公序良俗とは「公(おおやけ)の秩序又は善良の風俗」の略語で、日本の民法第90条で扱われている。
しかし法律上の意味と一般的な解釈とに大きな違いがありそれが問題となることがある。このページではその違いについて解説し、民法90条の詳細については専門的なサイトや専門家へ任せるものとする。
少なくとも「公序良俗の解釈には幅がある」という事は紛れもない事実で、また「公序良俗」のみでその意味を精確に解釈することは不可能である。自分がどう解釈していても、司法を含め他人が同じ解釈をするとは限らないのが「公序良俗」である。
概要
「公の秩序」は社会の一般的な秩序もしくは社会的な利益を示し、「善良の風俗」は一般的な道徳観念を示し、合わせた「公序良俗」は社会的な妥当性、妥当な倫理観を示す言葉である。
そして主に「公序良俗に反する○○」という文章で用いられ、「社会的に妥当ではない〇〇」という表現のために使われる言葉となっている。
妥当性が基準となるため、公序良俗に決まった正解は存在しない。
解釈の違いによる問題
一般的な解釈の意味と法律上の意味とには非常に大きなズレがあり、「一般的な解釈で書かれた文章を法律上の意味で読んでトラブルが起きる」「法律上の意味で書かれた文章を、一般的な解釈で読んで混乱が起きる」といった問題が度々起きている。
典型例は「エログロは公序良俗に反するかどうか」の解釈の違いで、一般的な解釈では概ね反するとされ、法律上の意味では一概に反するわけではないと解釈される。つまり一般的な解釈だと「規約に公序良俗に反する表現を禁じると書かれているのだから、エログロ表現は規約上禁止が明記されている」と解釈することもあるが、法律上の意味で取れば「規約に公序良俗に反する表現を禁じると書かれていても、エログロ表現でも必要な配慮をし法令に違反しない発表方法であるならば公序良俗に反するわけではないため、一概に禁止されているわけではない」と解釈されることもあり、結果「素材利用などで一般的な解釈をしていた権利者に、法的な解釈をしていた利用者が違反行為だと言われ削除を余儀なくされる」ということが起きる。他にも一般的な解釈によって「公式からの二次創作での禁止事項に"公序良俗に反するもの"があるから明確にR-18禁止」と解釈され騒がれる例もあるが、それだけでどちらの解釈か断定することはできない。
こうした問題は長い間に度々起きていながらも、解消されることなく残り続けているのが実情である。おそらく互いに相手側の知識不足や良識の欠如による誤解や曲解だと認識をしている状態も多いのだろう。
言葉の文化として、言葉は時代と共に変化していくものでありその時点で一般的に用いられている意味合いが重要とも考えられるが、しかし「公序良俗」は法律において扱われる言葉であるため勝手な解釈をするべきではないという見方もある。特に司法においても独自解釈が有効であるかには疑問が残ってしまう。
法律上の意味
※詳細は専門的なサイトへ
概要と民法90条が「公序良俗を辞書などで調べてすぐわかる範囲」である。
民法90条は「公序良俗に反する法律行為を無効とする」という旨の法律であり、民法では社会的な妥当性に欠ける法律行為の法的な強制力、拘束力を認めない。
分かりやすい例として、犯罪や不法行為を行う契約は公序良俗に反する契約と考えられ法的な拘束力が認められにくく、その契約を破られても責任を追及することは難しい。契約違反による損害賠償などを請求しようとしても民法90条に抵触すると法律上その請求は認められない。
他にも「お店での売買」も一種の法律行為であり、もしそれが公序良俗に反するとされればそれは民法90条によって無効なものとなりうる。公序良俗に反していても法的に有効ということは法律上の解釈では基本ありえないだろう。
司法では「案件ごとに互いの事情も考慮しつつ、法的に無効化するべきと判断される場合へ適応されるもの」となっており、法的な解釈として「法的に無効化する必要性、妥当性が一切ない場合、公序良俗に反している法律行為とは限らない」と考えることができる。
そのためおおよそ社会的な妥当性が認められ社会的に許容される範囲は公序良俗の範囲であり、社会的に許容されない範囲が公序良俗に反するものだと考えられる。つまり、社会的に広く容認されている場合は公序良俗に反するものとは言い難いわけである。
なお民法90条は「公序良俗に反する法律行為を無効とする」法律であり、公序良俗に反するから犯罪とするような法律ではない。また犯罪は基本的に公序良俗に反するが、明確な犯罪行為のみが公序良俗に反するわけではない。ただ法律上どう判断するかを最終的に決定するのは司法であり、司法以外は過去の判例などから考察や推測をすることしかできない。
一般的な解釈の意味
一般的に民法90条はあまり知られておらず、「公序良俗」が法律上の言葉であることを知らない場合が多い。そのため大して調べもせず「感覚的にこういう意味だろう」と、法律上の意味とは別の解釈で使われることが珍しくない。
おおよそ「公共の秩序と善良の風俗」のように解釈されているようで、一般的な解釈では主に「公共の場にふさわしいかどうか」という基準で判断されていることが多い。つまり「公共の場にふさわしくない場合、それは公序良俗に反する」という意味で用いられている。
しかも厳密な定義も無く感覚的に使われているためため、細かい解釈には大きな幅がある。
それらは民法90条に当てはめてしまうと大きな問題を孕んでいる解釈なのだが、法律をよく知らない人々にはそうした解釈、特に「性的な表現や暴力的な表現は公序良俗に反するという解釈」が当たり前となり、それが「公序良俗の基本的な意味」のように扱われている。
一応公共の場などに限れば民法90条の解釈に近い意味合いになりやすいものの全く同じものではない。
検索や辞書から分かる意味
「公序良俗 意味」や「公序良俗 辞書」などで検索をかけて調べても出てくるのは、言葉としての意味(当ページ概要の内容)と民法90条関連ばかりであり、一般的な解釈を説明している例はすぐには見当たらない。
実のところ辞書などに一般的な解釈の意味は書かれておらず、「公序良俗」の意味を調べても一般的な解釈の意味を知ることが難しい。(2021年2月28日現在)
便宜上当記事では「一般的な解釈」と表現しているが厳密には法的な意味を調べていないあるいは意識していない人々によるローカルな解釈であるとも言える。ただその使い方が「一般的」と表現していいくらい広まっているのも事実である。
性的表現・暴力表現などの可不可
法律上の意味と一般的な解釈の意味の違いは、主にエログロ、「性的な表現・暴力的な表現」を禁じるかどうかにおいて解釈のズレと問題を引き起こしている。
法律上の解釈からの可不可
一応、おおよそ「社会的に許容されている範囲であれば公序良俗に反しない」と推定され、また「公序良俗に反する内容の物品を売買する行為であればその有効性を問える」かもしれないものの、社会一般で配慮や制限をしながらも売買が当然として行われているものであるならば、それらが一概に公序良俗に反するという事は困難である。
もちろん法令の範囲内で必要な配慮を行い適切な場所であれば公序良俗に反しないとしても、必要とされる制限が無い環境で配慮無しにその場にふさわしくない過激な内容を公開するといった場合は公序良俗に反する行為になると考えられる。例えば青少年保護育成条例などの関係から、青少年の閲覧に制限や配慮のない状況で露骨に性的な内容を投稿する行為は公序良俗に反すると推定できる。他にも規約で禁止すると明記されている表現を投稿するといった行為も、その行為が公序良俗に反する行為になると考えられる。
また刑法175条に抵触するような内容である場合は法律上いかなる頒布陳列、販売や公開が禁じられているため、その内容自体が公序良俗に反するものだと考えることができる。当然その他法律に違反する行為、例えどんな場所であっても許容されないような内容や過激な表現ではその内容を発表することが公序良俗に反するものと考えられ、これらは例え表現の自由を掲げたとしても、実情として社会的な妥当性に欠けると判断される場合は制限されてしまうものである。
ただし反対に、社会的な妥当性が認められる範囲は公序良俗の範囲内であると推定されるもので、それが法的にも公序良俗に反するものだと断定することはできない。例えばtwitterやpixivなどのように、閲覧に制限をかけることが可能なサービスで、規約上禁止されていない範囲で必要とされる制限をかけた状態であるならば、それが法的に公序良俗に反する行為や表現だと判断することは難しい。
そのため「公序良俗に反する表現を禁じる」と書かれていても、性的な表現や暴力的な表現を一概に禁じているわけではないと言えるのである。
ちなみに実際の司法でも必要な配慮がなされた性的描写を含む作品への権利侵害を扱った裁判において、被告側の「内容が(法律上の)公序良俗に反しているためその権利は保護されない」という主張を退け表現内容が公序良俗に反するかどうかの言及を避けた例(令和2(ネ)10018)もあり、少なくとも全てに適応できるわけではないと言うことはできる。
なお法律上の解釈でも文章の違いで範囲は当然変化するもので、例えば「~に反する行為の描写」などなら"犯罪など反社会的な行為を描写すること"を指定した文章として読める。その例の場合エログロ以外も含めた広範囲の指定となるものの、ただし反社会的な行為以外のエログロ表現は範囲外のままである。また全くの蛇足だが「表現」のみの指定では「行為/利用」そのものは範囲外と読めてしまう。
一般的な解釈からの可不可
書いた通り一般的な解釈においては「閲覧に制限や注意が必要なものは、公序良俗に反する表現」といった解釈が多いため、「公序良俗に反する表現を禁じる」と書かれている場合は性的な表現や暴力的な表現も概ね禁じているものとして解釈されやすく、特にそれらを指すものとして書かれている場合さえある。
例えば初音ミクで有名なクリプトンは公式のFAQにおいて「所謂18禁に相当する様な卑猥な作品や、過度にグロテスクな作品などが、公序良俗に反すると判断されますが、~(略)」という回答を行っており、それを理由として作品を削除させた例もある。またニコニコもニコニコ活動ガイドライン上において「公序良俗に反するもの」として性的な内容、暴力的な内容などを上げているなど、企業の規約などにおいても一般的な解釈の意味で慣例的に用いられている場合がある。
しかしその判断は言葉の使用者本人の感覚に大きく左右され「個人的に公共の場にふさわしくないと思う場合、それを公序良俗に反するものと呼ぶ」という場合が多い。一般的には「年齢制限などの制限が必要になるかどうか」が大きなラインとして扱われているものの、例え年齢制限が無くともその人が公序良俗に反すると思ったら公序良俗に反するものだとしている場合さえあり、極端な例になるがセクシーだと感じるので公序良俗に反する、血が出ているから公序良俗に反する、というラインもありえてしまう。
そういった解釈もありえるためか、一部の規約では「過度に公序良俗に反する」「過剰に~」などの表現が用いられている例も見られ、これはおそらく「一般的な解釈を前提としつつ、しかし多少なら問題ない」という意味であると読み取ることもできる。しかしその場合でもどこから公序良俗に反し、どこまで過剰ではないのか、その解釈の幅は非常に広い。
他にも「著しく~」といった表現が使われたり、ニコニコでは「公序良俗に完全に反する内容(ではないものの)」といった表現で厳密な年齢制限が必要となる内容を指し、「完全に反する内容でないものの、成人嗜好に類する~」といった表現でニコニコのR-18カテゴリの説明を行っている。
こういった広い解釈の幅がある関係上、その範囲を他人が精確に把握するためにはその相手の心情を詳細に調べて察する必要があり、情報が足りなければそれこそ人の心を読むことができない限り過不足なく判断することは不可能である。
規約の解釈の違いによる問題
エログロへの解釈に大きな違いがあるため、特に素材やキャラクターの利用規約で「公序良俗に反する利用」としか書かれていない場合、前述した通りその意図や範囲を精確に把握することは不可能である。
法律上の意味を前提として「公序良俗に反する利用」について性的な表現や暴力的な表現は含まれていない意図で記載している場合もあり、当然それらについて併記されていないことが多い。そもそも規約というものは本来約束の規定であり契約という法的な関係性を持った文書で、その言葉の意味は法律上の意味こそ正当な解釈だと考えることもできてしまう。そのため意味が併記、明記されていないのであればそれらは含まれず、公開する際に表現に合わせて適切な場所を選び必要な配慮をしている場合はそれらの利用も可能であるとも解釈できる。
しかし、一般的な解釈を前提としている場合「公序良俗に反する」という言葉だけでもエログロ禁止が含まれていることが当然だと考え明記していないことがある。一応一般的な解釈を前提としていても例を出して明示していればそうした解釈なのだと把握しやすいものの、含めるつもりであるにも関わらず明示していない例も少なからずあり、明示する必要のない法的な解釈の場合との判別を難しくしている。
そこに書かれた公序良俗の意味合いについて補足があるならばそれに従うこともできるが、補足も何もない場合は書いた人以外には分からない。
そうした事情もあって「公序良俗」単体では規約文言の解釈、あるいは誤解によるトラブルを起こしやすいものとなってしまっている。それは権利者と利用者の間に限らず、権利者が許容していても第三者が勝手に公序良俗に反すると判断して批難するといったことまである。
一般的な解釈のその他の問題
「一般的な解釈で民法90条を適応してしまう場合、公共の場に適さないあらゆるものの法律行為が無効となる」と考えることができてしまうという大きな問題がある。例えば一般的な解釈で公序良俗に反するとされやすいアダルトコンテンツを扱う商売(=法的な契約取引)なども法律上無効になってしまうのでは?と思えてしまう。
また民法90条に限らず、日本の多くのサービスは利用規約や契約へ慣例的に禁止事項として「公序良俗に違反する利用」を禁じていることが多く、もし一般的な解釈を一律に適応してしまうと「公共の場に置いてふさわしくないと判断される場合、例えインターネット上のいかなる場所であっても許されるべきではない」という解釈ではないかと考えることもできる。それこそ「アダルトコンテンツがインターネット上に存在してはいけない」と言っているに等しい。
もちろん現実として必ずしもそうではないし、必ずしもそうした解釈のつもりではあるとは限らない。しかし、特に性的な表現において社会的な妥当性に欠けるとされる場合は社会的な妥当性の無い性的表現を規制する刑法175条などに抵触する恐れがある。「性的な表現は全て公序良俗に反する」という解釈は「性的な表現は社会的な妥当性が無く、つまり禁止されるべきものである」という考え方だとも見えてしまう。
公序良俗は便利に魔法の言葉として使われてしまっているが、本来慎重に扱わなければならないと言える言葉なのだ。
トラブルなどを避けるためにも公序良俗という言葉はなるべく、特に広い範囲で用いる場合は可能な限りどのような解釈であるかをすぐ理解できるような表現と合わせて用いることが望ましいと言えるわけだが、実際の使われ方はそうとも限らないのが実情である。
なお大きな懸念として、公序良俗の解釈を巡って法的な争いが起きた場合、司法から法律上の意味とは異なる独自解釈が不適切で無効なものとされる可能性も否定できない。もし規約の独自解釈による主張が「規約の不備」とされてしまうと正当性が失われ、主張が一部ないし全て退けられる恐れも考えられてしまう。実際に司法でそうしたものを争われた例は見られないため確証は全く無いが、司法側の解釈次第でそうなる危険性はありえると想定できる。
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