谷崎一郎「今どき理想の女がそこらを歩いてるわけないからな!!
この手で作り上げ、あとはもうすぐ収穫するのみ!!」
光源氏計画とは、平安時代の文学作品『源氏物語』のストーリーに由来する語。成人男性が、自分の実子ではない女児を養育し、自らの求める理想の女性像に育て上げる(さらには頃合いを見計らって自分の妻に娶る)、という展開の通称。
なお、成人女性が男児に対し同様の行動を取るパターンは「逆光源氏計画」と通称される。
『源氏物語』光源氏と若紫
大元にあるのは、紫式部作の平安文学『源氏物語』の主人公・光源氏が、のちに事実上の正妻となる女性(紫の君・紫の上)に対し取った行動である。この女性は初登場時は10歳前後で、光源氏の8~10歳程度年下と推定されており、幼少期の彼女は初登場した巻の名から「若紫」と呼び分けられることが多いので、ここでは若紫とする。
物心もつかないうちに母を亡くした光源氏は、父・桐壺帝の妻の一人で亡き母によく似ていると聞かされた藤壺を幼少期から母のように慕い、やがてその感情は母を求める思慕から男女の性愛感情へと増大していった。風情のない言い方をすれば、マザコンを拗らせた末に、父親の後妻をNTRたいと思うまでになっていたのである[1]。
そんな折、病気療養のために京の北山に滞在していた光は、通りすがりの家で藤壺にそっくりな10歳ほどの少女を見かけて驚く。調べると、その少女・若紫は藤壺の兄である兵部卿宮の娘、要は藤壺の姪であり、母を亡くして今は祖母の尼君に育てられているのだという。光はその尼君に、若紫の後見人になりたいと申し出る(=事実上「ゆくゆくは私の女にしたいと思うがいかがですか」と提案したも同然)が、この時代としても孫娘は結婚にはあまりに幼い年齢のため、尼君は本気にしなかった。
だが、それから半年ほどで尼君は亡くなり、光は身寄りのなくなった若紫を自邸に引き取り、養育を開始する。……と書くとマイルドだが、実際には保護者不在となったタイミングで間髪入れず未成年者略取を行ったも同然であり、若紫の父である兵部卿宮が尼君が亡くなったとの知らせを聞いて娘を引き取ろうとした際には、すでに若紫は「消息不明」になっていた。
まんまと最愛の女性の姪を手中に入れた光は、若紫の素性を周囲には隠しつつ、自らの手で藤壺のような理想の女性に育て上げるべく養育する。幼い頃から祖母の手で育てられ父の情を知らなかった若紫も光に懐き、才色兼備に成長していく。
……そして約4年後。光源氏の正妻・葵の上が亡くなり、四十九日の喪が明けたところで光源氏は紫との床入りを果たす。彼女は時に推定14歳。信頼していた男性の豹変にしばらくは塞ぎ込んで口もきかないほどの強いショックを受けていたが(そりゃそうだ)、やがて光の妻としての立場を受け入れ、その時点で彼女の素性も周囲に公開された。消息不明となっていた娘が生きていたことを知った兵部卿宮は大変驚いたが、元々側妻の産んだ子で正妻の妬みを恐れて遠ざけていた娘が、見つかった時には今を時めく貴公子の妻になっていたのだから悪い話ではなく、4年前の略取についてあれこれを申し立てるはずもなかった。
ここまで、すべて光源氏の計画通り、である。ここまでは[2]。
以上のように、現在ではロリコンの関連用語として使われがちな「光源氏計画」は、母に対する満たされない思慕を拗らせた末の行動、すなわち元々はマザコン感情に由来するストーリーなのである。
『シティーハンター』「光源氏計画」の初出
この『源氏物語』の展開を「光源氏計画」と呼んだ初出は、北条司の漫画『シティーハンター』第165話「スーパー乳母と哀しい天使」(1989年刊のジャンプコミックス19巻収録)だと推定される。
主人公の冴羽獠は、同業者にしてライバルの伊集院隼人(コードネーム「ファルコン」、獠は「海坊主」とあだ名で呼ぶ)が、幼少期から育てた若く美しいパートナー・美樹にベタ惚れされていることを茶化して、「まるで光源氏のようだ」と語る。
獠「へん 実際うまくやったよなあ これも美人を手に入れるひとつの方法かもね!!」
獠「”源氏物語”の光源氏も同じようなことしてたよなあ…
おまえ 幼い彼女みて 美人に成長すると思ったんだろ!!」海坊主「どーゆー意味だ?」
獠「だから 計画的にガキのころからめんどうみて
自分にほれさせるよう教育したんだろ?」
うまくやりやがって!! おれもこれからはガキにもやさしくしようかな!!」
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海坊主のパートナー・美樹は某国に家族で滞在中に内戦に巻き込まれ、8歳で両親を喪ったところを海坊主に助けられた戦災孤児である。海坊主は彼女が過酷な地で生き抜くことができるよう、身を護る術を伝授したが、成長した美樹は海坊主を追って本格的に傭兵になると言い出してしまう。自分の存在がかえって彼女を裏の世界に引き込み、人並みの幸せを奪ってしまうと感じた海坊主は、わざと彼女を騙して置き去りにし日本に帰国した。だが、美樹はそれでも海坊主を日本まで追って来て、紆余曲折の末についに海坊主を折れさせ、パートナーに収まったのである。(なお、『シティーハンター』最終回にて、晴れて海坊主と美樹は正式に結婚する。)
つまり、まったくの善意で少女を救い育てたところ、少女の方から惚れて、それはダメだと逃げる男を追いかけてまでモノにしたわけで、最初から下心があって少女を保護した光源氏の例とは相当に事情が異なる。
獠もそんな事情は百も承知どころか、美樹が海坊主のパートナーになれるよう暗に手助けしたのは獠自身なのだが、その上で表面上は憎まれ口を叩いて海坊主をからかっているのである。
さて本エピソードにおける依頼人は、人の心を読む能力を持ち、何者かに命を狙われているという西九条コンツェルンの跡取り令嬢・西九条紗羅[3](11歳)。
どれほどの美少女でも女子高生以下には基本もっこりしないというのが獠の性癖のため、当初この仕事に乗り気ではなかった。だが、海坊主から「彼女は将来美女に成長するはず」という話を聞き、ならば(海坊主のように)若いうちからキープしておくのも悪くないと、依頼を受けることにする。
以上が「光源氏計画」という呼称の初出である。
ちなみに、見事に紗羅を付け狙う黒幕を撃退し「成長したらまた会いに来る(意訳)」と獠は颯爽と去っていったため、「光源氏計画」は結局のところ継続していない。
ただ(獠がもっこりしないほど幼い)少女の依頼人にとっては、獠はひたすら強く、カッコよく、頼もしい大人の男性であるため高確率で惚れられており、紗羅も例外ではなかった。女たらしの才覚は光源氏にもそうそう劣らないものがあると言える。(ある年齢を境に途端に底なしの種馬に変貌するという点では、先の光源氏の例に通ずる要素がないわけでもないが。)
『プリンセスメーカー』
ほぼ完全な光源氏計画の流れを再現している日本の現代作品としては、ゲーム『プリンセスメーカー』シリーズが挙げられる。
プレイヤーは第二の人生を過ごす元勇者となり(シリーズにより差異あり)血のつながりのない女児を養女として引き取り育成していく、というのがゲームの基本の流れであり、その育成要素の自由さ・細かさとエンディング分岐の豊富さが特徴のシリーズである。
そして、シリーズ恒例のエンディング分岐のひとつとして「養父(プレイヤー)と養女の結婚」がある。養女を自分の求める姿に育て上げた上で、自分と結婚するように持っていくことが可能なため、「光源氏計画」の追体験度は高いと言えるだろう。
その他の作品にて
しかし、マルチエンディングの育成ゲームとは異なる一本道ストーリーの作品で、完全に近い光源氏計画の流れを踏襲した作品は現代にそれほど見当たらない。
若い女性を手元に置き徹底的に自分の望む姿に仕立てたとしても、最後は女性が自立して去ってしまう、くっつくにしてもその前に男性が手痛い目に遭い反省する、成長した女性に逆に頭が上がらなくなってしまう、といった展開になることが多い(イプセン『人形の家』、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』、谷崎潤一郎『痴人の愛』など)。
18禁ゲーやエロ同人作品なら育成・調教モノを中心によくある内容だが。
日本の全年齢アニメ・漫画では、光源氏計画を目論んだが失敗・未遂に終わった例としては『絶対可憐チルドレン』(谷崎一郎:36歳/梅枝ナオミ:16歳[4])や『こどものじかん』(九重レイジ:初登場時22歳/九重りん:9→12歳)などがある。
『うさぎドロップ』(河地大吉:30歳/鹿賀りん:6歳)は、りんの高校卒業後に2人が結婚してエンディングとなるため光源氏計画達成と評されることもあるが、実際には幼少期からの懸命の養育の結果りんの側に好意が芽生えたという形で、『シティーハンター』の海坊主と美樹の例に近い。
また『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(シャア・アズナブル:34歳/クェス・パラヤ:13歳)は、少女を手元に招き入れて教育を施し「ロリコン」と陰口されているが、その実は母性に飢えたマザコン感情に根差している…という、精神面が光源氏に近いケースである(男女関係には発展せず)。
民法の規定
フィクション作品、それも1000年前の小説に由来する話に現代の法を照らすのはナンセンスだが、ちなみに現実の法では、という点に参考まで触れておこう。
民法第729条 (離縁による親族関係の終了)
養子及びその配偶者並びに養子の直系卑属及びその配偶者と
養親及びその血族との親族関係は、離縁によって終了する。民法第736条 (養親子等の間の婚姻の禁止)
養子若しくはその配偶者又は養子の直系卑属若しくはその配偶者と
養親又はその直系尊属との間では、
第729条の規定により親族関係が終了した後でも、婚姻をすることができない。※太字は記事編集者による
民法第729条にて、養子・養親の関係は、離縁手続きによって解消できると規定されている。
しかし、同じく民法第736条では、養子縁組を解消した後も一度養親子だった者どうしが結婚することはできない、と規定している。
すなわち日本の現代法は、幼いうちは養子に取って親の権利を行使しつつ教育し、理想の姿に成長したところで養子縁組を解消、婚姻関係に切り替えて妻にするぞ!……というような光源氏計画を、法律上未然に阻止しているのである。
関連項目
脚注
- *なお、この後に若紫を初めて見かけた後のタイミングで、ついに光源氏は藤壺との逢瀬に成功。藤壺は妊娠してしまい、表向きは「桐壺帝の皇子」として光源氏の子を出産し、苦悩することとなる。
- *紫はその後、光源氏が多くの女性と浮名を流す中でも、正妻格として紫の「上」と尊重されるようになる。しかし光との間に子は産まれず、光が朱雀帝の皇女・女三宮を正式な婚儀のもと正妻に迎えるなど、自分の身の上が紙一重の非常に危ういものであることに苦悩するようになる。その苦悩に十分気づかぬ光とのすれ違いも多くなり、大病を患って出家を願うようになるが、認められないまま病没した。光も紫の苦悩に気づけなかったことを喪ってから思い知り消沈、『源氏物語』第二部は終わりに向かうこととなる。
- *後に、アクションコメディ路線偏重からの脱却を目指して北条司が執筆した、週刊少年ジャンプとしては異色の作品『こもれ陽の下で…』の主人公として、同名の少女が登場している(同一人物ではなく、名前と一部設定の再登用)。
- *この2キャラの名前も、源氏物語の現代語訳を行った小説家谷崎潤一郎と、『源氏物語』第32帖「梅枝」+谷崎潤一郎の代表作のひとつ『痴人の愛』のヒロイン・ナオミ、という命名法である。
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