「作品に罪はない」または「作品に罪は無い」とは、なんらかの作品に関わる人物や団体が不祥事をやらかしてしまったとき、よく語られる言葉である。
概要
例えば役者が不祥事を起こしたせいで出演作品が公開停止されたとき。あるいはクリエイターが不祥事を起こして制作した作品が絶版になったとき。
その作品のファンの中からは「作品に罪は無いじゃないか!」という憤りの声が挙がることがあるという。あるいは、落胆しつつ「あいつは最低だったけど……作品に罪は無いから……」と、それでも大好きな作品を抱いて涙するファンも居るかもしれない。
もちろん「罪がないわけあるか。最低なあいつが関わってたんだからこの作品の価値もガタ落ちだよ」といった真逆の意見もまたよく見かけるものである。
これらは「どちらが正しい」というものではなく「価値観」の問題だが、また「程度」の問題でもある。「不祥事のひどさ」「不祥事の内容と作品の内容の関わりの程度」「不祥事を起こした人がその作品に関わっていた度合い」などが、「作品に罪はない」と受け取ってもらえるかどうかに大きく関わると思われる。
様々な団体・著名人の意見の例
日本ペンクラブ
2019年4月15日に、文筆家の団体「日本ペンクラブ」が、同団体のウェブサイトで公開した声明。当時の会長であったノンフィクション作家「吉岡忍」の名義で出されている。[1]
近年、芸能人やミュージシャンをはじめとする表現者が逮捕・起訴されるたびに、その作品が封印される事態が繰り返されている。公開予定の映画の上映中止、公演の中止、テレビの放映中止、CDやDVDの出荷停止、音源・映像のデジタル配信停止などが当たり前のごとく行われている。
いずれも映画の配給会社、テレビ局、興業会社、レコード会社等々による自主規制によるものだ。結果として表現者たちは作品の発表の場を奪われ、表現の自由が侵されている。このような風潮を、表現者の集まりである日本ペンクラブは深く憂慮するものである。
こうしたさまざまな自主規制に対しては、音楽家や演出家、映画監督、作家などから「作品に罪はない」「作品と俳優は別人格」という声が聞かれた。文化の担い手でもある関係各企業はこのような声に真摯に耳を傾け、事なかれ主義の自主規制に走らぬよう切に願うものである。
この声明が出されるすぐ前の月である2019年3月にはミュージシャンで俳優の「ピエール瀧」がコカイン使用で逮捕されていたが、逮捕を受けて彼が過去に制作した音楽作品や登場した映像作品が各社から出荷停止や配信停止などの措置を取られていた。この風潮に対して、抗議するように日本ペンクラブが出したのが上記の声明であった。
松本人志(お笑い芸人、映画監督)
俺が例えば、シャブをガンガンきめて、コント10本ぐらい撮ったら何本かすごい名作生まれると思うんやけど、それで作品の罪はないのか?
2020年9月13日に、テレビ番組『ワイドナショー』で述べたコメント[2]。
「作品を産み出す原動力自体が違法薬物などに頼ったものだった場合、それで産み出された作品に罪が無いかというとそんなことはないだろう?」という意味の発言かと思われる。
類似の発言はこれ以前にもしており、例えば2019年3月17日にも『ワイドナショー』にて以下のようなコメントをしたという。[3]
僕はやっぱ、薬物という作用を使ってもしかしたら素晴らしい演技をやっていたのかもしれない、と思ったら、それはある種ドーピングなんですよ。ドーピング作品になってしまうので、僕は、監督としては公開してほしくないですけどね
難しいところやね…。5番手、6番手とちょい役の人がそれで、そこまで言うのか、ってなると分かれるとこなんですけど
作品に罪がない、罪があるってことで言うと、僕は、場合によっては(罪が)あると思うんですよ
なお、上記は薬物事件に関するコメントだが、「被害者がいる犯罪」はドーピング云々とは全く別次元の話である、との認識も語っている。
関連商品
関連項目
脚注
- *日本ペンクラブ声明 「作品に罪はない」 – 日本ペンクラブ
- *松本人志、“作品に罪はない”に疑問「俺が例えば…」 | マイナビニュース
- *松本人志が異論作品に罪はないの声に「ある種ドーピング」 - サンスポ
- 6
- 0pt