児玉泰単語

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児玉泰こだま やすし)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1935年7月19日生まれ。愛媛県(現:西予市)出身。中学時代には既に四国の好投手として名を馳せていた。

松山商業高等学校に進学。高校進学に際して戚の庭の養子となり、「空谷泰(そらや やすし)」と改姓している。エースとして活躍し、2・3年時に夏の甲子園大会に出場。3年時の本大会では、準決勝まで3試合連続完封勝利記録し、決勝戦でも延長13回を一人で投げ抜き完封勝利を挙げるという圧巻の内容で全制覇を達成している。

夏の甲子園大会終了後、甲子園ヒーローとなったを獲得しようと、プロ10球団でのしい争奪戦が繰り広げられた。話がなかなかまとまらなかったことから、入札制で入団先を決めるとことなり、最終的には当時としては破格の210万円の契約金で中日ドラゴンズに入団が決まった。ただ、この入札に関して高野連は何も聞かされておらず、『高校球児の進路を決定するに際して、入札制は不健全である』と激怒松山商業は1年間の公式戦出場禁止処分が下された。後にこの出来事は「事件」と呼ばれることとなった。

1954年先発投手として16試合に登板して7勝を挙げ、防御率2.51という成績を残し、セ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでも1試合に登板している。

1955年は3勝6敗と低迷したが、1956年、11勝5敗、防御率1.75と復調。

1958年、旧姓の「児玉泰」に戻す。

1959年チームエース格として35試合に先発し、20勝11敗、防御率2.07を記録。8完封セ・リーグトップの成績であった。

1960年以降は故障により低迷。

1962年近鉄バファローズへ移籍したが、一軍出場はなく、同年限りで現役を引退

引退後は券会社でサラリーマンとして勤務。

2024年2月7日、死去。享年88歳。

人物・エピソード

重くノビのある直球と、縦に大きく割れドロップボールを中心に奪三振の山を築いた右腕。

ダブルヘッダーの1試合完投勝利を挙げた後、お風呂に入り寛いでいたところ、監督が誤って2試合先発と書いてしまい、風呂から慌ててあがって、急遽登板したことがある。

通算成績

投手成績

通算:8年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 208 49 18 63 57 --- --- .525 1051.2 444 741 368 296 2.53

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