全日本空輸(英:All Nippon Airways、会社登記上は"ぜんにほんくうゆ")とは、日本の航空会社である。航空連合「スターアライアンス」メンバー。通称は全日空またはANA(エーエヌエー)。近年は「ANA」を公式の略称として利用する傾向が強い。
IATA航空会社コードの「NH」は前身の「日本ヘリコプター輸送」に由来する。
ボーイングのカスタマーコードは81。
概要
全日本空輸 All Nippon Airways |
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ICAOコード | ANA |
IATAコード | NH |
コールサイン | All Nippon |
アライアンス | スターアライアンス |
保有機材数 | 236機 (2013/8現在) |
ハブ空港 | 東京/羽田 東京/成田 大阪/関西 大阪/伊丹 |
就航地 | 88都市 |
全日本空輸(ANA)は日本航空(JAL)と共に日本最大規模の航空会社であり、国内路線数は日本航空を凌ぐ(なお2004年までは日本エアシステム(JAS:日航に合併)と共に日本のビッグ3と呼ばれていた)。
コーポレートカラーは青で、機体もトリトンブルーと呼ばれるカラーとなっている(1982年以前は2代目のモヒカン塗装で有名であった)。
全日空は1952年12月27日に設立された日本ヘリコプター(日ペリ)と、同年12月26日に設立された極東航空が1958年3月1日に合併して出来た会社である(称号は合併前年の1957年12月より利用)。
日ペリはその名の通り、ヘリコプターを用いた宣伝事業を行うため設立されたが、翌年には極東航空とともにデ・ハビランドDH-104ダブを用いて東京・大阪間の航空輸送にも参入した。後には「日ペリ航空」を愛称として用いることになった。
日ペリと極東の合併は、国策会社である日本航空に次ぐ大航空会社の誕生を意味した。この段階で札幌から鹿児島に至るまでの路線網を全日空は有していた。
両者の合併後の社名は全日本航空とする筈であったが、日本航空株式会社法にある条文(日本航空以外にその称号利用を認めない)に抵触してしまう為、全日本空輸となった。合併後、全日空は日本航空のみが参入していた国内幹線への本格参入を図るようになる。
だが、全日本空輸となって間もない1958年8月に下田沖でDC-3型機が墜落する事故(死者33名)を起こし、乗客が急減。これは航空行政のあり方を改める転機ともなり、全日空は日本航空と業務提携を行うこととなった。
1959年4月には同社から増資を受け、また役員の派遣も行われるなど、この業務提携はしばらく続くこととなった(なお日ペリの創設時より日本航空は全日空第2位の出資者であった)。1970年代まで日本航空は同社の上位株主として名前を連ねていた。
その後、全日空は1966年2月に羽田沖(死者133名)、同年11月に松山沖(死者50名)と年に2度も日本国内で墜落事故を発生させたこともある。しかしながら、1971年の雫石上空における自衛隊機との衝突事故(死者162名)を最後に死者は一人も出ていない。
事故がありながらも航空旅客数は順調に各社増加。そんな中で当時の4大航空会社のうち東亜航空と日本国内航空が合併を選択(東亜国内航空、のちの日本エアシステム)したのを契機に1970~1972年には航空業界の新たな長期視野を目論んだ政府指針である「45/47体制」が形作られた。
これにより、国際線は日本航空が原則として担い、全日空は国内の幹線とローカル線の運行を担う会社と位置づけられることとなった。ただし国際チャーター便の運航は認可されたため、中国方面を中心にこの体制発足後、チャーター便を多く飛ばしている。
1970年代後半にアメリカで始まった航空自由化の動きを受け、日本の航空各社も次第に乗客需要の変化に対応できる自由な航空体制を求めるようになった。また日本航空のみが国際線を担う状態は海外航空会社との競合において不利になると政府も判断したことにより、1985年に「45/47体制」は事実上終焉する。
全日空はこれにより国際線への参入が可能となり、1986年3月の成田・グアム線を皮切りに海外展開を開始、一気に規模を拡大していくことなる。
その後は日本航空とのサービス合戦、スカイマークの参入などを皮切りに現在に至るまでイメージ転換が行われており、ロゴと呼称を全日空からANAとし(元々は「全日空 All Nippon Airways」と言った塗装であったが、現在では「ANA」のロゴに尾翼のカラーを模したマークを入れたロゴへと変更されている)、東京国際空港(羽田空港)に新ターミナル(第2ターミナル)が完成した際に機能を移転、EdyやSuicaとの提携、チケットレスサービス「Skip」の導入等、目新しいサービスを発表している。
フリート(機体)関係においても、新型機材を多く取り入れ、ボーイング777を筆頭に納入が進んでいる(ジャンボ機として親しまれて来たB747は2013年度までに退役)。また、ボーイングの新型機ボーイング787のローンチカスタマー(開発メリットありと判断し発注をした最初の航空会社)でもあり、日本で初めてHUD(ヘッドアップディスプレイ)付きコクピット(B737-700)を導入する等、こちらでも革新が行われている。
その他、国内における特別塗装機の草分け的会社であり、マリンジャンボやポケモンジェット(現在もお花ジャンボとピカチュウジャンボを運用)、USJのウッディー・ウッドペッカー等多彩な塗装をした機体を飛行させている。
因みに新規航空会社であるAIR DO(エア・ドゥ:北海道国際航空)やスカイネットアジア航空(現・ソラシドエア)が経営再建状態に陥った際には一時期傘下状態に入っていた。現在でも搭乗等のシステム面で提携している。また、北九州に拠点を置く新興航空会社スターフライヤーの支援・提携、格安航空会社Peach Aviationやバニラ・エア(旧称:エアアジア・ジャパン)への出資も行っている。
その他
かつては「横浜フリューゲルス」というJリーグチームも所有していたが、共に出資していた会社が出資を取りやめた事から日産のチームと合併した為チームが消滅。同社の割引サービスにも登場していたマスコットの「とび丸」も共にいなくなってしまった。
ドラマや映画にも登場する事がある。最近ではTBSドラマ「GOOD LUCK!!」など。このドラマ放送時に株価が上がったという逸話も存在する。
関連動画
関連静画
関連項目
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