先の戦とは、忘れがたき戦いである。
概要
その人にとって記憶や記録に残している戦争・抗争・紛争のうち、最も現在に近いものを基本的に指す。
よって年表的・客観的にはもっと最近発生した戦があったとしても、「先の戦では~」と発言した人物にとって心に刻まれている戦がそれより古いものである場合がある。
(日本としては最初の大規模戦闘終結宣言後の非戦闘地域対象ではあるものの自衛隊が対アフガニスタン・イラク戦争に由来する海外派遣を経験しているが国民の一般感覚としては自分自身若しくは周りの者が体験したり体験談を伝え聞く第2次世界大戦を”先の戦”と認識する人が多いであろうし、アメリカ合衆国国民の中には国民の意識を大きく動かしたベトナム戦争の敗戦を”先の戦”としてトラウマのように認識している人もいる。)
京都人の「先の戦」
先に書いた通り、日本人の多くが21世紀初頭時点において第2次世界大戦を「先の戦」と認識している中、京都市内在中者に限って洛中(御所を含む京都の市中)が戦場となった500年以上昔の『応仁の乱(1467年~)』を「先の戦」と呼ぶ場合がある。(ちなみに第2次世界大戦中に京都市は5回爆撃を受けている)
悠久の京文化を代表する、もしくは洛中以外はすべて遠い世界(いなか)のことと京都を特別視する気風を揶揄するエピソードとして半ば冗談めかしに語られる噂の一つである。
古くは近衛文麿がある書物を探しに訪ねてきた人に「その書物は戦争で焼けた」と告げ、疎開しなかったのかと聞かれると「焼けたのは応仁の乱のときですよ」と返したと伝え広まったエピソードが有名。
但し、完全に冗談話であるかというとそうとも言えず、京都新聞が30年以上京都市内に生まれ育った100人にアンケートを取った[1]ところ、3名が応仁の乱、2名が蛤御門の変と答えた。鳥羽伏見の戦いは洛外だから入らないんだ…
応仁の乱と答えた人の理由が「それ以前の先祖の台帳が焼失してしまった」「祇園祭が33年間も途絶えてしまった」ことを理由に挙げている。
京都人にとって文化の断絶というのはそれだけに重いものなのかもしれない。
関連動画
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関連項目
脚注
親記事
子記事
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