「信頼できない語り手」(または「信用できない語り手」)とは、物語を叙述する際の技法の一つである。
アメリカの文芸評論家ウェイン・C.ブース(Wayne C. Booth)が1961年の著作「フィクションの修辞学(The Rhetoric of Fiction)」で、この技法に「信頼できない語り手(unreliable narrator)」との呼び名を与えた。ただし、この技法に相当する形式の作品はそれ以前にも存在していた。
概要
小説などで物語が描かれる場合、そこには「視点」が必要である。いわゆる「一人称小説」では登場人物の一名の視点からの物語が述べられていく。
そのとき、読者はその登場人物の「視点」や「述懐」を信用して読み進めていくわけであるが、物語を述べている人物が誤った情報・曖昧な情報を読者に述べることがある。また、その人物が自らの心情を包み隠してしまうこともある。
それは、その登場人物が何らかの目的によって意識的に行っている場合もあれば、その人物が抱える何らかの問題(視力や知能などに問題がある、精神的に不安定である、偏見に満ちている、自分の気持ちに素直になれない、催眠術にかかっている、薬物の影響下にある……etc.)によって無意識的にそうなってしまっている場合もあるだろう。
その結果、読者は物語に対する判断をミスリードされたり、眩惑されたり、気になる情報を隠蔽されたりしてしまい、結果としてその物語には読者が想像する余地、誤解する余地が生まれるのである。
ミステリー小説などでは叙述トリックとして使用されることが多い。恋愛を扱った小説では主人公の本当の気持ちを隠蔽するために使用されることもある。
なお、「一人称小説」ではないいわゆる「三人称小説」ではどの登場人物も語り手ではないため、「信頼できない語り手」の手法は比較的使用されにくい。
作品の例
- 藪の中 - 登場人物それぞれが同一の事件について語る小説。だが、それぞれが話す事件の真相が全く食い違っている。よってどれか一人以外の全ての語り手(あるいは全員)が偽りを述べていることになる。
- ドグラ・マグラ - 語り手は狂人であるらしく、語られる内容が事実か否か判別できない。
- 姑獲鳥の夏 - ネタバレとなるため詳細は避けるが、「本来見えて当然の光景が語り手には見えていなかった」(これだけでもネタバレ度が高いので伏せ)という展開が使用される。
- 涼宮ハルヒシリーズ
- 〈古典部〉シリーズ
- 俺の妹がこんなに可愛いわけがない - 語り手である主人公は妹のことを「嫌いだ」と述べており、「妹も主人公の事を嫌っている」とも述べている。しかし読者からすると互いに嫌い合っているとは思えないような描写も提示されていく。
- 恋物語 - 語り手「貝木泥舟」が、自分は信頼できない語り手であることを物語開始早々に宣言している。
- ひぐらしのなく頃に - ネタバレとなるため詳細は避けるが、ある疾患(ネタバレ伏せ)により「信頼できない語り手」ものとなっている。
- うみねこのなく頃に - 「探偵」役の人間の視点で語られた場合のみ「信頼できない語り手」ではなくなる(逆に言えばそれ以外の全ての語り手が述べることには幻想が混じっており信頼できない)、という特殊な物語である。
- 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金
- デュラララ
- Ever17
- ファイナルファンタジーS - 地の文が悪こそ正義に目覚めたり主人公に殺意を向けて来たりする。
- Another
- 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
- がっこうぐらし!
- 侍戦隊シンケンジャー
- ファイト・クラブ
- シックス・センス
- Braid
- ライフ・オブ・パイ
- ファイナルファンタジーVII
- メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ
- メタルギアソリッドⅤ ザ・ファントム・ペイン
- 向日葵の咲かない夏
恐らく他にも多数。
関連項目
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