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さむらかわちのかみ
佐村河内守 ( さむらごうち まもる )は、広島県出身の全聾(自称)の職業作曲家(自称)で、あった(本人が謝罪、後述)。
概要
1963年9月21日、被爆者の両親の下に広島県佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)に生まれた。佐村河内とは珍しい姓だが、著書『交響曲第一番』(講談社;2007年)によれば、佐村河内家は能美島の出で、村上水軍の末裔とのことである(自称)。 そのためかはわからないが、クセのある長髪にあごヒゲを蓄えた、浮世離れした威厳ある風貌をしている。
1998年頃、35歳のときに聴覚を失うなか映画やゲーム『鬼武者』の音楽を皮切りに本格的に音楽制作に取り掛かり、2003年秋『交響曲第1番 HIROSHIMA』を完成させ、アメリカの雑誌「TIME」には『digital-age Beethoven(現代のベートーヴェン)』と言わせしめ(※ただしTIME誌原文“Mamuro Samuragouchi: Songs of Silence. Video-game music maestro Samuragoch can't hear his own work”を参照すればわかる通り、この記事は2003年秋に作られたとされる『交響曲第1番 HIROSHIMA』よりも前の2001年9月15日に書かれたもので、ゲーム「鬼武者」などの音楽を手がけたゲーム音楽作曲家としての佐村河内守氏に対して「デジタル時代のベートーヴェン」と表現しただけのものであり、NHKスペシャルなどのテレビ番組が故意に印象づけたような『交響曲第1番 HIROSHIMA』を作曲し、それを世界が認めて「現代のベートーヴェン」と評したというものではない)、広島市からは市民賞(広島市民表彰)を受賞した人物。
「新進作曲家のもっとも清新にして将来性に富むオーケストラ作品」を対象とした芥川作曲賞の選考過程においては審査員である三枝成彰が推すも最終候補とならなかったが、「NHKスペシャル 魂の旋律 ~音を失った作曲家~」(2013年3月31日放映、NHK)で大々的に紹介されると交響曲第1番のCD売上がオリコン週間総合チャートで2位を獲得、その驚異的な売上を紹介する形で「めざましテレビ」(2013年4月11日、フジテレビ)、金スマこと「中居正広の金曜日のスマたちへ」(2013年4月26日、TBS)でも取り上げられ、数万枚売れればヒットと呼ばれるクラシック界で約17万枚もの売上(2013年8月時点)を記録した。
そして、ついにはソチオリンピックにて、フィギュアスケートの高橋大輔がショートプログラムの演技に彼の楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調」を使用すると報じられた。
このように佐村河内守の名声が上がり続けることに対し、彼の一連の楽曲を本当に作曲していた桐朋学園大学の音楽講師 、新垣隆氏が世間を騙し続けることについに耐え切れなくなり、2014年2月に週刊誌に一連の事実を告白、さらに同月6日に行われた同氏の記者会見によって衝撃の事実が判明した。
説明を続ける前に公式サイトに載せていた佐村河内守氏のプロフィールがあるのでまずはそのままご覧頂きたい。
4歳で母親がピアノの厳格な英才教育を始める。 小学校(広島市立五日市南小学校)4年生でベートーヴェンのピアノソナタやバッハを弾きこなす。 |
このプロフィールに対し、記者会見によれば、新垣氏は彼のゴーストライターであり、これまで彼の作品とされてきた曲(細かい検証はまだなされていないが、新垣氏の主張するところによればほぼすべて)は、その実、新垣氏の作品であったというのである。
それどころか、佐村河内氏は全聾などではなく普通に耳が聞こえ、手話や筆談等無しの通常の会話で新垣氏とやりとりし、新垣氏が作った曲を聴いて採用を判断していたという。テレビ番組では彼は杖をついていたが、新垣氏と会うときは杖をつかずに現れたときもあり、佐村河内氏の音楽能力は「ピアノは初心者程度」で「楽譜は書けない」レベル、作曲に当たってはグラフのような指示書を渡して曲のイメージを伝えることもあれば、それすらなしに作曲を依頼されることもあった、とのことであった。
なお今回公表された指示書について、記者会見当日に大阪のニュース番組「かんさい情報ネット ten.」に出演していた「なにわのモーツァルト」キダ・タロー氏は「何の意味もない。猫でも書ける」とその指示の曖昧さを酷評している。
記者会見はニコニコ生放送でも放送されたので、アーカイブを再生できる方は以下で視聴することができる。
また、同会見を文字起こししたニコニコニュースの記事は、以下で閲覧できる。
この会見に対して佐村河内守側は、弁護士を通じて障害者手帳を根拠に彼が全聾であることを主張したが、広島市から受けた市民賞については返納する旨の申し入れを市に行い、市民賞の取り消しが決まった。
一連の騒動を受けて彼のCDは取り扱い中止、楽曲配信も停止、予定していたコンサートも中止、自叙伝の著書「交響曲第一番」は通常版(講談社)文庫版(幻冬舎)ともに絶版、彼のインタビュー記事を掲載した号の月刊誌「家庭画報」が新規出荷を停止、福島県本宮市が佐村河内に作曲を依頼した市民の歌「みずいろのまち」は東日本大震災3年の追悼式典で発表される予定だったが破棄、などと大騒ぎになっている。
『鬼武者』のサウンドトラックなどは一気に高騰し、いまやAmazonで4万円近くの値をつけるに至っている。
著作権に関する諸々が解決された暁には、新垣隆氏を正しい作曲者とした新たな形態での出版・発売も考えられるが、『HIROSHIMA』などの人気曲はともかく、ゲームシリーズそのものが終了して久しい『鬼武者』のサウンドトラックの再販などはかなり危うい。またそもそも、評価が高い楽曲とはいえ、こういった騒動が起こってしまった以上、作曲者が新垣氏かどうかに関わらず、二度と販売されない可能性も十分ある。
新垣隆氏の記者会見から沈黙を続けていた佐村河内氏であったが、6日後の2月12日未明になって事態が大きく動き出す。
謝罪文発表
佐村河内守氏から2月11日付で謝罪文が発表された。謝罪文全文は以下の通り(原文は縦書)
今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。 |
要約すると、以下の通りとなる。
- 今までの私の行動により迷惑をかけた方々に心からお詫びしたい。
- 私の音楽経歴や新垣隆氏との関係は、新垣氏の会見の通り。
- ただし「出会った頃から今まで耳が聞こえた」との新垣氏の発言は違う。
- 3年ほど前から、耳元ではっきりゆっくり話してもらえば、音は歪むものの体調によっては聞き取れることもあるまでに回復していた。
- ただ、弁護士に担当してもらえなくなるのが怖くて、2月9日まで弁護士に対して、耳は全く聞こえないという嘘をついていた。
- 3年くらい前まで耳が全然聞こえなかったのは真実である。
- 耳の現在の状況について専門家による検査を受けてもいい。その結果聴覚障害二級にあたらないと判定されたら障害者手帳は必ず返納する。
- 義母が「指示書は妻の筆跡」と言っているとの報道があったが、指示書を書いたのは私で、妻には何かの一部を書いてもらったことがある程度。
- 私の両親は被爆者であり、被爆2世であることは真実である。
- 私の行いが売名行為だという意識と、被爆者や被災者及び障害者の助けになればという意識の両方をもっていた。
- 近い内に必ず公の場で謝罪する。
この文章を信じるならば「NHKスペシャル」や「金スマ」等のテレビ番組を収録したのは3年以内であるから、収録時に体調如何ではある一定の聴力があったことはありうる。
また、佐村河内守氏の障害者手帳の内容はプロフィールが正しければ「身体障害者手帳(感音性難聴による両耳全聾、身体障害者等級第1種2級、両耳鼓膜欠落)」とあるが、鼓膜を再生手術するなどして機能がやや回復したか(ただし2級レベルは内耳または内耳から聴覚中枢に至る部位の機能もおかしくなっているのが普通である)、感音性難聴ではなく聴覚に関わる部分に全く器質的な障害が見られない機能性難聴(ヒステリー性難聴)だったか、聴覚検査が精密に行われておらず聴覚障害はあったものの聴覚又は平衡機能の障害2級の「両耳の聴力レベルがそれぞれ100デシベル以上のもの(両耳全ろう)」までの障害ではなかった、などの様々な可能性が考えられるが、いずれにせよ彼の耳の状態については再検査が求められる状況であった。
続く2月13日(現地時間)、高橋大輔は予定通り「ヴァイオリンのためのソナチネ」でショートプログラムを演技した。国際映像でのテロップ表記は「DAISUKE TAKAHASHI - SONATINO FOR VIOLIN」で、作曲者表記(BY Mamoru SAMURAGOUCHI)等はなく、unknown(作曲者不詳)扱いのままであった。
2月15日、佐村河内氏を弁護し、マスコミ対応も行っていた担当弁護士2名が、突如佐村河内守氏の代理人活動を辞すると発表を行った。(出典: 朝日新聞)弁護士側から発表された内容は以下のとおりである。
「当職らは、都合により、佐村河内守氏の代理人を辞任いたしました。その具体的な経緯、理由につきましては、弁護士の守秘義務の問題があり、お答えできませんので、あしからずご了承下さい」
2月18日、佐村河内氏に対して障害者手帳を発給していた横浜市は会見を行い、佐村河内氏が横浜市の担当者と面会した結果、近く市が指定する医師の聴覚機能の再診察を受けることに佐村河内氏が同意したと発表した。ただしこの会見によれば、横浜市が佐村河内氏とアポイントメントできたのは15日までに辞任した担当弁護士を通じて行えたとのことであり、佐村河内氏は横浜市内の自宅マンションではない別の場所にいるとのことから、この時点においても佐村河内氏の謝罪会見への道筋は不透明なままであった。
新垣氏は2月27日発売の「週刊文春」に新たな手記を寄せ、佐村河内氏の謝罪文にはまだ嘘があり、3年前から耳が聞こえるようになったという部分について「(出会ってから)18年間、ずっと聞こえていたのだと思います」と否定した。その根拠として、新垣さんが作った曲のテープを佐村河内さんが聴いて内容を判断していたこと、電話で普通に会話していたことなどを挙げ、改めて謝罪文で彼が約束した公の場での会見を一刻も早く開くよう求めた。
これらの動きにも頑なに沈黙を守り続けていた佐村河内氏側であったが、遂に3月6日、佐村河内氏は、3月7日午前11時より、都内で会見を行うことを直筆FAXで発表した。FAX中で、会見では「横浜市の申請によって受けた医療検査の結果についてもきちんとお話しいたします」とし、新垣隆氏らの発言に対しては「事実とは異なる点がありますので、自分の言葉でご説明させていただきたい」と予告し、そして会見の日を迎えた。
謝罪記者会見
3月7日午前11時、まだ佐村河内氏が姿を表さない段階で、報道各社に聴力検査の再診断書の内容が配られたが、その中には「身体障害者福祉法に基づく聴力障害には該当しない」との記述があった。そして開始予定より遅れること数分、佐村河内氏が会見場に登壇した。
佐村河内氏は(↑のサムネイル写真のように)、トレードマークだった長髪を短くきり、髭も剃り、サングラス、手につけたサポーター、杖といったそれまで必需品だと語っていたはずのものを外して登場し、会場を驚かせた。冒頭、彼は起立したまま、リスナー、CDの購買者、関連書籍の出版社、レコード会社、関連番組を放送したテレビ局、フィギュアスケートの高橋大輔選手などの名前を挙げて謝罪し、それから着席した。
当初の予定では会見場に椅子を3つ用意するよう指示があったそうだが(会見までに新たな弁護士が任命された場合の同席用と思われる)、結局用意された椅子は佐村河内氏用の1つのみで、彼のほかには手話通訳者が佐村河内氏の斜め前方に位置する形で、会見は始まった。
まず佐村河内氏は、改めて受けた聴力検査によって「感音性難聴」と診断されたものの、身体障害者福祉法が定める聴力障害の基準には「該当しない」という結果になったと公表。その結果により障害者手帳を返納したと明らかにしたが「障害者年金は一度も受け取っていない」と主張した。手話通訳の必要性については「(聴き取れる時もあるというのは)説明が難しいが、音声がひずんで聴き取れないことがほとんどであり、手話通訳を必要としていることはうそ偽りない」と説明した。
佐村河内氏は反論の主張をまとめた原稿を一通り読み上げ、そして11時25分頃から報道各社の質疑応答に入った。
会見において彼が強調したのは新垣隆氏への仕返しであった。要点を箇条書きにしてまとめる。
- 新垣氏が「もうやめましょう」と言ったのは「何度も」ではなく「18年間でただ1度」である
- 新垣氏は提示したギャラに対して最初間違いなく首を横に振り、値段を釣り上げていく、そんな人間である
- 新垣氏は私の能力を初歩のピアノのみと言ったが、私には打ち込み(DTM)で音楽を制作できる能力がある
- 新垣氏がヴァイオリンのためのソナチネをほぼ自分の物と主張していたが、私の設計図に基づいた作品である
- 新垣さんは、私が普通に会話や電話ができると言っていたが、そのようなことはない
その後、新垣氏の発言と主張が食い違っていることについて問われると「新垣さんほかを名誉毀損で訴えます」とはっきり宣言した。
質疑応答は予定していた2時間を大きくオーバーし多岐にわたった。(例: なぜ補聴器を付けないのか?→補聴器を付けても感音性難聴は音が籠もるためつけていない。補聴器自体は3台持っている)それらすべてを拾うととんでもなく長文になるため会見の詳細は アーカイブ動画 を見るか、ニュースサイト等で各自読んでいただきたい。
- 【速報】佐村河内守氏が記者会見 「新垣さんを名誉毀損で訴えます」
- ニコニコニュース/BLOGOS
- 佐村河内守氏が記者会見 「新垣隆さんを名誉毀損で訴えます」
- The Huffington Post
奇しくも謝罪会見の質疑応答の最初と最後の質問者はニコニコ動画であった。会見終了時間の押し迫った13時30分頃、七尾功氏は次のように質問した。
「現在40万人が見ており生中継されてます。その中で手話の方が伝えるより早く答えていると疑問視されてます。佐村河内さん自身が手話ができるのか見せてください」
すると、佐村河内氏は立ち上がり、淀みのない素早い手話で、以下のような内容の手話を披露した。
この程度の内容は想定問答集に含まれていたはずだし、含まれていなければ同氏はある程度以上の手話者ということになる。これに対して七尾氏が、手話がわかる人間が横に居ることを告げ、手話について詳しく検証しようとしたが、そこで佐村河内氏が質疑応答を打ち切った。会見場に次の予定があるため14時までしか使えないとの説明があり、バタバタした印象で会見は終了した。ただし当初の会見が13時終了予定とされていたことから、時間的に見れば終了予定を延長して出来る限りの質問には回答しようという姿勢は見られた。
結局、この会見の一番の注目点であった佐村河内氏の聴力については、脳波測定などを行った再精密検査の結果が「(法定のいかなる)聴力障害には該当しない」となっていたためそれが彼の現時点の聴力の客観的事実となったが、彼は今でもゴーンという耳鳴りがあるし、2002年の段階では聴力はなかったため障害者手帳の交付について問題はなかったとの従来の主張を繰り返した。
なお、この件に関して同日15時頃より開かれた横浜市の追加の記者会見の内容は以下のとおり。
佐村河内氏はこの謝罪会見を最後にテレビ等には出演しないと宣言したが、新垣氏ら関係者が納得したかどうかはわからず再反論があると思われ、同時に佐村河内氏の次の担当弁護士が内定していることと、新垣氏や出版社等への法廷闘争も匂わせたため、今後、この騒動は別の形、別の舞台で展開していくことも考えられる。
また、この記者会見の前日、日本コロムビアは同社ウェブサイト上において 社内調査等の結果を踏まえた事実関係の報告 を公表した。この文書によれば、「交響曲第1番“HIROSHIMA”」CD発売までの経緯、ゴーストライターの存在、佐村河内守氏の聴力および経歴については特に確認作業はしておらず、「第三者が関与しているらしい」といった話を同社の担当者が耳にしたことがあったものの、根も葉も無い噂に過ぎないだろうと受け流したとのことである。そして、専属契約、マネジメント契約等を佐村河内氏と結んでおらず、同社に法的な責任はなく、責任があるのは佐村河内氏側であると主張し、道義的責任についてのみ商品購入者にお詫びを行った。
問題の検証
謝罪会見終了後、各方面から様々な反応があった。 「謝罪会見というより新垣氏らを名誉毀損で訴えると脅して口止めするための会見じゃないか」という激しい意見や、内容以前に「日本は佐村河内謝罪会見なんぞに目が向いて平和ボケだ」なんていう主張もあった(御説御尤も)。
また、ゴーストライターがそこまで問題なのかと考える人は「こんなこと業界ではよくあること」だと言う。それもその通り、音楽業界では作曲者のほかに編曲者(アレンジャー)がいるのは普通であるし、特にクラシック音楽の場合は作曲者が楽曲に用いる全ての楽器を演奏できるわけではないから、それぞれの専門家の意見、たとえば弦楽器で重奏する場合はボウイング(弓の上げ下ろし、動かす速度や強さ)が分かる人に助言を求めたりするのが普通である。楽器の編成数についても作曲者の譜面指示だけでなく、演奏者側の指揮者と楽団が相談して加減する。(そもそも初期のクラシック音楽は教会や舞踏会などの小会場で用いるため少人数の楽器で演奏していたが、今は大ホールで演奏するためにオーケストレーションの拡張をしている。その上、今では珍しくなった楽器のパートを別の楽器で代用していたりする)
さらにCD化する場合は録音とバランスの調整(交響曲第1番は曲が複雑なため、全体をライブ録音するのではなく、セッション録音された)や、音割れしないようにレベル調整・音質をイコライジングしたりと、様々な人の手が関与している。
そもそも、世間はゴーストライターの件や、佐村河内氏に騙されたことに憤慨して注目しているのだろうか?彼が音楽を手がけたゲームをプレイした人(ニコニコ動画にはこちらのほうが多そう)とか、クラシック音楽をよく聞く人以外は、この騒動が起きるまで佐村河内守なんて名前を知らないという人がほとんどだったのではないか。
むしろ世間が注目しているのは、佐村河内氏本人の言動も去ることながら、なぜ彼が「現代のベートーヴェン」とNHKにまで持ち上げられる存在になったのか=『どうしてこうなった』、そしてそれが新垣氏の内部告発があるまで18年間も発覚しなかった=『どうしてこんなになるまで放っておいたんだ』ではないかと筆者は感じる。
そこで、その2点について最後に検証したい。
どうしてこうなった?
佐村河内氏はいきなり巨大な存在になったのではなく「小さなことからコツコツと」大きくなっていった人物である。
彼は謝罪会見において「打ち込みで音楽を作れる」と主張していた(しかし、金スマで見せた彼の音楽室にはパソコンや楽器等はなく、できれば誰か使用シーケンサーソフト名など具体的な制作環境について質問してもらいたかった)が、彼が音楽を世に発表し始めた1996年頃というのは小室哲哉プロデュース作品が音楽業界を席捲し、日本における打ち込み音楽という意味ではYMOブームと初音ミクブームの間のDTM(デスクトップミュージック)ブームの時代であった。時期的に考えれば、彼が打ち込み音楽に興味をもったとしても不自然ではない。
謝罪会見では彼から次のような発言があった。
私はまるで映画のコスモスのときから、まったく音楽をやっていなかったにも関わらず、新垣さんに初めて音楽というものを依頼して、やらせていたというような報道になっていると思いますが、私はそれ以前にもプロとしてしっかりと音楽をやっておりました。
何年前か覚えておりませんが、NHKでハイビジョンが導入された当初だったのですが、『山河憧憬』という番組で音楽を担当しております。それを受けてのコスモスの依頼でした。そのときは打ち込み音楽というもので曲を完成しております。
彼の言葉に基づくならば、当初彼は打ち込みで作った曲を各方面に売り込み音楽制作の仕事を受注し、そして今度はその仕事を「これまでの実績」という宣伝材料としてもっと大きな仕事を受注するというサイクルをしていったと思われる。しかし、番組のBGMとして小音量で裏方的に短く使用する楽曲の段階では音楽の質はそこまで問われないが、音楽が裏方ではない重要な意味を持つ映画音楽やゲーム音楽といった大きな仕事を受注するにあたって、ついに自分だけでは対処しきれなくなり、あらゆる音楽に精通した人物である新垣隆氏に助け舟を求めたと推測できる。
しかし新垣氏の実力により成功をおさめると、新垣氏に指示書を渡して作曲を丸投げするのが常態化して、ついには自分で打ち込みすらしなくなっていったのではないか。
ポイントとしては、もし楽曲に「編曲:新垣隆」などのクレジットさえ入っていればゴーストライター云々という問題は大きく減じられたであろうという点である。この章の冒頭で書いた通り、(特にオーケストラの)音楽制作に様々な人の手が加わるのは当然で、そこに編曲者の新垣隆という協力者がいて、仮に作曲者以上の大きな働きをしたとしても何ら恥じるべきものではない。
それを「自分は幼少からピアノ、ヴァイオリン、尺八、マリンバの英才教育を受け、楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学」しているから交響曲だって全聾でも絶対音感を頼りに1人で作曲とオーケストレーションを完遂できる、なんて嘘をついてまで喧伝したところが(彼の音楽活動を支えようとした者、彼の音楽制作物を購入しようとする者や彼のコンサートを聞きに行こうとする者に対する)欺罔行為との批難を免れない点である。
しかし、なぜ欺罔行為はここまで拡大したのか。早く止めることはできなかったのか。次はこの点についてまとめる。
どうしてこんなになるまで放っておいたんだ?
詐欺師が使うテクニックに「有名な固有名詞を借りてくる」というものがある。古くは1985年に社会問題化した豊田商事事件(トヨタ自動車およびトヨタグループの総合商社豊田通商とは関係ない)とか、最近では2007年に被害が表面化した仮想電子マネー「円天」事件のエル・アンド・ジー(大手通販サイトの楽天市場を模した「円天市場」を作っていた。社名はP&Gか?)など、既に実在し社会的信用があるものに擬態して相手を信用させようとするものである。(ちなみに三菱鉛筆は初めから三菱グループとは全く無関係だが、GHQ/SCAPすら勘違いした)
佐村河内氏が有名な固有名詞を借りるために用いたのが、被爆二世という事実と、身体障害者という虚偽を巧みに織り交ぜた武器である。これをちらつかせ憐れみを誘い同情させてしまえば、佐村河内氏の事を悪く言うことはなくなり自由自在に操ることができる。こうして味方につけた著名な作曲家に「佐村河内さんの作品は素晴らしい」と言わせれば、佐村河内氏の知名度は上積みされ表立った批判はしづらくなり、もっと著名な人が「著名な作曲家の発言を信用して」佐村河内氏を信用してしまう。
以前から佐村河内氏に一定の疑義を呈していた音楽関係者はいた。作曲家の吉松隆氏は日本コロムビアからサンプル盤とスコアを入手した際、「とにかく徹頭徹尾まじめで正攻法な(そして宗教的な真摯さを持った)ロマン的情熱の発露と、終始一貫した情念の持続力は,聴くものの襟を正さずにはおかない」と一定の評価をしつつも「現代音楽…という脈絡では(私同様)まったく評価され得ない作風だが(…辛らつな批評家なら「ここはチャイコフスキー」「ここはマーラー」と全編にわたる模倣の痕跡をピックアップすることだろう)」と 2011年5月に述べていたし、音楽学者・作曲家・指揮者の野口剛夫氏も新垣氏の会見前、新潮45に 「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か
という佐村河内氏の音楽の価値を問う記事を投稿していた。ネット掲示板上の佐村河内氏に関するスレッドの過去ログを見ても疑義を指摘する声はあった。しかし、それらの声は「被爆二世で身体障害者の佐村河内さんのことを悪くいうのか?!」というシンパの声がマジョリティとなりかき消された。このあたり、乙武洋匡氏が「身体障害者を聖人扱いするのはよくない」と言うのも頷ける例というか、我々が様々な障害を自身の知識不足から不可触な存在としてしまった結果がこれなのである。
しかし佐村河内氏に近しいビジネス関係者となると事情は変わる。現時点では検証報道が少ないため告発した週刊文春に基づく情報になってしまうが、ゲーム「鬼武者」の制作会社カプコンの社内では佐村河内氏の耳が聞こえることは皆が知っている暗黙の了解事項だったとか、NHKスペシャルに企画を持ち込んだ外部の委託ディレクターも佐村河内氏の耳が聞こえることを酒の席で周囲に漏らしていた上、彼がTBSに勤務していた5年前から佐村河内氏を取材していたことを誇らしげに自慢していたという情報がある。
さらに池田信夫氏の指摘によれば NHKスペシャルは放送前に100人近くが試写を見る とのことであるが、そのうちただの1人もおかしいとは思わなかったのか。NHKスペシャルの冒頭部分の佐村河内氏が液晶テレビのスピーカーに指をあてて音を聞き取るとしたシーンは演出ではなかったのか。
週刊AERAも2013年6月に行ったインタビューで「取材終了後、帰りのタクシーが到着してインターホンが鳴ると、佐村河内氏が即座に立ち上がって『来ましたよ』と言った」点を不審に思いインタビュー記事を掲載をしなかったとの記事を書いたが、不正を告発するスクープ記事のチャンスでありながら、朝日新聞出版としては見て見ぬふりしておこうということだったのか。もし本当にこれらが事実ならば、彼らは佐村河内氏が本当は同氏が主張する通りの身体障害者ではないことを薄々知りつつ、セールス上、黙っていたほうが得だと考えた欺罔行為の幇助者ではないのか。
疑問に思っても、多くの人は聴覚障害に関して大したことを知らないから、佐村河内氏から身体障害者手帳を水戸黄門の印籠のように見せられてしまえば黙りこむしかないのかもしれない。同氏が聴覚障害に関していろいろと反論をしても、その反論を詳しく検証せずに、難聴に詳しくない耳鼻科医にコメントを求めるしかないのかもしれない。同氏が音に反応するからというだけで、医学的基準と文化的背景の混ざる「聾者」にはあたらないと声高に批判するしかないのかもしれない。しかしだからこそ、再発を防止する意味で佐村河内守氏を扱ったマスコミには自己検証してもらいたい。第四階級のバークが泣くぞ。
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