八木康洋とは、日本の右派系市民活動家である。「在日特権を許さない市民の会」(在特会)第2代会長。
概要
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在日韓国・朝鮮人が有するとされる特権の廃止を主張する団体で、国内外の公的機関やメディアから極右排外主義組織と見なされている[2][3][4]国内最大級の右派系市民団体・在特会の第2代会長を務める。また復古主義的な政策を掲げる政党「維新政党・新風」の党員でもあり、かつては地方支部の役員を務めていた。
東京工業大学から東京大学大学院に進み、現在は大手化学メーカーに勤務する理系エリートであることから[5]、「社会階層の低い人たちが鬱屈や被害者意識を排外主義に結び付け、ネット右翼や右派系市民活動家になる」という社会心理学的な仮説[6]に対する反論としてしばしば引き合いに出されている。
在特会では桜井誠初代会長の逮捕時に会長代理を務めたり、講演で全国各地を回ったりと長らく副会長として精力的な活動を展開し、会員や支持者から高い評価を受けていた。たびたび会長就任を要請されるなど桜井の信頼も厚く、2014年12月より退会した桜井の後任として会長職を継ぐ運びとなった。
経歴
政治活動家になるまで
東京工業大学から東京大学工学系研究科に進学。活動家仲間から工学博士として紹介されることもあるが[7]、新風のメールマガジンでは修士号取得者として紹介されていること[8]、東大の博士論文データベースに論文が掲載されていないことから[9]、博士号は取得していないものと思われる。
2001年9月に勤務先メーカーが出願した特許に発明者として名前を連ねていることから、遅くともこの頃までには同社に就職していたようである。
キャリア初期
政治活動を始めた時期は定かでないが、2007年1月に在特会が設立されるとすぐに会員になっていることから[10]、この頃には既に現在の思想的基盤が確立されていたものと推測される。また「行動する保守」界の重鎮・瀬戸弘幸のブログに影響を受けて新風に入党したという[11]。
在特会では入会直後から本部運営スタッフに名乗りを挙げるなど積極的に活動に取り組み、2008年4月には早くも副会長に任命された。また新風でも茨城県本部の事務局長・青年部長に就任している。同年に歴史認識問題で田母神俊雄航空幕僚長が更迭されるとブログを開設して復職運動への協力を呼び掛けるとともに、「救う会いばらき」[12]などと共同で署名活動を行った。
在特会・新風という当時の右派系市民活動における二大勢力の双方で活動に励んでいた八木だったが、2009年4月に在特会が行った「カルデロン一家追放デモ」の翌日に新風が「民族差別を許さない」と題する声明を発表すると[13]、活動家やネット右翼の新風に対する評価は急落。同年11月の党大会において八木は「ネットユーザーの新風離れを招いている」などとして上記声明の白紙撤回を求める発議を行ったが、反対多数で否決された[14]。
この事件を機に在特会を始めとする「行動する保守」界と新風の関係はやや疎遠になり、資金難から2010年参院選への挑戦を断念したことも相まって、新風の存在感は次第に衰えていった。この傾向は2011年に若手の鈴木信行が党代表に就任し、嫌韓路線を前面に押し出すまで続くことになる。八木はしばらく茨城県本部の役職に留まっていたが、後に辞任して一般党員に復帰。以後は在特会幹部としての活動が中心になっていった。
京都朝鮮学校ヘイトスピーチ事件
この時期に起きた京都朝鮮学校ヘイトスピーチ事件(京都事件)は八木のキャリアに大きな影響を与えることになった。この事件は2009年12月、京都朝鮮第一初級学校が不当に公園の一部を占用しているとして在特会などの活動家が授業中の同校に抗議街宣を仕掛け、ヘイトスピーチを含む過激な言動に及んだというものである[15]。
八木は12月の街宣には全く関与していなかったものの、翌2010年1月・3月に学校周辺で行われた同趣旨のデモに在特会側の最高幹部として参加。「七生報国」と書かれた鉢巻を締めて気合を入れ、1月のデモでは冒頭演説を行ったほか、デモ後に代表者としてテレビ局のインタビューを受けた。デモでは「朝鮮人を保健所で処分しろ」「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島へ帰れ」などとシュプレヒコールが叫ばれ、ネット右翼層を中心に好評を集めた[16]
また国連人権委員会が京都事件を人種差別事案として批判的に取り上げたことを受け、「在日朝鮮人は原住民である日本人に対するアパルトヘイトに及んでおり、在特会は国連の意向に従ってこれを止めさせるため、児童公園の不法占拠を排したものである」という内容の英文書面を責任者として作成、国連に送付している[17]。
後に12月の街宣は刑事事件化し、威力業務妨害罪などにあたるとして4人に懲役1年~2年(執行猶予4年)の有罪判決が下されたが、八木はこちらには一切関与していなかったため刑事責任を問われることはなかった。しかし朝鮮学校側が起こした民事訴訟では1月・3月のデモも不法行為にあたるとして訴えの対象に含められ、現場に居た在特会のトップである八木も被告として2000万円の損害賠償を請求されることになった。
在特会最高幹部へ
京都事件への参加で更に評価を高めた八木は、2010年4月の副会長人事で先任の御影草志を飛び越して筆頭副会長に指名され、名実共に在特会のナンバー2へと登り詰めた。なお同年1月には茨城支部長にも任命されているが、全国の支部統括を任されたこともあり、地元よりも他地域での活動を優先している。
また全国統括という立場上、地域ブロックを統括する副会長が欠けた際に中継ぎとして起用されることも多く、2011年9月から2012年6月までは中部地方を、同年9月から2013年3月までは関西地方をそれぞれ担当した。いずれも支部や地域内での内部抗争が副会長を欠いた遠因となった地域であり、難しいところを任された形であった。
2011年3月の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を機に脱原発運動が盛んになると、在特会は「原発の火を消させない国民会議」を立ち上げて「反・反原発」運動を展開[18]。八木は同会議の書記長に就任し、貴重な理系エリートとして理論的支柱の役割を担った。
在特会が「最後の戦い」と位置付け、機動隊との全面衝突も辞さないとの覚悟で臨んだ2012年8月15日の反天連カウンターでは、公称約1500人の参加者の過半を占める主力部隊を指揮。ただ実際には十数人が防護柵を突破して機動隊に確保された程度で、事前に仄めかされていたような大規模な実力行使は見られずに終わった。
相次ぐ逆境の中で
2013年頃になるとヘイトスピーチの社会問題化やカウンター勢力の登場によって在特会の活動は更なる困難に直面する。同年6月にはカウンターとの小競り合いが原因で桜井会長が逮捕され数日間身柄を拘束されたため、八木が会長代理として弁護士の手配や警察への抗議街宣を指示する場面も見られた。
こうした事態を受けて在特会は翌7月からヘイトスピーチ批判に対する理論武装を目的とした「ヘイトスピーチ講習会」を全国各地で開催、八木は自ら講師として各地の会員や支持者に薫陶を授けた。
だが10月の京都事件民事訴訟地裁判決において在特会側は敗訴、約1226万円の損害賠償と朝鮮学校周辺での街宣禁止を命じられ、八木個人も2度のデモに関する約672万円の範囲で連帯責任を負うことになった[19]。八木は判決言い渡し後、被告側を代表してメディアの取材に応じ、「正当な主張を認められず残念」とコメントした[20]。
被告らは判決を不服として控訴したが、仮執行宣言による強制執行を防ぐための供託金1000万円の捻出に苦慮。約半分は支援者からの寄付で賄えたものの、残額は桜井と八木が個人的に支出することになった。タイミングの悪いことに同時期に交通事故を起こして車を買い替えたこともあり、八木は借金を抱える羽目に陥った[21][22]。
なお2014年7月に控訴が棄却されると、在特会側は最高裁に上告しつつ弁護士を通じて賠償金を弁済[23]。同年12月に上告は棄却され、地裁判決がそのまま確定した。八木を含む被告らの最終的な賠償金負担割合は不明である。
懲戒問題
翌2014年4月、八木は在特会公式サイト上で勤務先から懲戒処分を受けることになったと発表した。会社側が挙げた懲戒理由は「過去2回人種差別発言を止めるよう警告を受けたにもかかわらず、同年1月のデモで先導車を運転し、2月のデモで先導車の中から人種差別的なコールに賛同の声を上げたため」であった。
一方、在特会に抗議する勢力からの電話などで会社の業務が滞るといった事態が以前から生じていたことから[24][25]、人種差別発言そのものへの処分と言うよりは、こうした混乱を招いた責任を取らせた、あるいは処分を示すことで抗議者の矛先を会社から逸らす目論見があったのではないかとの推測も見られる。
八木は処分に反発しつつも、「先導車の運転程度に留めても懲戒処分を受けるなら何をやっても同じ」と活動を活発化させることを示唆。また「抗議に対して個人情報を守れなくなるぞ」と会社側から脅されたと主張した上で、「元々数年前まで罵声が日常的に飛び交い、コンパニオンの下着の中をまさぐるといった強制わいせつまがいの行為まで横行していた品のない会社なので、私には大した脅しにならない」と婉曲的に勤務先の体質を批判した。
その一方で「抗議をしても処分は変わらないし、そもそも在特会の主張が一般的になれば活動に対して懲戒処分を受けるようなこともなくなる」と述べ、会員や支持者に対して厳に会社への抗議を慎むよう要請した[26]。後に右派系政治評論家の井上太郎が「在日朝鮮人が入り込んでいる連合や、連合の傘下にある勤務先の労組が労働者である八木氏を擁護せず、逆に不当な圧力をかけているのでは」と主張し[27]、矛先を会社から組合に逸らす好アシストを見せたこともあり、勤務先に対する大規模抗議に発展することは避けられた。
なお八木がネット右翼系2chまとめブログの最大手「保守速報」の管理人に伝えたところによると、懲戒処分の内容は出勤停止3日だったという[28]。
在特会第2代会長
2014年11月、8年間に渡って会を率いてきた桜井が同月限りでの会長退任と退会を表明。信任投票を経て12月1日付で八木が会長に昇進した。八木は「変化」をスローガンに掲げ、ヘイトスピーチ規制にも対応できる活動手法の確立を目指すとして、当面は会員からの意見集約と政治家への働きかけの強化に努めることを表明した。
また同年8月のカウンター勢力に対する活動後の集団暴行事件に際し、逮捕された支部運営や友好団体のメンバーらへの支援街宣を行ったように、これまでは活動外の違法行為に対しても支援活動を行うことがあったが、今後は活動外で違法行為に及んだ場合には会としての支援を行わないことが確認された[29]。
桜井は退任時のニコニコ生放送で「これからは政治に力を入れるので、イケイケドンドン路線の方は私と一緒に降りて頂きたい」と呼びかけており、会長交代を機に2009年頃からの先鋭化路線に一定の区切りをつけ、排外主義団体としての評価が固まったことによる保守政界とのパイプ途絶状態を打開しようとする方針が明確になった。
一方で、新会長の八木が在特会最大の事件として知られる京都事件の参加者の一人であり、個人として多額の賠償まで命じられていることから、保守政界側が表立って関係を作りにくい状況に変わりはないとの指摘もある。また地方での活動は各支部の裁量に委ねられるところが大きく、新方針がどこまで徹底されるかは依然不透明である。
さらに八木は「やり方を元に戻すというのも変化」として先鋭化路線への回帰の選択肢を留保しているところ、会長就任直後の第47回総選挙でヘイトスピーチ規制に否定的な自民党の大勝が確実視されていることを受け、「選挙の結果次第では、当初予定していた政治への働きかけも一から見直さなければならなくなるかもしれません」と述べており[30]、規正法の不成立を見越して現行路線を維持する可能性も否定できない状況にある。
雑記
- 当初から実名で活動していることに加え、特許公報や研究発表、公的研究施設の使用状況などインターネット上に公開された多くの情報に八木の氏名と勤務先が明記されていることから、比較的早い段階で勤務先を広く知られるようになっており、遅くとも2012年4月頃には勤務先に抗議電話がかかってくるようになっていたという[31]。
- 街宣やデモといった街頭活動にもスーツなどフォーマルな服装で参加することが多く、研究員らしく上から白衣を纏うこともある[35]。また「七生報国」と記した鉢巻をしばしば好んで着用している。
- 皮肉や当てこすりなど、批判・糾弾に際して婉曲的な表現を多用する傾向が見られる。
- 独身。桜井が会長退任表明時のニコニコ生放送で語ったところによると、お見合いをしたこともあるものの、席上で外国人参政権など政治的なテーマの話題を振ったため破談になったという。
- 登山が趣味で、毎年富士山に登って山頂にある富士山頂郵便局から暑中見舞いを出している[36]。
- 地球温暖化は太陽活動の変化が原因であるとして、二酸化炭素などの温室効果ガスが原因であるとする現在の通説を否定している[37]。
寄稿
職務発明
勤務先メーカーが出願した特許で八木が発明者(共同発明者)とされているものは以下の通り。
- 特許
- 公開特許
- 蛍光体組成物(公開番号2003-082346)
- 蛍光体組成物前駆体(同2003-089517)
- 蛍光体組成物の製造方法、及び、それにより得られる蛍光体組成物(同2006-233136)
- LED用希土類珪酸塩蛍光体及びそれを用いた白色LED発光装置。(同2006-257199)
- 黒鉛粒子、これを用いたリチウムイオン二次電池用負極及びリチウムイオン二次電池(同2011-173770)
- リチウムイオン二次電池用負極材、該負極材を用いたリチウムイオン二次電池用負極及びリチウムイオン二次電池(同2011-175919)
- 光半導体装置、光半導体素子搭載用基板及び光反射用熱硬化性樹脂組成物(同2012-244062)
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
- ありのままの日本へ
- 公式ブログ(Internet Archive)
- 八木康洋@f_pignon
- 公式Twitterアカウント
- 在日特権を許さない市民の会
- 在特会公式サイト
- 維新政党・新風
- 新風公式サイト
脚注
- *樋口直人著「日本型排外主義」16頁。
- *アメリカ国務省民主主義・人権・労働局「2013年国別人権報告書」
- *公安調査庁「内外情勢の回顧と展望(平成26年1月)」
65頁。
- *警察庁「治安の回顧と展望(平成26年度版)」
24頁。
- *安田浩一著「ネットと愛国」54~55頁。
- *西欧の極右研究では「近代化の敗者論」と呼ばれ長らく通説的な地位を占めていたが、近年はより複雑なメカニズムを提示する説が有力になりつつある。
- *国連人種差別撤廃委員会へ在特会の反論書面が正式に送付されました-★おつるの秘密日記 酒と薔薇と愛の日々★
- *【特集】日本の自然、世界の自然を守る。 地球環境問題を考える | WIN -Shimpu Online News
- *東京大学学位論文データベース
より。1957年以降に提出された全ての博士論文の書誌が収録されている。
- *設立総会当日の会員数が502人だった
のに対し、八木の会員番号がA0000527であることから。
- *MEETING 新風青年部座談会 「私が新風に入った理由」 | WIN -Shimpu Online News
- *元々は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の傘下組織だったが、集会に右翼団体や暴力団の関係者を参加させたとして本部とトラブルになり、2006年9月に同会の傘下から外れている。
- *<維新政党・新風>声明: 民族差別を許さない
- *~思想界の最右翼~ 大江戸回帰派『侍蟻』:さらば維新政党・新風!
- *詳しくは京都朝鮮学校公園占用抗議事件 - Wikipedia
を参照。
- *平成22年(ワ)第2655号 街頭宣伝差止め等請求事件 平成25年10月7日京都地裁判決
参照。
- *在日特権を許さない市民の会 - 呟き : 国連人種差別撤廃委員会提出書面(日本語原文)
- *翌2012年に入るとこの団体名はほとんど用いられなくなり、在特会名義で反・反原発運動を行うようになった。
- *脚注16参照。
- *【在特会訴訟】「街宣禁止がうれしい」原告 「主張認められず残念」在特会幹部 - MSN産経ニュース
- *在日特権を許さない市民の会 - 呟き : マスコミ報道予防措置のお願い
- *https://twitter.com/f_pignon/status/395036248957399040
- *https://twitter.com/Doronpa01/status/495480623083970560
- *https://twitter.com/f_pignon/status/192530799982166016
- *https://twitter.com/f_pignon/status/192531301146951680
- *脚注21参照。
- *2014年5月3日のツイート参照。
- *在特会副会長の記事について|保守速報
- *会長選挙当選の挨拶
- *在日特権を許さない市民の会 - 呟き : 会長職就任の挨拶
- *脚注24参照。
- *脚注21参照。
- *ヤフーの子会社であるワードリーフが運営するサイトで、Yahoo!トピックスに提供する記事などを作成している。
- *脚注28参照。
- *脚注5参照。
- *ありのままの日本へ: 富士山に登ってきました
- *政治家から始める環境対策 八木康洋 | WIN -Shimpu Online News
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