概要
1934年1月1日生まれ(戸籍上)、学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。
もともとは学者を目指していたが、家庭の事情で大学院進学をあきらめなければならなくなり、ふと思い立って東宝のオーディションを受けて合格。俳優の道を歩み始める。後に東宝をやめてフリーとなり、テレビドラマに精力的に出演、俳優としての地位を確立する。
1975年から「パネルクイズ アタック25」(朝日放送)の司会を亡くなる直前まで36年にわたり務めていた。この番組の前身となる「クイズ イエス・ノー」(毎日放送)という番組も司会していたが、この番組はわずか1年で打ち切りになってしまったため、「アタック25」の司会依頼を最初はためらったという。
熱心な読書家としても有名。それが高じて「週刊ブックレビュー」(NHK BS2)という書籍評論番組の司会役までやっている。また、作家としても数多くの著書を出版している。
俳優として
その風貌を一言で形容すれば「紳士」であろう。晩年は役作りもあって鼻ひげをたくわえていた。
弁護士(「白い巨塔」)、ニュースキャスター(「美女か野獣」)、考古学者でもある高校教諭(「鹿男あをによし」)、など知的なイメージを活かした役、あるいはその風格から次席検事(「HERO」)、徳川家康(「黄金の日日」)といった社会的地位のある役などをよく演じた。人格者の役どころが多いが、悪役を演じることもある。爆弾魔を演じて高評を得たときは、本人は「やりそうにもないやつがやったというだけ。次は通用しない」と冷静すぎるほどのコメントをしていた。
大河ドラマへの出演としては、「龍馬伝」で福山雅治演じる坂本龍馬の父親を熱演したことは記憶に新しい。それ以前にも5回(「黄金の日日」「獅子の時代」「山河燃ゆ」「武田信玄」「太平記」)出演しており、常連であったと言える。
司会者として
「パネルクイズ アタック25」の司会を務めた功績は、彼を語る上で欠かすことはできない。解答の正誤を一人で即座に判断しなければならない(誤答のブザーは児玉自ら押していた)という重責であったが、元来の博識も手伝って終始落ち着いた司会ぶりで切りまわし、また休み時間には出演者や観客に飴玉を配ったり、成績のふるわない解答者を励ますなどして場を和ませ、視聴者にも出演者にも愛される司会者として36年もの間番組の顔であり続けた。特に決め台詞「アタックチャ~ンス!」のインパクトは強く、ネットでは「児玉“アタックチャンス”清」とニックネームとして通じるほどとなった。
また、「5×5の4色オセロゲーム」と単純に形容される形式であったが、クイズの正解によってパネルを取る回答者が決まること、他の色を挟めない時のルールがある、アタックチャンスの存在など非常に奥が深いことから、逝去直前でもパネルの取り方の研究をしていたメモが残されていたという。ゆえにパネルの色が変わる時には元の色を絡めて変わるさまを実況したり、パネルの取り方が戦略的にまずいと「〇番じゃなくて×番の方を取ったか…」と一言添えたり、一時名セリフとして有名になった「なぜ角を取らない?」などとパネルの争いについても愛着が深かった。
これをきっかけにバラエティ番組の仕事が一気に増え、司会やナビゲーターとして多くの番組に出演。90年代にはむしろ俳優よりこちらの仕事をメインとしていたほどである。ラジオでは人生相談のパーソナリティも務め、こちらも好評を博した。
読書家として
芸能界きっての読書好きであり、NHK衛星放送の「週刊 ブックレビュー」の司会は20年間にわたって務め、「アタック25」に次ぐ司会者としての「代表作」となった。また「造本装幀コンクール」や「朝日時代小説大賞」など、本にまつわる賞の審査員をすることも多かった。海外文学を原書で読んだかと思えば有川浩[1]について熱く語るなど、ジャンルを問わない乱読家で、本の重みで家が歪んだという。
文才もあり、多くの随筆を書き、また文庫本の解説なども手掛けた。
訃報
2011年2月に体調を崩し病院で検査したところ、胃がんと診断され、東京都内の病院に入院して治療を受けていたが容体が急変。2011年5月16日午後、入院先の東京都内の病院で亡くなった。
享年77歳。
エピソード
- 趣味は上述の読書のほか、スポーツ観戦や切り絵作りなど。切り絵についてはプロ級の腕前があり、「アタック25」のスポンサーであった東リが、彼の切り絵のデザインを写したマットを製造販売するほどである。切り絵をまとめた本も出版されている。中でもカウボーイ風切り絵は漢字問題で動くようにもなっていた。
- 西川貴教や福山雅治など、彼を父親のように慕う芸能人は多い。「西川貴教のオールナイトニッポン」に児玉がゲスト出演した回は日本民間放送連盟賞を受賞した。
- 児玉のモノマネでブレイクした博多華丸については「僕は似てないと思うんだけどね」と言いつつも好意的で、共演もしている。華丸に新しいことにもチャレンジしてもらいたいとアドバイスするなど、最晩年まで気にかけていた。
- 世間のイメージからは想像もつかないが、弱気な一面があり、家では弱音ばかり吐いていたと家族が証言している。
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関連項目
脚注
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