内藤哲也とは、新日本プロレス所属のプロレスラーである。
キャッチフレーズは『制御不能のカリスマ』。公称では身長180㎝、体重102㎏。
今日も…概要をご覧の、木谷オーナー!
生い立ち~デビュー、高まる期待
1982年6月22日生まれ。東京都足立区東島根出身。巨人と新日好きな父親の影響で小さいころからプロレスにハマり、『王貞治さん、長嶋茂雄さん、アントニオ猪木さん。この3人のことは絶対に“さん付け”で呼びなさい』と教えられてきた。運動神経は幼いころから稀有なものを持っており、野球部とサッカー部のキャプテンを掛け持ちしていたという。
中3の頃にプロレスラーになると決意し、高校最後の大会の後すぐにアニマル浜口ジムに入門。怪我のためなかなか入門テストのチャンスを逃してきたが、2005年にようやく参加し、自他ともに認めるぶっちぎりの成績で合格する。
翌2006年の5月にデビュー。もともとファンだったことも幸いしてか動きの良さ、センスなどは高い評価を受け、同年ヤングライオン(YL)ベストバウト賞、翌年にはBOSJに(負傷者の穴埋めとはいえ)エントリーし2勝を挙げるなど目覚ましい成績で、ジュニア戦線で存在感を増していく。08年には高橋裕二郎とのタッグ『NO LIMIT』でIWGPジュニアタッグ王座を初戴冠し、以降このタッグでTNA,CMLLなどに参戦していった。
ヘビー級転向、G1初優勝と伸び悩みの苦悩
09年末の凱旋帰国時に相方と共にヘビー級への転向を果たすが、この辺りからリングの内外どちらでも伸び悩むようになってしまい、ブーイングの声も数多く聞くようになる。10年4月にはCHAOS入りするが、やがて裕二郎との間に不協和音が生じ、およそ1年後に追放されてNO LIMITも消滅。以降20代でのIWGPヘビー級王座戴冠を目標に掲げるも届かず、挙句12年8月に右膝を負傷してしまう。
13年6月に復帰。同年8月のG1 CLIMAXではBブロックを1位通過し、決勝では棚橋弘至を下して悲願のG1初制覇を果たす。しかしこの大怪我からの劇的復帰というストーリーは大歓声では迎えられず、ベビーフェイスながら歓声を得られないというレスラーにとってどん底とも言える事態に陥っていく。挙句、ファンの支持を得られなかった内藤は東京ドームでのメインイベント挑戦権を得たにも関わらず、ファン投票の結果『棚橋弘至VS中邑真輔』という新日本の黄金カードに決まっていたIWGPインターコンチネンタル(IC)王座選手権にその座を奪われてしまった。この屈辱以降内藤はますます失速していく事になり、同時にそれは数年後のリベンジへの大きな糧となっていく。
"制御不能"への覚醒
以来、精彩を欠き大きな爪痕を残せずにいた2015年5月、メキシコ・CMLLに遠征。親交のあったルーシュ、ラ・ソンブラが立ち上げたユニット『ロス・インゴベルナブレス(Los Ingobernables、以下LI)』に加入したことでレスラー人生の大きな転機を迎える。このユニットは『ベビーでもヒールでもなく、やりたいようにやる』というポリシーを掲げており、方向性に迷っていた内藤に合っていたという。帰国後もそのファイトスタイルを貫き、のらりくらりとした態度はブーイングを受けるが、歯に衣着せぬ言動と何をするか分からない戦いで、同年のG1で優勝争いとは別の意味で大きな注目を集めた。
このG1で優勝した棚橋から白星を奪い(棚橋曰く『レスラー人生で5本の指に入るほど悔しい負け』)、同年10月の両国大会でドーム大会の権利書防衛戦に逆指名されるが、内藤はこれに噛みつき『この会社は棚橋の言ったことが全て』と言及。両国に『パレハ(Pareja)』を連れて行くと宣言し、絶対的ベビーのエース・棚橋を敵に回して注目も歓声も集める。この戦いには敗れるも、彼がパレハとして連れてきた"King of Darkness"EVILをお披露目。耳たぶの治療の後、年末の『World Tag League』では負傷欠場から復帰したBUSHIを加え、メキシコの本家から分離した『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(Los Ingobernables de Japon、以下LIJ)』を正式結成。準優勝に終わるも、EVILと共にインパクトを残すことに成功。
飛躍と充実の2016年~現在
翌2016年は、ここ2年のトップ戦線を占めていた"4強"のAJスタイルズ、中邑真輔らが年頭に相次いで離脱(主にWWEへの移籍による)したことで、固定化されていた戦線が大きく変化を迎える事となる。新日の行く末が不安視される中、前年からのLIJ旋風で勢いに乗っていた内藤は3月のNew Japan Cupを制し、王者オカダの持つIWGPヘビー級王座への挑戦を表明。4月10日の『Invasion Attack』では予告なしに投入した新パレハ・SANADAの介入もあったが、レインメーカーを交わしてのデスティーノで3カウントを奪い初戴冠を果たす。介入ありきの戴冠というヒール的なやり方だったがファンはこの事態を大歓声で迎え、実況に『両国の磁場をひっくり返した』と言わしめた。2か月後の大阪でオカダにリベンジされるが、この間に新日・木谷オーナーにまで『貴方の眼と耳でこの盛り上がりを体感すべきではないか』と噛みつき、大阪大会では本人を引っ張り出す事に成功。この頃には既に日本全国で『手のひら返し』がなされ、内藤は一躍ファンの歓声を集めるレスラーとなった。G1こそ内藤と共に同年大ブレイクを果たしたBCの新リーダー、ケニー・オメガに敗れて決勝進出を逃すも、下半期もIC王座戴冠、WTLでの『パートナーX』発言や高橋ヒロム加入など1年を通して新日本プロレスに話題を提供し、圧倒的支持で同年のプロレス大賞を受賞する。
17年1月4日には棚橋弘至とのIC王座を賭けた一騎打ちに勝利し、名実ともに棚橋越え。その後もNJCの制度改革案等を掲げるなど絶えず話題を提供する。6月に棚橋の再挑戦に敗れ王座からは転落するも、同年のG1でリベンジ。決勝でもケニーに1年越しのリベンジを果たして2度目の優勝を果たし、ファンは4年前から"掌を返して"大歓声でこれを称えた。
20年には史上初となるIWGPヘビー/IC王座の『二冠』を達成、東スポ制定の「プロレス大賞」にも2年連続でMVPに選ばれるなど、更なる活躍が期待されている。
内藤哲也にネセサリオな得意技ですよ。
デスティーノ(destino)
LI加入以降の内藤のフィニッシュムーブ。スペイン語で"運命"の意。相手の腕で逆上がりするように回転しながら、後頭部をリバースDDTの要素で叩きつける。相手の技へのカウンターやスイング式で繰り出してから正調で止めを刺すことが多い。
スターダスト・プレス
かつてのフィニッシュムーブ。もともとは獣神サンダー・ライガーの開発した技だったが、極めて難易度の高い飛び技で本人ですら使用を控えていたほど。内藤の高い身体能力を以てなされる技で、スターダスト・ジーニアスと呼ばれる所以でもあった。LI加入以降は封印されていたが、17年G1決勝で解禁(未遂に終わったが)、以降は大舞台での切り札的な位置づけとして使用することがある。
グロリア(gloria)
変型のリストクラッチ式サイドバスター。相手の左腕をハンマーロックで極めながら右手で掴み取り、左腕で相手の首を抱え込みながら持ち上げ、垂直落下気味に後頭部をマットに叩きつける。スペイン語で"栄光"の意だが、LI加入前からこの技を使っており、ここからフィニッシュムーブに繋げている。
雪崩式フランケンシュタイナー
フライング・エルボーアタック
ロープのリバウンドを使ってリング中央まで飛んでいく、高い跳躍力を持つ。
スイングDDT
俺の言動?いちいち説明するのはノー・グラシアスだね。
『新日本の主役は、俺だ』
CHAOS追放以降、本体に所属している時期に言い出した言葉。13年にG1を制した時にもこの言葉を発したが、前述のファン投票によるメイン剥奪などが示す通り受け入れられたとは言い難かった。LIJ加入以降は封印していたが、4年後に再びG1を制した際、『あの時は背伸びしていたが、今なら自信を持って言える』という言葉と共に解禁。大歓声で迎えられている。
『トランキーロ!…あっせんなよ』
LI加入以降の決め台詞にして、今や内藤の代名詞。凱旋当初こそブーイングの嵐だったが、今では大合唱になる。トランキーロ(Tranquilo)はスペイン語で『落ち着け』の意。メキシコ遠征時、早く試合がしたいとしゃかりきになっていた内藤に対しLIの仲間たちが頻繁にかけた台詞であり、内藤自身今でも戒めとしている。会場での大合唱の際は、トランキーロ!と叫んだあとにためが入る。くれぐれも"あっせんなよ"。
『ノソトロース・ロス・インゴベルナブレス・デ!! ハ!! ポン!!』
スペルは"nosotros los ingobernables de japon"。スペイン語で「俺たちはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンだ!!」の意。"インゴベルナブレス"のルとレは巻き舌。マイクの締めとして、LIJのメンバーの名前を一人ずつ言った後にこれで締める。IWGPヘビー初戴冠時はこれを言う前に紙テープが舞ってしまい、これは木谷オーナーの陰謀だと勘ぐったことも。
因みに現メンバーはEVIL,BUSHI,SANADA,高橋ヒロムなので、"EVIL,BUSHI,SANADA,HIROMU,y(読みは"イ"。スペイン語で"そして"を指す接続詞) NAITO"と叫んでからこれに移る。
『この会社は棚橋の言った事が全て』
LI加入以降、対棚橋関連で必ずのように言う言葉。16年11月(IC王者時)、『7年連続ドームメインに立つ』と宣言した棚橋に対してはこの言葉を放った上で、『棚橋がファン投票やろうと言ったらこの会社は動きますよ』『ドームメインに立ちたいなら自分から提案してみろ』と挑発し舌戦で圧勝を収める。一方その半年後に棚橋の再挑戦を拒否した際には、『俺の言ったことは全部通るんだから、さっさと受けちまえよ』と逆利用されたことも。
『中邑真輔退団と同時に、“King of Sports”なんて名乗るの止めた方がいいんじゃないの?』
16年1月の中邑退団を受けて組まれた壮行試合の際のコメント。ここ10年の新日の功労者である中邑に、棚橋・オカダをはじめ各レスラー(中邑と不仲で知られる柴田勝頼除く)が激励の言葉を贈る中で、"そんなに中邑が他の団体に行くのが新日は誇らしいのか"と、一人やはり"制御不能"。因みに柴田曰く、『俺が思ってることはだいたい先に内藤が言ってる』とのこと。後に内藤もこれを振り返って、中邑に対してただ見送っただけの人は活躍してない、これをチャンスと捉えた俺と柴田が飛躍した、と述べている。
『俺に敗れたオカダをあなたのお力でオカダをスターにしてしてあげてください。俺にはそんなプロジェクト必要無いので。』
16年4月にオカダを破って初戴冠した時、『PCの向こうにいる』木谷オーナーに放ったコメント。2か月ほど前、ちょうどWWEの引き抜きで揺れる中、東スポが木谷オーナーのコメントとして『オカダに2億円規模かけてスターにするプロジェクトがある』とすっぱ抜いた事に対して、『他の選手がどれだけ頑張ってもオカダを超えられないのか』と徹底的に噛みついていた内藤の一言に会場が湧いた。
『俺の価値はもうベルトを超えてしまった』
これも16年4月の初戴冠時、内藤は恋焦がれたはずのそのベルトを放り投げるという暴挙に出たが、その際に述べたコメント。後にIC王座を獲った際には、自身の要求(NJC改革案、対戦要求など)が悉く通らない事を受けて『このベルトは俺の足枷になってる』と言い、リングポストに投げつけるなどして破壊している。棚橋が奪取した後に自らの手で修復作業を施したが、結局新しいベルトに新調されることとなった。
俺さ、カンサードなんだよ。エピソード振り返る余裕ないんだよね。
- 自他ともに認める『新日本プロレスの大ファン』。所属レスラーとなった今でも自らファンクラブに入会している。高校時代から地方遠征したこともあり、今でもファンクラブの会員番号の頭の方にいるらしい。その為か、LI加入以降の現状のシステムに対する様々な提言はかなりファン目線に立っての発言(Ex.NJCは"春の最強挑戦者決定トーナメント"、WTLは"ドームのカードが決まってる人は手を抜く")となっており、彼がファンから絶大な支持を得る大きな要因の一つである。これらの発言はLIJ以降頻繁に取り上げられるようになったが、それ以前の内藤の発言にもこの考えに通ずる一端を感じられるため、決してLIJ以降に得た考え方ではないと筆者はみている。
- この事について、LI加入前の内藤を指して中邑真輔は『内藤はプロレスファンすぎる。だから内藤の頭の中にはプロレスからインスパイアしたアイデアしかない』と語ったことがある。一方内藤は後にIWGPヘビーを戴冠した際『やっぱりプロレスファンすぎたからこそ今の俺がある』『内藤哲也のプロレス愛はあなたの理論を超えてみせたぜ中邑さん』と述べている。ファンの中のファンである一方、ストーカー気質とまでも言えるねちっこい性格である。
- 筋金入りの武藤敬司ファンであり、デビュー後の内藤の試合を評して『武藤敬司そのもの』と解説者に言わせしめるほど無意識下に彼の動きが染みついていたという。その色を色濃く受け継ぐ棚橋弘至については彼のデビュー戦以来の憧れであり、棚橋を下してG1を初制覇した際は『貴方に勝てたことを誇りに思う』とも述べている。一方、棚橋も内藤がデビューした際に『早く俺のとこまでこいよ』と語り掛けたほか、『棚橋の"次"は内藤だと思っていた』とまで評価していた。内藤のLI加入により袂を分かった二人はその後数々のターニングポイントで対角線上に立つこととなり、17年のドームで棚橋を下して世代交代を印象付けた内藤は試合後に『早く俺のところまで戻ってこいよ』と述べている。
- 20年来の広島東洋カープの大ファン(父は前述のとおり巨人ファンだが)であり、引退後には広島に移住して年間シートの購入も検討するほど。大ブレイクを果たした17年には応援歌『それ行けカープ』にも歌唱参加してICベルトを放り投げたり、カープ×LIJのコラボTシャツを販売したりしており、内藤自身も広島を第二のホームと認めている。因みに広島好きになった理由は、大ファンの原辰徳が95年に引退したことを受けた翌年、野球観戦に対して『ぽっかり穴が開いた』状態になっていたところ、広島の足を絡めた野球に魅了されたから。因みにこの年の広島は『ビッグレッドマシン』と言われる強力打線(そしてスタメンの多数が球界のレジェンドでもある)を誇っていた(が、11.5ゲーム差を巨人に逆転されたメーク・ミラクルの年でもある)。
- 箱(会場)マニアでもある。週刊プロレスの中で内藤が『箱』について語るコラムや、本人のTwitterでは会場が開く前の写真が頻繁に投稿される。因みにサッカー場や野球場についても興味があると言い、スポーツが行われる箱に興味があるのだと思われる。彼の同期にはキャンプ場でプロレスをする強者がいるが、そちらへの興味は…不明。
- 飯伏幸太や鷹木信悟(DRAGON GATE)らと同期で、昭和57年会を結成している。同会の一員でもある東スポ・岡本記者は内藤の番記者でもあり、よく記者会見でマナーモードにするのを忘れていじられたりファミレスで奢らされたりするような関係。因みに内藤はこれについて、自身がファン時代、観戦仲間たちとファミレスでプロレス談義をしていたと明かしたうえで、『あの時の気持ちを忘れたくないっていう思いが、ちゃんとある』と同紙の独占取材で応えている。
- 入場時の眼を見開くポーズは"アブレ・ロス・オホス(Abre los ojos)"という。もとはメキシコでのアジア人に対する"目が細い"という偏見に対する回答として使っていたが、帰国後もこれを使う子供たちが多かったことから継続している。LI加入以降は、右胸を拳で二回たたく→天に突き上げる、というポーズと共に使っている。
どの面下げてキャリア聞いてんだよ、カブローン!
- 第64代IWGPヘビー級王座
- 第15代IWGPインターコンチネンタル王座
- 第2代NEVER無差別級王座
- 第55代IWGPタッグ王座(w/高橋裕二郎)
- 第22代IWGPジュニアタッグ王座(同上)
- G1 CLIMAX 優勝2回(2013年、2017年)、準優勝1回(2012年)
- NEW JAPAN CUP2016 優勝
ブエナスノーチェース、ニ~コ~動~!
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