などを独学。

中学生時代は音楽に邁進する一方で、学年の番長との喧嘩や他校への出張抗争を繰り返す悪童でもあった。

1980年頃、17歳で『交響曲第1番』の作曲に着手。同年から原因不明偏頭痛や聴覚障害を発症。

1981年頃、崇徳高等学校卒業後に上京したが現代音楽作曲法を嫌って音楽大学には進まず、肉体労働者として働きつつ独学で作曲を学ぶ。

1982年頃、19歳の時に失職して賃を払えなくなり、アパートを追い出されてホームレスとなり、半年間の路上生活を送った。

1988年ソロロック歌手としてデビューしたが、その直後に音楽的理解者だった実交通事故で失ったことがきっかけでプロダクションとの契約を解除。

以後もアマチュアロック歌手としてバンド活動を行っていたが、その頃から聴覚異常を発症し、1989年健康上の理由でバンドから脱退。

1995年から1996年まで道路清掃のアルバイトで生計を立てる。

1996年頃、33歳で映画秋桜cosmos)』の音楽を手がける。このとき、左は聴を失っていた。

1998年頃、35歳のとき、『鬼武者』のための音楽制作し始める直前に聴覚を失って全聾となる。

鬼武者完成後、自らの聴覚障害を初めて表。長らく聴覚障害を隠していた理由について、自身は「の不自由作曲の作品には、同情票がつくであろうこと。それだけはどうしても避けたかったのです」「『聴覚障害を売り物にした』という誤解も避けられないだろう」と説明している。

1999年ゲームソフト鬼武者』の音楽「交組曲ライジング・サン」で脚を浴びる。

2002年、身体障害者手帳(感音性難聴による両全聾、身体障害者等級第1種2級、両鼓膜欠落)の交付を受ける。

同じ頃から盲児のための施設にてボランティアピアノを教える(この施設の女児の一人は、佐村河内が『交響曲第1番』の制作を再開するにあたり彼に霊感を与え、この作品の被献呈者となった)。

2003年、『交響曲第1番 HIROSHIMA』を完成
その直後、病苦から発作的に縊死を図るも未遂に終わる。

2005年8月、『交響曲第2番』を完成。その翌日、再び縊死を図るもやはり未遂に終わる。

2008年9月1日広島市広島厚生年金会館ホールで行なわれた「G8議長サミット記念コンサートヒロシマのメッセージ世界に~」にて交響曲第1番の第1楽章と第3楽章が広島交響楽団により世界初演される。

同年、広島市民表市民賞)を受ける。

2009年交響曲第1番は芥川作曲賞の選考過程で審員である三枝が推すも最終補とならなかった。

科に通院し、1日に15種類の用しつつ音楽制作活動を行う。

2010年4月4日大友直人揮の東京交響楽団により、交響曲第1番(広島初演版による訂版)の第1楽章と第3楽章が東京芸術劇場演奏された。

続く4月11-12日、同じコンビ交響曲第1番全曲の録音をパルテノン多摩で行う。曲が複雑なため、録音にあたってはライブ録音ではなくセッション録音を選択。クラシックでは近年、コストの少ないライブ録音がとなっており、日本コロムビアクラシック録音としてはこの10年かけたことのない額が必要だったという。録音初日には東日本大震災の最大級の余震が発生。

8月14日秋山和慶揮の京都市交響楽団により、交響曲第1番全曲版が京都コンサートホール演奏された。

2011年2013年4月開の映画、ふたたびの加奈子」の音楽を担当。

2012年6月25日ヴァイオリン大谷康子らが佐村河内の「伴奏バイオリンのためのシャコンヌ」を演奏する。

2013年3月10日石巻市小学校の体育館で「ピアノのためのレクイエム」を初披露。

子のヴァイリニスト、大久保美来に「ヴァイオリンのためのソナチネ 短調」を制作

3月31日、佐村河内守を特集したNHKスペシャルの旋 ~音を失った作曲~」が放送される。番組では、『交響曲第1番』の成功、聴を失った苦悩、東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム制作に至る経緯などが紹介された。

この番組が反を呼び、交響曲第1番のCD売上がオリコン週間総合チャートで2位を獲得。
その後も売上を伸ばし続け、2013年5月時点で10万枚記録するヒット作となった。

2013年8月17日大友直人揮の東京交響楽団による演奏会で、交響曲第1番に先立ち「弦楽のためのレクイエムヒロシマ」(合唱版を編曲したもの)が世界初演された。

このプロフィールに対し、記者会見によれば、新垣氏は彼のゴーストライターであり、これまで彼の作品とされてきた曲(細かい検証はまだなされていないが、新垣氏のするところによればほぼすべて)は、その実、新垣氏の作品であったというのである。

それどころか、佐村河内氏は全聾などではなく普通が聞こえ手話や筆談等しの通常の会話で新垣氏とやりとりし、新垣氏が作った曲を聴いて採用を判断していたという。テレビ番組では彼はをついていたが、新垣氏と会うときはをつかずに現れたときもあり、佐村河内氏の音楽は「ピアノ初心者程度」で「楽譜は書けない」レベル作曲に当たってはグラフのような示書を渡して曲のイメージを伝えることもあれば、それすらなしに作曲依頼されることもあった、とのことであった。

なお今回表された示書について、記者会見当日に大阪ニュース番組「かんさい情報ネット ten.」に出演していた「なにわのモーツァルトキダ・タロー氏は「何の意味もない。でも書ける」とその示の曖昧さを酷評している。

記者会見ニコニコ生放送でも放送されたので、アーカイブ再生できる方は以下で視聴することができる。

また、同会見を文字起こししたニコニコニュースの記事は、以下で閲覧できる。

この会見に対して佐村河内守側は、弁護士を通じて障害者手帳を根拠に彼が全聾であることをしたが、広島市から受けた市民賞については返納する旨の申し入れをに行い、市民賞の取り消しが決まった。

一連の騒動を受けて彼のCDは取り扱い中止、楽曲配信も停止、予定していたコンサートも中止、自叙伝の著書「交響曲第一番」は通常版(講談社文庫版(幻冬舎)ともに絶版、彼のインタビュー記事を掲載した号の刊誌「庭画報」が新規出荷を停止、福島県本宮市佐村河内作曲依頼した市民の歌「みずいろのまち」は東日本大震災3年の追悼式典で発表される予定だったが破棄、などと大騒ぎになっている。

鬼武者』のサウンドトラックなどは一気に高騰し、いまやAmazonで4万円近くの値をつけるに至っている。
著作権に関する諸々が解決されたには、新垣隆氏を正しい作曲者とした新たな形態での出版・発売も考えられるが、『HIROSHIMA』などの人気曲はともかく、ゲームシリーズそのものが終了して久しい『鬼武者』のサウンドトラックの再販などはかなり危うい。またそもそも、評価が高い楽曲とはいえ、こういった騒動が起こってしまった以上、作曲者が新垣氏かどうかに関わらず、二度と販売されない可性も十分ある。

新垣隆氏の記者会見から沈黙を続けていた佐村河内氏であったが、6日後の2月12日未明になって事態が大きく動き出す。

謝罪文発表

佐村河内守氏から2月11日付で謝罪文が発表された。謝罪文全文は以下の通り(原文は縦書)

お詫び

今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。
そして、すぐに説明が出来なくて申し訳ありませんでした。
弁護士さんにも本当のことが言えなくて、決断するのに時間がかかってしまったのです。
また、私のせいで、多くの方々に大変な迷惑をかけてしまったことも心かお詫びしたいと思っています。

私のCDを買った方々、応援して下さった方々、音楽関係の方々、私の噓によって番組を作った方々、本やインタビュー記事を出して下さった方々、大切な本番の直前に騒動に巻き込んでしまった高橋大輔選手、被爆者の人たち、被災者の人たち、障害者の人たち、広島市の関係者、友人家族等、本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から深くお詫びいたします。

私がついた噓は、新垣さんのことだけではありません。
もちろん、新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです。

今は、自分を偽って生きて来たことを深く恥じています。

そして、私の要に18年もの間応じて来たことから、人生が狂ってしまった新垣さんに対しても、お詫びしたいと思います。

ただ、のことについては、新垣さんが、出会った初めころから聞こえていたはずだと言われていることは事実とちがいます。が聞こえなくなって手話サークルに参加して、それから聴覚障害2級で手帳をもっていることはまちがいありません。そして、が聞こえなくて、ひどい鳴りに悩まされ続けていたことは本当です。

しかしのことでは、最初弁護士さんにも正直にお話しできなかったので、そのことについて説明します。

実は最近になって、前よりは、少しが聞こえるようになっています。

三年前くらいから、元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました。但し、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は元ではっきりゆっくり話してもらっても聞き取れないこともあります。しかし2月4日に初めて弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと言ってしまいました。

私としては、新垣さんに作曲してもらったことがバレることによって起きることで頭がいっぱいで、のことも聞かれたのですが、怖くて本当のことを言えませんでした。音楽的経歴のこともそうですが、他の噓のことを話すと、引き受けてもらえないと思ったのです。

もう、週刊文春が出る直前でしたから、すがる思いで相談していました。

新垣さんの会見自体は見ていませんでしたが、知人からも、のことが問題になっていると聞き、本当のことを言わなくてはと思い、2月7日に少し聞こえるようになっていると話しました。

ただ、この時は、人の言葉は聞き分けられないと説明したのですが、色々な情報が出ていると聞き、もうこれ以上は噓はつけないと思い、2月9日になって、のそばではっきり話してもらえば人の言葉も聞き分けられる時があることを告白しました。そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのではないかとも質問されましたが、それだけはちがいます。

全然聞こえなくなって聴覚障害認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です。

もうこれ以上、噓に噓を重ねるのはやめると決めました。
ですので、今日は、ここに書いていることは、明に誓って真実です。

のことについては、専門よるきちんとした検を受けてもいいです。その結果二級ではないと判定されたのなら手帳は必ずお返しいたします。

それと、いくつかご説明もさせて下さい。
もちろん、すべて真実をお話すると決めたので、この後に書くことに噓はありません。

まず、私と新垣さんとの関係は二人きりの秘密でした。
この噓がバレてしまうと、身の破滅になると恐れていたので、妻にもにも話していません。
妻も新垣さんのことは知っていますが、現代音楽の専門なので作曲の仕方などを教えてもらっているとしか説明していませんでした。

また新垣さんへの示書を書いたのは私です。
お義母さんに妻の筆跡だと言われていると聞いて驚きましたが、誤解です。
何かの一部を妻に書いてもらったことはあるかもしれませんが、そのくらいです。

私の実家ピアノがあったのは引っ越す前のことだったので、お義母さんの知らない時期のことです。

もちろん、お義母さんの言われるとおり、私のせいで、妻にも辛い思いをさせています。
妻が望むなら、離婚してもいいと思っています。
そのことは妻の判断に任せます。

それと私が被爆二世であることも真実です。
私の両は共に広島で被爆しています。
二人とも被爆者手帳を持っておりますし、弁護士さんにも、写真で確認してもらっています。

私がやってきたことは売名行為と見られても仕方のないことです。
私自身、そういう気持ちが一方にあったことはまちがいありません。
しかし、ある時期からは被爆者や震災の被災者の人たち、障害を持った人たちの助けになればという気持ちもまちがいなくありました。
もちろん、今となってはそのような事を言っても信じてもらえないかもしれませんが、心の中には、いくつもの思いがあったことも確かなのです。
しかし、私の気持ちを信じてくださった方々に、もっと大きなショックを与えてしまったことになります。

本当に取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。

もう一つ、弁護士さんにはじめにお願いしたことなのですが、私が新垣さんに作ってもらった楽曲は、私のことさえなければ、きっと後世に残るはずのものですし、今はこの楽曲が生かされ、少しでも周りの方々の被害が少なくなるようにしてもらいたいと思います。

最後になりますが、やっと気持ちが整理できましたので、近い内に必ずの場で謝罪をさせていただきます
本当に申し訳ありませんでした。

                                               平成二六年 二月十一日
                                                      佐村河内 守

要約すると、以下の通りとなる。

  • 今までの私の行動により迷惑をかけた方々に心かお詫びしたい。
  • 私の音楽経歴や新垣隆氏との関係は、新垣氏の会見の通り。
  • ただし「出会った頃から今までが聞こえた」との新垣氏の発言は違う。
  • 3年ほど前から、元ではっきりゆっくり話してもらえば、音はむものの体調によっては聞き取れることもあるまでに回復していた。
  • ただ、弁護士に担当してもらえなくなるのが怖くて、2月9日まで弁護士に対して、は全く聞こえないというをついていた。
  • 3年くらい前までが全然聞こえなかったのは真実である。
  • 現在の状況について専門による検を受けてもいい。その結果聴覚障害二級にあたらないと判定されたら障害者手帳は必ず返納する。
  • が「示書は妻の筆跡」と言っているとの報道があったが、示書を書いたのは私で、妻には何かの一部を書いてもらったことがある程度。
  • 私の両は被爆者であり、被爆2世であることは真実である。
  • 私の行いが売名行為だという意識と、被爆者や被災者及び障害者の助けになればという意識の両方をもっていた。
  • 近い内に必ずの場で謝罪する。

この文章を信じるならば「NHKスペシャル」や「スマ」等のテレビ番組を収録したのは3年以内であるから、収録時に体調如何ではある一定の聴があったことはありうる。

また、佐村河内守氏の障害者手帳の内容はプロフィールが正しければ「身体障害者手帳(感音性難聴による両全聾、身体障害者等級第1種2級、両鼓膜欠落)」とあるが、鼓膜を再生手術するなどして機がやや回復したか(ただし2級レベルは内または内から聴覚中枢に至る部位の機もおかしくなっているのが普通である)、感音性難聴ではなく聴覚に関わる部分に全く器質的な障害が見られない機難聴ヒステリー性難聴)だったか、聴覚検が精密に行われておらず聴覚障害はあったものの聴覚又は衡機障害2級の「両の聴レベルがそれぞれ100デシベル以上のもの(両全ろう)」までの障害ではなかった、などの様々な可性が考えられるが、いずれにせよ彼のの状態については再検められる状況であった。

続く2月13日(現地時間)、高橋大輔は予定通り「ヴァイオリンのためのソナチネ」でショートプログラム演技した。映像でのテロップ表記は「DAISUKE TAKAHASHI - SONATINO FOR VIOLIN」で、作曲者表記(BY Mamoru SAMURAGOUCHI)等はなく、unknown作曲者不詳)扱いのままであった。

2月15日佐村河内氏を弁護し、マスコミ対応も行っていた担当弁護士2名が、突如佐村河内守氏の代理人活動を辞すると発表を行った。(出典: 朝日新聞exit弁護士側から発表された内容は以下のとおりである。

当職らは、都合により、佐村河内守氏の代理人を辞任いたしました。その具体的な経緯、理由につきましては、弁護士の守秘義務の問題があり、お答えできませんので、あしからずご了承下さい」

2月18日佐村河内氏に対して障害者手帳を発給していた横浜市は会見を行い、佐村河内氏が横浜市の担当者と面会した結果、近く定する医師の聴覚機の再診察を受けることに佐村河内氏が同意したと発表した。ただしこの会見によれば、横浜市佐村河内氏とアポイントメントできたのは15日までに辞任した担当弁護士を通じて行えたとのことであり、佐村河内氏は横浜市内の自宅マンションではない別の場所にいるとのことから、この時点においても佐村河内氏の謝罪会見への筋は不透明なままであった。

新垣氏は2月27日発売の「週刊文春」に新たな手記を寄せ、佐村河内氏の謝罪文にはまだがあり、3年前からが聞こえるようになったという部分について「(出会ってから)18年間、ずっと聞こえていたのだと思います」と否定した。その根拠として、新垣さんが作った曲のテープを佐村河内さんが聴いて内容を判断していたこと、電話普通に会話していたことなどを挙げ、めて謝罪文で彼が約束したの場での会見を一刻もく開くようめた。

これらの動きにも頑なに沈黙を守り続けていた佐村河内氏側であったが、遂に3月6日佐村河内氏は、3月7日午前11時より、都内で会見を行うことを直筆FAXで発表したFAX中で、会見では「横浜市の申請によって受けた医療検の結果についてもきちんとお話しいたします」とし、新垣隆氏らの発言に対しては「事実とは異なる点がありますので、自分の言葉でご説明させていただきたい」と予告し、そして会見の日を迎えた。

謝罪記者会見

3月7日午前11時、まだ佐村河内氏が姿を表さない段階で、報道各社に聴力検査の再診断書の内容が配られたが、その中には「身体障害者福法に基づく聴障害には該当しない」との記述があった。そして開始予定より遅れること数分、佐村河内氏が会見場に登壇した。

佐村河内氏は(↑のサムネイル写真のように)、トレードマークだった長を短くきり、も剃り、サングラス、手につけたサポーターといったそれまで必需品だとっていたはずのものを外して登場し、会場を驚かせた。冒頭、彼は起立したまま、リスナーCDの購買者、関連書籍の出版社、レコード会社、関連番組を放送したテレビ局フィギュアスケート高橋大輔選手などの名前を挙げて謝罪し、それから着席した。

当初の予定では会見場に椅子を3つ用意するよう示があったそうだが(会見までに新たな弁護士が任命された場合の同席用と思われる)、結局用意された椅子佐村河内氏用の1つのみで、彼のほかには手話通訳者佐村河内氏の斜め前方に位置する形で、会見は始まった。

まず佐村河内氏は、めて受けた聴力検査によって「感音性難聴」と診断されたものの、身体障害者福法が定める聴障害の基準には「該当しない」という結果になったと表。その結果により障害者手帳を返納したと明らかにしたが「障害年金は一度も受け取っていない」とした。手話通訳の必要性については「(聴き取れる時もあるというのは)説明が難しいが、音がひずんで聴き取れないことがほとんどであり、手話通訳を必要としていることはうそ偽りない」と説明した。

佐村河内氏は反論のをまとめた原稿を一通読み上げ、そして11時25分頃から報道各社の質疑応答に入った。

会見において彼が強調したのは新垣隆氏への仕返しであった。要点を箇条書きにしてまとめる。

その後、新垣氏の発言とが食い違っていることについて問われると「新垣さんほかを名誉毀損で訴えます」とはっきり宣言した。

質疑応答は予定していた2時間を大きくオーバーし多岐にわたった。(例: なぜ補聴器を付けないのか?→補聴器を付けても感音性難聴は音が籠もるためつけていない。補聴器自体は3台持っている)それらすべてを拾うととんでもなく長文になるため会見の詳細は アーカイブ動画exit_nicolive を見るか、ニュースサイト等で各自読んでいただきたい。

奇しくも謝罪会見の質疑応答の最初と最後の質問者はニコニコ動画であった。会見終了時間の押し迫った13時30分頃、七尾功氏は次のように質問した。

現在40万人が見ており生中継されてます。その中で手話の方が伝えるよりく答えていると疑問視されてます。佐村河内さん自身が手話ができるのか見せてください」

すると、佐村河内氏は立ち上がり、みのない素手話で、以下のような内容の手話を披露した。

「私の名前は佐村河内守といいます。今回私は悪いことをしました。日本中の皆様にお詫び申し上げます」

この程度の内容は想定問答集に含まれていたはずだし、含まれていなければ同氏はある程度以上の手話者ということになる。これに対して七尾氏が、手話がわかる人間が横に居ることを告げ、手話について詳しく検証しようとしたが、そこで佐村河内氏が質疑応答を打ち切った。会見場に次の予定があるため14時までしか使えないとの説明があり、バタバタした印で会見は終了した。ただし当初の会見が13時終了予定とされていたことから、時間的に見れば終了予定を延長して出来る限りの質問には回答しようという姿勢は見られた。

結局、この会見の一番の注点であった佐村河内氏の聴については、波測定などを行った再精密検の結果が「(法定のいかなる)聴障害には該当しない」となっていたためそれが彼の現時点の聴客観事実となったが、彼は今でもゴーンという鳴りがあるし、2002年の段階では聴はなかったため障害者手帳の交付について問題はなかったとの従来のを繰り返した。

なお、この件に関して同日15時頃より開かれた横浜市の追加の記者会見の内容は以下のとおり。

  • 再検2月20日紹介した内の咽喉科医が実施した
  • 音が聞こえたら知らせる検や、波を使う検など5種類の精密検を行った
  • その結果(もっとも軽い6級の基準にも当たらず)「聴覚障害には該当しない」と診断された
  • 再検結果に従い佐村河内氏は2月28日障害者手帳を返納した
  • 直近3年間で重度障害者医療費助成金として約24万円支給していた
  • しかし、障害に該当しなくなった時期を調べられないことなどから返還は要しない

佐村河内氏はこの謝罪会見を最後にテレビ等には出演しないと宣言したが、新垣氏ら関係者が納得したかどうかはわからず再反論があると思われ、同時に佐村河内氏の次の担当弁護士が内定していることと、新垣氏や出版社等への法廷闘争も匂わせたため、今後、この騒動は別の形、別の舞台で展開していくことも考えられる。

また、この記者会見の前日、日本コロムビアは同社ウェブサイト上において 社内調査等の結果を踏まえた事実関係の報告exit表した。この文書によれば、「交響曲第1番“HIROSHIMA”」CD発売までの経緯、ゴーストライターの存在、佐村河内守氏の聴および経歴については特に確認作業はしておらず、「第三者が関与しているらしい」といった話を同社の担当者がにしたことがあったものの、根も葉もい噂に過ぎないだろうと受け流したとのことである。そして、専属契約マネジメント契約等を佐村河内氏と結んでおらず、同社に法的な責任はなく、責任があるのは佐村河内氏側であるとし、義的責任についてのみ商品購入者にお詫びを行った。

問題の検証

謝罪会見終了後、各方面から様々な反応があった。 謝罪会見というより新垣氏らを名誉毀損で訴えると脅して口止めするための会見じゃないか」というしい意見や、内容以前に日本佐村河内謝罪会見なんぞにが向いて平和ボケだ」なんていうもあった(御説御も)

また、ゴーストライターがそこまで問題なのかと考える人「こんなこと業界ではよくあること」だと言う。それもその通り、音楽業界では作曲者のほかに編曲アレンジャーがいるのは普通であるし、特にクラシック音楽の場合は作曲者が楽曲に用いる全ての楽器演奏できるわけではないから、それぞれの専門の意見、たとえば弦楽器で重奏する場合はボウイングの上げ下ろし、動かす速度や強さ)が分かる人に助言をめたりするのが普通である。楽器の編成数についても作曲者の譜面示だけでなく、演奏者側の揮者と楽団が相談して加減する。(そもそも初期のクラシック音楽教会や舞踏会などの小会場で用いるため少人数の楽器演奏していたが、今は大ホール演奏するためにオーケストレーションの拡をしている。その上、今ではしくなった楽器パートを別の楽器で代用していたりする)

さらにCD化する場合は録音とバランスの調整(交響曲第1番は曲が複雑なため、全体をライブ録音するのではなく、セッション録音された)や、音割れしないようにレベル調整・音質をイコラジングしたりと、様々な人の手が関与している。

そもそも、世間はゴーストライターの件や、佐村河内氏に騙されたことに憤慨して注しているのだろうか?彼が音楽を手がけたゲームプレイした人(ニコニコ動画にはこちらのほうが多そう)とか、クラシック音楽をよく聞く人以外は、この騒動が起きるまで佐村河内守なんて名前を知らないという人がほとんどだったのではないか。

むしろ世間が注しているのは、佐村河内氏本人の言動も去ることながら、なぜ彼が「現代のベートーヴェン」とNHKにまで持ち上げられる存在になったのか=どうしてこうなった、そしてそれが新垣氏の内部告発があるまで18年間も発覚しなかった=どうしてこんなになるまで放っておいたんだではないかと筆者は感じる。

そこで、その2点について最後に検証したい。

どうしてこうなった?

佐村河内氏はいきなり巨大な存在になったのではなく「小さなことからコツコツと」大きくなっていった人物である。

彼は謝罪会見において「打ち込み音楽を作れる」としていた(しかし、スマで見せた彼の音楽室にはパソコン楽器等はなく、できればか使用シーケンサーソフト名など具体的な制作環境について質問してもらいたかった)が、彼が音楽を世に発表し始めた1996年頃というのは小室哲哉プロデュース作品が音楽業界を席捲し、日本における打ち込み音楽という意味ではYMOブーム初音ミクブームの間のDTMデスクトップミュージックブームの時代であった。時期的に考えれば、彼が打ち込み音楽興味をもったとしても不自然ではない。

謝罪会見では彼から次のような発言があった。

私はまるで映画コスモスのときから、まったく音楽をやっていなかったにも関わらず新垣さんに初めて音楽というものを依頼して、やらせていたというような報道になっていると思いますが、私はそれ以前にもプロとしてしっかりと音楽をやっておりました。

何年前か覚えておりませんが、NHKハイビジョンが導入された当初だったのですが、『山河憧憬』という番組で音楽を担当しております。それを受けてのコスモス依頼でした。そのときは打ち込み音楽というもので曲を完成しております。

彼の言葉に基づくならば、当初彼は打ち込みで作った曲を各方面に売り込み音制作仕事を受注し、そして今度はその仕事を「これまでの実績」という宣伝材料としてもっと大きな仕事を受注するというサイクルをしていったと思われる。しかし、番組のBGMとして小音量で裏方的に短く使用する楽曲の段階では音楽の質はそこまで問われないが、音楽が裏方ではない重要な意味を持つ映画音楽ゲーム音楽といった大きな仕事を受注するにあたって、ついに自分だけでは対処しきれなくなり、あらゆる音楽に精通した人物である新垣隆氏に助け舟をめたと推測できる。

しかし新垣氏の実により成功をおさめると、新垣氏に示書を渡して作曲丸投げするのが常態化して、ついには自分で打ち込みすらしなくなっていったのではないか。

ポイントとしては、もし楽曲に「編曲新垣隆」などのクレジットさえ入っていればゴーストライター々という問題は大きく減じられたであろうという点である。この章の冒頭で書いた通り、(特にオーケストラの)音楽制作に様々な人の手が加わるのは当然で、そこに編曲者の新垣隆という協者がいて、仮に作曲者以上の大きな働きをしたとしても何ら恥じるべきものではない。

それを「自分は幼少からピアノヴァイオリン尺八マリンバの英才教育を受け、楽式論、和法、対位法楽器法、管弦楽法などを独学」しているから交響曲だって全聾でも絶対音感を頼りに1人で作曲オーケストレーション遂できる、なんてをついてまで喧伝したところが(彼の音楽活動を支えようとした者、彼の音楽制作物を購入しようとする者や彼のコンサートを聞きに行こうとする者に対する)欺行為との批難を免れない点である。

しかし、なぜ欺行為はここまで拡大したのか。く止めることはできなかったのか。次はこの点についてまとめる。

どうしてこんなになるまで放っておいたんだ?

詐欺師が使うテクニックに「有名な固有名詞を借りてくる」というものがある。古くは1985年社会問題化した豊田商事事件トヨタ自動車およびトヨタグループ総合商社豊田通商とは関係ない)とか、最近では2007年被害が表面化した仮想電子マネー「円」事件のエルアンド・ジー(大手通販サイト楽天市場を模した「円市場」を作っていた。社名はP&Gか?)など、既に実在社会的信用があるものに擬態して相手を信用させようとするものである。(ちなみに三菱鉛筆は初めから三菱グループとは全く関係だが、GHQ/SCAPすら勘違いした)

佐村河内氏が有名な固有名詞を借りるために用いたのが、被爆二世という事実と、身体障害者という虚偽を巧みに織り交ぜた武器である。これをちらつかせ憐れみを誘い同情させてしまえば、佐村河内氏の事を悪く言うことはなくなり自由自在に操ることができる。こうして味方につけた著名な作曲に「佐村河内さんの作品は素晴らしい」と言わせれば、佐村河内氏の知名度は上積みされ表立った批判しづらくなり、もっと著名な人が「著名な作曲の発言を信用して」佐村河内氏を信用してしまう。

以前から佐村河内氏に一定の疑義を呈していた音楽関係者はいた。作曲吉松隆氏は日本コロムビアからサンプル盤とスコアを入手した際、「とにかく尾まじめで正攻法な(そして宗教的な摯さを持った)ロマン的情熱の発露と、終始一貫した情念の持続は,聴くものの襟を正さずにはおかない」と一定の評価をしつつも現代音楽…という脈絡では(私同様)まったく評価され得ない作だが(…辛らつな批評家なら「ここはチャイコフスキー」「ここはマーラー」と全編にわたる模倣の跡をピックアップすることだろう)」2011年5月に述べていたexitし、音楽学者・作曲揮者の野口夫氏新垣氏の会見前、新潮45に 「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物かexit という佐村河内氏の音楽の価値を問う記事を投稿していた。ネット掲示板上の佐村河内氏に関するスレッド過去ログを見ても疑義を摘するはあった。しかし、それらのは「被爆二世で身体障害者の佐村河内さんのことを悪くいうのか?!」というシンパのマジリティとなりかき消された。このあたり、乙武洋匡氏が「身体障害者を聖人扱いするのはよくない」と言うのも頷ける例というか、々が様々な障害を自身の知識不足から不可触な存在としてしまった結果がこれなのである。

しかし佐村河内氏に近しいビジネス関係者となると事情は変わる。現時点では検証報道が少ないため告発した週刊文春に基づく情報になってしまうが、ゲーム鬼武者」の制作会社カプコンの社内では佐村河内氏のが聞こえることは皆が知っている暗黙の了解事項だったとか、NHKスペシャル企画を持ち込んだ外部の委託ディレクター佐村河内氏のが聞こえることをの席で周囲に漏らしていた上、彼がTBSに勤務していた5年前から佐村河内氏を取材していたことを誇らしげに自慢していたという情報がある。

さらに池田信夫氏の摘によれば NHKスペシャルは放送前に100人近くが試写を見るexit とのことであるが、そのうちただの1人もおかしいとは思わなかったのか。NHKスペシャルの冒頭部分の佐村河内氏が液晶テレビスピーカーをあてて音を聞き取るとしたシーンは演出ではなかったのか。

週刊AERA2013年6月に行ったインタビュー「取材終了後、帰りのタクシーが到着してインターホンが鳴ると、佐村河内氏が即座に立ち上がって『来ましたよ』と言った」点を不審に思いインタビュー記事を掲載をしなかったとの記事を書いたが、不正を告発するスクープ記事のチャンスでありながら、朝日新聞出版としては見て見ぬふりしておこうということだったのか。もし本当にこれらが事実ならば、彼らは佐村河内氏が本当は同氏がする通りの身体障害者ではないことを薄々知りつつ、セールス上、黙っていたほうが得だと考えた欺行為の助者ではないのか。

疑問に思っても、多くの人は聴覚障害に関して大したことを知らないから、佐村河内氏から身体障害者手帳を水戸黄門の印籠のように見せられてしまえば黙りこむしかないのかもしれない。同氏が聴覚障害に関していろいろと反論をしても、その反論を詳しく検証せずに、難聴に詳しくない科医にコメントめるしかないのかもしれない。同氏が音に反応するからというだけで、医学的基準と文化背景の混ざる「聾者」にはあたらないと高に批判するしかないのかもしれない。しかしだからこそ、再発を防止する意味で佐村河内守氏を扱ったマスコミには自己検証してもらいたい。第四階級のバークが泣くぞ。

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佐村河内守

1010 ななしのよっしん
2023/06/05(月) 16:03:59 ID: Ig70MvbHYE
結局、名誉毀損の件はどうなったん?(笑)
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1011 ななしのよっしん
2023/07/27(木) 20:50:16 ID: ka7iu2wZ3F
ビッグモーターの会見の「明」で久しぶりに佐村河内思い出した。あっちは全然笑えないことしでかしてくれたけど。
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1012 ななしのよっしん
2023/08/31(木) 22:50:05 ID: QXN3FGojUQ
JR電車モニター無音ニュースでこの人のこと初めて知ったな
当時はかなり話題になってたよね
小保方クラスかな
は専門じゃないので譜面作れないけど曲のアイデア作るの得意だから新垣さんとタッグでやっていきます的なスタンスでいけば今も音楽で食っていけてたんじゃないかと思う
大衆受けクラシック作るのだってそれはそれで立
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1013 ななしのよっしん
2023/09/02(土) 16:18:12 ID: k0DjFr3+2d
>>1012
小保方と佐村河内は問題の質が全く異なる。
小保方のSTAP論文や博士論文は、明確な研究不正であって、日本科学研究の信用を大きく損ねた重大な事件。
佐村河内は、少なくとも開された情報で悪いところは全くない。まあおそらく、性格が悪いから相方つかされたんだろうが、情報がない以上推測でしかない。
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1014 ななしのよっしん
2023/10/08(日) 10:13:44 ID: 30NVJ4P34K
いや、その企画者(producer)が作曲者(composer)足り得るという認識が良くわからん…
そりゃ本人らが納得してやってる(信用を以て著作者名義を企画者ないし依頼者たる佐村河内にしている)間は名義上問題なかっただろうが、結局それって両者の信用関係に依存してる体の良い詐称であることに変わりないのでは?皆やってるからOKというのもおかしい話でしょう

それとは別に、が聞こえるかどうかは問題の中心ではない
いつから症状が治まったか、その時期「作曲をしていた」のか、という結局本人達の弁に依存する話にしかならないし、
そもそも佐村河内作曲作業を最初からしていない以上聾の作曲という肩書きの「作曲」の部分が偽であることは変わりないので。
まあ、差別を引き合いに出して反論を牽制しようとしてるのはいただけないのだが。
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1015 ななしのよっしん
2023/12/11(月) 11:41:47 ID: MRe4N/QLB4
PやDが制作物の権利を得るのは間違ってないけど
作者足り得るかっていうと一切足り得ないね
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1016 ななしのよっしん
2023/12/11(月) 12:55:20 ID: 5Fwms9386Q
小遣いでももらってんのかってくらい擁護に必死が湧いてんなw
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1017 ななしのよっしん
2024/01/10(水) 09:59:36 ID: 35h/WhbbOl
映画音楽とかも監督が打ち合わせで作曲に曲の要望を出して作るもんだが、クレジットで本当の作曲名前を出さずに音楽担当者として監督名前を出したりはせんぞ
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1018 ななしのよっしん
2024/02/05(月) 11:51:09 ID: n4c6BnTjSL
KBTIT一族破門されたの見たの問題で
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1019 ななしのよっしん
2024/02/05(月) 11:56:03 ID: dGMpA4/Xuy
久保帯人KBTITから露に遠ざかってるからな
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