- プロ野球選手一覧 > 内川聖一
内川聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日-)とは、大分県出身の元プロ野球選手である。
妻は元フジテレビアナウンサーの長野翼。
概要
OB | |
---|---|
内川聖一 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県大分市 |
生年月日 | 1982年8月4日 |
身長 体重 |
184cm 92kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手、内野手 |
プロ入り | 2000年ドラフト1位 |
引退 | 2023年 |
経歴 | |
選手歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
WBC | 2009年、2013年、2017年 |
日米野球 | 2014年 |
プロ野球選手テンプレート |
大分工業高等学校時代に骨膿腫にかかり、3回手術を受けた。甲子園出場はなし。
2000年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団した。背番号は25。
横浜時代
2008年は佐伯貴弘に代わり一塁に定着。4割を超える打率を残すなど打ちまくり、規定打席到達後は一度も打率1位の座を譲ることなく、打率.378でセリーグ首位打者に輝いた。
ちなみに打率.378はロバート・ローズ、落合博満の.368を大幅に更新する右打者の史上最高打率、ついでに川上哲治の.377も抜いてセ・リーグの日本人選手史上最高打率なのだが、チームがぶっちぎりの最下位に低迷していたこともあってあまり話題にはならなかった。なお2008年の横浜の勝率は.338であり、2リーグ制以降史上初の「所属チームの勝率を上回る打率の首位打者」である。
2009年WBC日本代表に外野手として選出。最初は控えだったが途中からスタメン出場しはじめ、首位打者の打棒を見せつけた。特にレフトで先発出場した決勝戦では好守備、得点につながる出塁など顕著な活躍をした。この活躍で観戦されていた愛子内親王様を魅了したことでも知られる。また、勝利後のテレビ局側のインタビュアーだったのが長野アナである。シーズンでは外野手のはずだった新外国人のダン・ジョンソンが一塁しか守れないことが判明した関係でレフトを守ることが多く、リーグ2位となる打率.318、前年を上回る17本塁打を記録し3番に完全に定着した。
2010年前半戦は3番・一塁、後半戦はブレット・ハーパーの加入により1番・右翼で出場。初めて全試合に出場し打率.315、9本塁打66打点の数字を残す。
オフにFA宣言し、広島東洋カープが初めてFA選手の獲得に乗り出したが、地元大分に近い福岡ソフトバンクホークスへ移籍した。
ソフトバンク時代
2011年は『統一球に球が変更』、『セ・リーグからパ・リーグに移籍』などシーズン開幕前は活躍を怪しむ声が多く存在した。
ところがシーズンが開幕すると、3番に完全に定着し、統一球などどこ吹く風と言わんばかりにヒットを量産。月間MVPや交流戦MVPを獲得するなど大活躍。一時故障で戦線離脱したが、復帰後は再び3番としてチームを牽引。
最終的に打率.338で首位打者を獲得、江藤愼一以来2人目となる『セ・パ、両リーグでの首位打者』となった。
クライマックスシリーズでも第1戦で先制打を放つなどの活躍でMVPを獲得。日本シリーズでは第2戦でバットのテーピングに文句をつけられるなど最初は振るわなかったが、第3戦以降チャンスメイクに徹して要所で繋ぎのバッティングを披露。最終戦では勝利を決定づけるタイムリーを放つなどチームの日本一に貢献し、特別賞を総取りした。
更には最優秀選手(MVP)まで獲得。小笠原道大に続く2人目のFA移籍1年目での受賞となった。
2012年は背番号を1に変更。開幕当初こそ快調に3割打っていたが、6月にレギュラー定着以来類を見ないレベルの大スランプに陥る。月間打率は78打数10安打の.128(月間最下位)という惨状で、打率は.258まで急降下。5年連続3割も危ぶまれた。しかしオールスター開けからは前年首位打者の本領を発揮。8月19日に右手薬指を剥離骨折したにもかかわらず、8月28日からスタメンに復帰してその後も打ち続け、8月は月間.400、9月は.386の猛スパートで見事に3割に間に合わせ、5年連続3割を達成。最終的に打率.300、7本塁打、53打点。157安打で最多安打のタイトルを獲得し、1994年に表彰タイトルとなって以来初の両リーグ最多安打を記録した。
2013年はWBC日本代表に選出。しかしチーム敗退の原因となる痛恨の走塁ミスを犯す。
シーズン中は概ね好調。途中肋骨を骨折する故障に見舞われるがそこからホームランペースが上がるという、前年と同じく「怪我すると調子が上がる」という状態になった。最終的に.316 19本塁打、92打点と自己最多のホームランと打点を記録した。安打数も180と長谷川勇也に次ぐリーグ2位と安打製造機っぷりは健在だった。
2014年は右臀部の故障を抱え、肉離れという診断を受け登録抹消。1ヶ月二軍での調整を経た後一軍に復帰し、7月11日の北海道日本ハムファイターズ戦で通算1500本安打を達成した。最終的に打率.307、18本塁打、74打点で優勝に貢献。日本シリーズでMVPを獲得した。オフには日米野球にも出場した。
2015年は4番打者として起用される。136試合に出場し、2年連続のリーグ優勝に貢献したが、打率は.284に終わり、8年連続3割はならなかった。
クライマックスシリーズファイナルステージでは3戦連続タイムリーと活躍し、MVPを獲得。ソフトバンクを日本シリーズ進出に導いた。
しかし、日本シリーズ前に肋骨の骨折が発覚し、日本シリーズには出場することが叶わなかった。チームの日本一達成の瞬間には立ち会うことが出来、チームメイト達と共に歓喜に沸いた。オフに行われるWBSCプレミア12は辞退した。
2016年は李大浩のMLB移籍を受け、一塁手に転向。前年に続き4番打者に固定された。141試合に出場し、2年ぶりの打率.300を達成した他、キャリア初の100打点を記録した。
しかしチームは3年連続リーグ優勝はならず、クライマックスシリーズでは全試合で安打を打つなど奮闘したが、北海道日本ハムファイターズの前に屈した。通算2000本安打まであと104本とした。
2017年はWBC2017に、ただひとり3大会連続で代表入り。主に代打として起用された。
シーズンではこの年も4番・一塁で起用され打線の核を担ったが、7月23日のロッテ戦で守備時に左手を負傷、剥離骨折で長期離脱となり、復帰は優勝決定後の9月末、シーズン終了間際となってしまった。このため2000本安打達成は残り25安打で持ち越しに。東北楽天ゴールデンイーグルスとのクライマックスシリーズでは、同一ステージでは史上初となる4試合連続本塁打の大暴れでチームを日本シリーズに導き、3度目のMVPを獲得。
古巣・横浜DeNAベイスターズとの対決となった日本シリーズでは、3連勝からの2連敗で迎えたヤフオクドームの第6戦、2-3の1点ビハインドの9回裏、山崎康晃から起死回生の同点ソロホームランを放ち、11回裏のサヨナラ日本一決定に繋げる活躍で優秀選手賞を獲得した。
2018年から内野手登録となった。5月9日の埼玉西武ライオンズ戦で通算2000本安打を達成したが、打撃自体は開幕から絶不調で、打率は2割ちょっとの低空飛行。5月に両足を痛めて1ヶ月戦線離脱、6月に復帰するも調子は上がらず、8月に疲労性の体調不良で再び抹消、そのままレギュラーシーズンを終えた。皮肉にも内川が抹消された直後から、不調だったチームは上昇気流に乗ることに。
クライマックスシリーズのファイナルステージで戦線復帰。第3戦・第4戦ではスタメンにも戻り、打率.455、1本塁打、4打点の活躍で相変わらずの大舞台での強さを見せる。日本シリーズでは第2戦以外にスタメン出場。打率.118と振るわなかったが、第5戦と第6戦で、ソフトバンク移籍後では初となる送りバントを2回、いずれも鮮やかに決め、第6戦では日本一の決勝点となる先制スクイズに繋げた。
2019年は登録名をフルネーム表記に変更(スコアボード等の表記が「内川」から「内川聖一」になった)。3年ぶりにフルシーズン一軍でプレーし規定打席に到達。打撃では打率.256、OPS.666、得点圏打率.194とさすがに衰えが隠せなくなってきたが、この年は一塁守備が冴え渡り、規定守備に到達して失策0、守備率10割のパ・リーグ新記録を達成。UZRでも一塁手としては驚異的な数字である18.6を叩き出し、プロ入り19年目にして初のゴールデングラブ賞を獲得した。
2020年は開幕前の練習試合で僅か1安打、打率0割台と大不振で、移籍後では初の開幕二軍となる。代わりに開幕一塁スタメンを獲得した栗原陵矢がそのままレギュラーに定着し、栗原が外野に移った後も中村晃が一塁に回るようになったため、二軍暮らしが続いた。二軍では一時は打率が4割を超えるなど結果を残していたが、一軍からは全く声が掛からず、完全に戦力構想から外れる。
結局、プロ入り20年目にして始めて一軍昇格のないままシーズン終了となり、自ら戦力構想外と判断、現役続行を目指して自主的な退団を球団に申し入れ、同年限りでの退団が決定した。
ヤクルト時代
2020年オフ、東京ヤクルトスワローズに入団した。背番号7。
2021年は代打での出場が続いた。7月6日の阪神戦で通算2000試合出場を果たすと、7月9日の広島戦ではサヨナラタイムリーを記録した。
2022年は7月にチーム内で新型コロナウイルス感染が拡大した際に一軍に昇格したが、結果を残せず二軍落ち。9月28日にNPBの引退を表明し、10月3日には坂口智隆、嶋基宏と共に引退セレモニーが開かれた。
KAL・大分時代
2022年12月3日に九州アジアリーグの大分B-リングスに入団することが発表された。背番号は24。
2023年9月に現役引退を発表。9月24日の火の国サラマンダーズ戦で引退試合が行われた。
プレースタイル・人物
打撃面は長打力とミート力を兼ね備える好打者と言われながら、守備の不安や故障もあってなかなかレギュラーに定着できずにいた。しかし2008年に首位打者を獲得して以降は毎年3割を超え史上2人目の両リーグ首位打者を達成するなど、球界を代表するアベレージヒッターとなった。
アマチュア時代は遊撃手で、プロ入り後はセカンドにコンバート。しかし一塁送球のイップスに罹り、2007年からは外野手にコンバートされる。さらに2008年は主に一塁手として出場。以後チーム事情によって外野と一塁をいったりきたりしており、プロ入り以来ポジションが一定しない。ソフトバンクに移籍した後は主に左翼で、稀に中堅・右翼で出場することもあった。2016年からは一塁を守っている。
かなりのアゴである。一時期「アゴジラ」とも呼ばれていた(しかし、2006年まで同チームにさらにアゴが長い門倉健が在籍したため当初はそれほど話題にはならなかった)。お立ち台ではチームメイトにアゴタッチされるのが恒例になっている。
2017年に相川亮二が引退してからは、親会社がマルハ時代の横浜ベイスターズに所属していたことがある最後の現役選手となっている。
チック
ソフトバンクに移籍後、古巣である横浜ベイスターズに対して侮辱的発言を連発。かつては2chの野球板やなんJでは「内川畜一」「畜生」「チック」「ぐう畜」などとその古巣への態度が度々ネタにされていた。
ただし現在は本人が自宅にかつてのユニフォーム等を飾ってたり、2017年日本シリーズ後に横浜に感謝していると語ったり、当時の生え抜きや移籍してきた選手からも酷かったという事実も広まった事、親会社がDeNAに変わってから暗黒の雰囲気が一掃されただけでなく関係も良好な事、悪くない成績を残したにも関わらず2000試合&2000本手前で戦力外にされた元横浜、巨人4番のどこも獲得しない理由もあり、当時と現在のベイスターズの比較として扱われる事が多くなっている。
「僕自身横浜を出ていく喜びもあった」
「ずっと最下位のチームにいて指導者になっていいのか」
「ここにいたら自分がダメになると思った」
「横浜の時は借金から始まっていた」
「いなくなって初めてその存在の大切さみたいなものに気付くんじゃないですか」
「セでは味わえなかったドーンときてガシャーンとやられる感覚」
「去年まで負けても自分のせいではないと思うこともあった」
「昨年までは優勝にかかわることがなかったので、今年初めて交流戦にMVPがあることを知った」
「今まではやろうと思っても、まあいいかと流していた」
「横浜では誰を信用して良いか分からなかった」
「横浜だと勝っても借金が多くて喜べなかった」
「SBからの連絡でスタートラインに立てた」
「打ち過ぎて申し訳ない」
「ソフトバンクに来て良かったと心から思った」
「チームが勝ったうえで悩めるのは幸せな事だと思う 感謝だね」
「何も緊張感のないところで戦うよりも、こういうところでプレーすることにやりがいを感じる」
「昨年までマジックを減らすという経験がなかった」
「オリックスは4位となりクライマックス進出する事は出来ませんでしたが、僕らは優勝しクライマックスシリーズ進出も決まっていますし」
「横浜時代はアゴをさわられるのは道化の材料として使われているようで嫌だった」
内川コピペ
横浜ベイスターズに所属していた当時の内川の心情がよくわかるコピペ。内川やチームメイトの部分が他球団の選手や他スポーツの選手、果ては登場人物が全く内川と関係ない有名人や漫画・アニメの登場人物などに変わった改変版も作られている。
ただし、どんなに改変されても、必ず最後に「吉村裕基と村田修一が静かに息を引き取る」のが一つのポイントである。
実は、オリジナル版では静かに息を引き取るのは多村仁と村田だったが、多村は2006年オフにソフトバンクにトレードされたため吉村に変えられ、以下の通りの改変版がコピペとして広まった。その後何の因果か2012年オフに多村と吉村がトレードされ、2016年で三浦も引退したため、このコピペの登場人物は全員横浜を去ったことになる。2019年に三浦はコーチとして横浜に戻ってきたが。
本拠地、横浜スタジアムで迎えた中日戦
先発三浦が大量失点、打線も勢いを見せず惨敗だった
スタジアムに響くファンのため息、どこからか聞こえる「今年は100敗だな」の声
無言で帰り始める選手達の中、昨年の首位打者内川は独りベンチで泣いていた
WBCで手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるチームメイト・・・
それを今の横浜で得ることは殆ど不可能と言ってよかった
「どうすりゃいいんだ・・・」内川は悔し涙を流し続けた
どれくらい経ったろうか、内川ははっと目覚めた
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たいベンチの感覚が現実に引き戻した
「やれやれ、帰ってトレーニングをしなくちゃな」内川は苦笑しながら呟いた
立ち上がって伸びをした時、内川はふと気付いた
「あれ・・・?お客さんがいる・・・?」
ベンチから飛び出した内川が目にしたのは、外野席まで埋めつくさんばかりの観客だった
千切れそうなほどに旗が振られ、地鳴りのようにベイスターズの応援歌が響いていた
どういうことか分からずに呆然とする内川の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた
「セイイチ、守備練習だ、早く行くぞ」声の方に振り返った内川は目を疑った
「す・・・鈴木さん?」 「なんだアゴ、居眠りでもしてたのか?」
「こ・・・駒田コーチ?」 「なんだ内川、かってに駒田さんを引退させやがって」
「石井さん・・・」 内川は半分パニックになりながらスコアボードを見上げた
1番:石井琢 2番:波留 3番:鈴木尚 4番:ローズ 5番:駒田 6番:内川 7番:進藤 8番:谷繁 9番:斎藤隆
暫時、唖然としていた内川だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった
「勝てる・・・勝てるんだ!」
中根からグラブを受け取り、グラウンドへ全力疾走する内川、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・
翌日、ベンチで冷たくなっている内川が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
横浜 | 横浜ベイスターズ#59 | 3263 | ![]() |
ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#61 | 8613 | ![]() |
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | 横浜 | 3 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 |
2002年 | 42 | 73 | 66 | 11 | 22 | 4 | 1 | 2 | 7 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 13 | 1 | .333 | .371 | |
2003年 | 45 | 161 | 150 | 20 | 47 | 5 | 0 | 4 | 18 | 4 | 6 | 0 | 5 | 0 | 13 | 1 | .313 | .335 | |
2004年 | 94 | 369 | 338 | 55 | 97 | 11 | 1 | 17 | 45 | 2 | 12 | 1 | 18 | 0 | 42 | 7 | .287 | .322 | |
2005年 | 90 | 262 | 234 | 33 | 64 | 11 | 0 | 5 | 23 | 1 | 6 | 1 | 19 | 2 | 36 | 10 | .274 | .332 | |
2006年 | 124 | 439 | 402 | 41 | 115 | 15 | 2 | 4 | 34 | 8 | 7 | 3 | 22 | 5 | 64 | 9 | .286 | .329 | |
2007年 | 92 | 274 | 247 | 24 | 69 | 17 | 3 | 7 | 29 | 3 | 4 | 1 | 16 | 6 | 37 | 9 | .279 | .337 | |
2008年 | 135 | 544 | 500 | 83 | 189 | 37 | 1 | 14 | 67 | 2 | 5 | 4 | 31 | 4 | 49 | 7 | .378 | .416 | |
2009年 | 132 | 552 | 503 | 65 | 160 | 32 | 2 | 17 | 66 | 1 | 2 | 4 | 42 | 1 | 56 | 16 | .318 | .369 | |
2010年 | 144 | 637 | 577 | 75 | 182 | 36 | 4 | 9 | 66 | 1 | 3 | 4 | 47 | 6 | 51 | 17 | .315 | .371 | |
2011年 | ソフトバンク | 114 | 463 | 429 | 48 | 145 | 21 | 3 | 12 | 74 | 4 | 0 | 7 | 25 | 2 | 48 | 3 | .338 | .371 |
2012年 | 138 | 567 | 523 | 44 | 157 | 21 | 3 | 7 | 53 | 6 | 0 | 7 | 31 | 6 | 36 | 12 | .300 | .342 | |
2013年 | 144 | 633 | 570 | 76 | 180 | 33 | 1 | 19 | 92 | 1 | 0 | 5 | 46 | 12 | 47 | 23 | .316 | .376 | |
2014年 | 122 | 534 | 488 | 50 | 150 | 26 | 1 | 18 | 74 | 0 | 0 | 7 | 34 | 5 | 48 | 5 | .307 | .354 | |
2015年 | 136 | 585 | 529 | 60 | 150 | 24 | 1 | 11 | 82 | 1 | 0 | 7 | 45 | 5 | 55 | 24 | .284 | .340 | |
2016年 | 141 | 605 | 556 | 62 | 169 | 19 | 0 | 18 | 106 | 3 | 0 | 9 | 38 | 2 | 53 | 27 | .304 | .345 | |
2017年 | 73 | 300 | 266 | 31 | 79 | 13 | 0 | 12 | 50 | 0 | 0 | 2 | 32 | 0 | 26 | 9 | .297 | .370 | |
2018年 | 71 | 296 | 281 | 27 | 68 | 11 | 0 | 8 | 30 | 1 | 0 | 3 | 9 | 3 | 32 | 6 | .242 | .270 | |
2019年 | 137 | 535 | 500 | 49 | 128 | 21 | 0 | 12 | 41 | 3 | 1 | 4 | 28 | 2 | 49 | 16 | .256 | .296 | |
2021年 | ヤクルト | 38 | 56 | 53 | 3 | 11 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 12 | 3 | .208 | .250 |
2022年 | 7 | 17 | 16 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | .250 | .294 | |
NPB:21年 | 2022 | 7904 | 7230 | 860 | 2182 | 358 | 23 | 196 | 960 | 41 | 49 | 69 | 495 | 61 | 769 | 205 | .302 | .349 |
独立リーグでの年度別打撃成績
年度 | 球団 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2023年 | 大分 | 47 | 173 | 28 | 61 | 2 | 38 | 0 | 0 | 1 | 32 | 2 | 14 | .353 | .457 |
KAL:1年 | 47 | 173 | 28 | 61 | 2 | 38 | 0 | 0 | 1 | 32 | 2 | 14 | .353 | .457 |
国際大会での打撃成績
年度 | 代表 | 大会 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | 日本 | WBC | 6 | 20 | 18 | 3 | 6 | 1 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | .333 | .400 |
2013年 | WBC | 6 | 25 | 23 | 4 | 8 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 1 | .348 | .400 | |
2017年 | WBC | 6 | 10 | 8 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | .375 | .455 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 一塁手 | 635 | 5145 | 378 | 22 | 395 | .996 |
二塁手 | 183 | 407 | 544 | 25 | 113 | .974 | |
三塁手 | 12 | 4 | 14 | 1 | 1 | .947 | |
遊撃手 | 31 | 33 | 78 | 7 | 10 | .941 | |
外野手 | 872 | 1381 | 30 | 10 | 9 | .993 |
タイトル・表彰
タイトル | ||
---|---|---|
首位打者 | 2回 | 2008年、2011年 |
最多安打 | 2回 | 2008年、2012年 |
最高出塁率 | 1回 | 2008年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 5回 | 2008年(一塁手)、2009年、2011年-2013年(外野手) |
ゴールデングラブ賞 | 1回 | 2019年(一塁手) |
月間MVP | 5回 | 2008年8月、2011年4月、2013年8月、、2014年7月、2016年9月 |
セ・パ交流戦MVP | 1回 | 2011年 |
クライマックスシリーズMVP | 3回 | 2011年、2015年、2017年 |
MVP | 1回 | 2011年 |
オールスターゲームMVP | 2回 | 2013年第3戦、2017年第1戦 |
日本シリーズMVP | 1回 | 2014年 |
その他 | ||
全球団から本塁打 | - | 2011年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
関連リンク
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