円谷浩(1964年3月8日~2001年7月24日)とは、日本の元俳優である。
概要
1964(昭和39)年3月8日、東京都世田谷区出身。本名は円谷寛(読みは同じ)。
ゴジラ、ウルトラマン等の特撮を生み出した映画監督であり、円谷プロダクションの創業者である円谷英二の実の孫である。高校卒業後に円谷プロダクションに入社、同社の芸能部に所属した後、82年に「特捜最前線」でドラマデビューを飾る。
主な出演作は「宇宙刑事シャイダー」「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンガイア」「暴れん坊将軍シリーズ」等である。詳しい出演作はWikipediaを参照。
「宇宙刑事シャイダー」について
円谷浩と言えば、特撮ファンにとって最も印象深いのが、東映の特撮ドラマ「宇宙刑事シャイダー」である。
円谷浩は円谷プロ芸能部の売り込みで同作の主演オーディションに参加し、主人公の沢村大/シャイダー役を狙っていた所を、脚本家の上原正三に発見され、上原氏の推薦を受けて主役に抜擢された(上原氏は円谷作品で脚本家デビューした為、円谷家に対する感謝の気持ちを表す為に円谷浩を主役に当てる事を交換条件にシャイダーの脚本全49話を担当した)。しかし、それは円谷浩にとって過酷な日々の幕開けであり、俳優として乗り越えるべき試練の連続であった。
宇宙刑事シリーズ前2作の大葉健二、渡洋史がJACの本格的なスタントマンであったのに対して、円谷浩はアクション俳優としてデビューした訳では無かった。その為に沢村大役に選ばれた直後に同じく主演オーディションに参加していた俳優の吉田淳と共に研修でJACに1か月通い稽古を受けていた(吉田淳はその後、シャイダーで悪役の神官ポーを演じた)。しかし1か月の研修では本格的なアクションが出来る様になれる訳が無く、序盤は危険なスタントは全て吹き替えで撮影していた。この為にシャイダーはギャバン、シャリバンに比べて当時の裏事情に詳しい高年齢層の特撮ファンからの評判は芳しくなく「アクションもろくに出来ない癖にコネで主役を貰った」等と厳しい声を上げるファンも少なく無かった。
しかし円谷浩本人はその悪評を払拭すべく、非アクション俳優と言うハンデを抱えながらも、大葉健二と渡洋史に少しでも近づき追い着こうと日夜努力を欠かさなかった。自身の出番が無い撮影の際はJACの稽古を受け、自主トレも欠かさなかった。その努力は背中が傷だらけになるほど凄まじく、第19話「アニー危機一髪」では上半身裸のシーンがあったものの、背中の傷が痛々しくて映せない為に吹き替えて貰った程である。その努力の甲斐あって、中盤に入ると簡単なアクションから吹き替え無しで任せられる様になり、学生時代バレー部に所属していた事もあり体力と運動神経に優れていた為にアクションの腕前を上達させて行き、最終決戦回(48話)ではコンバットスーツを着たアクションも任される程にまで成長した。役1年間の撮影の末に、円谷浩は俳優としては申し分無い程にアクションが出来る様になり、その後の俳優活動の中で活かされる事となった。
「宇宙刑事シャイダー」は未熟なヒーローの成長物語であったが、同時に未熟な俳優、円谷浩の成長物語でもあった訳である。
その後~晩年
シャイダー終了後、様々なドラマ、時代劇、舞台等に出演。所属する円谷プロが製作する「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンガイア」に3年連続で出演し、ティガでは自身の実父である円谷一、ダイナではミヤタ参謀、ガイアでは田端健二と、其々の作品で別の役を演じきった。
しかしデビューして間もない頃の俳優の世界では付き合いで酒を飲む機会が多かった為に肝臓を傷め、体調不良を理由に2000(平成12)年に俳優を引退し、円谷プロ芸能部のマネージャー業を務めていたが、翌年の7月24日、肝不全により37才の若さで死去した。
「宇宙刑事シャイダー」にて沢村大の相棒である女宇宙刑事、アニーを演じた元JACの女優、森永奈緒美は、Vシネマ「宇宙刑事シャイダー_NEXT_GENERAITION」の製作記者発表の際に「本来の相棒がここに居ないのが悔やまれます」とコメントを残している。
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