切腹とは、自殺方法の1種である。
概要
読んで字の如く刃物で自身の腹を切る、自殺方法の1つ。或いは処刑方法としても用いられた。
武士が自分ないし部下や近親者達の責任を取るために、腹を切って死ぬ事で名誉を守る、日本独特の伝統。
「腹切り(はらきり)」「割腹(かっぷく)」とも呼称するほか、海外では切腹が「HARAKIRI(ハラキリ)」という呼び方をされており、日本独自の文化として現代でも注目されている。
古くから日本に定着している習俗だが、その始まりは平安時代末期辺りに武士道が確立されてからとされている。これについては戦国時代に豊臣秀吉が高松城を攻めた折、城主である清水宗治が切腹を行い秀吉がこれに感服したことから、「切腹=名誉ある死」という認識が広まり、武士身分の者を処刑する際に斬首(打ち首)などと同様で切腹の手法がとられるようになっていく。その後、江戸時代に入ると「切腹前に沐浴を行い、身を清める」「浅葱色の裃、ないしは白装束(小袖)に身を包み、切腹の際に右側から肌脱ぎを行う」などの手順が作られ、戦国時代~江戸時代を経て切腹という儀式が習俗として定着していく。
また、腹を切って死ぬという作法は「人間の霊魂は腹部に収められている」という昔の考えに由来するもので、それを切り裂く事で名誉ある自決方法とする思考が広まったとされる。そのため、当初は切腹直後に腹部の切り口から自身の内臓や腸を掴み引きずり出す、という壮絶極まる方法も存在した。
で、本当に腹を切って死ねるの?あと介錯人って?
短刀で腹を切る、という行為自体はいたって単純なものであるが、腹を刃物で切り裂くと胃や内臓を覆う腹膜を損傷するため相当な激痛となる。切腹が致命傷となった場合における際の死因としては失血死や腹膜炎などが多いと思われるが、いずれにしても腹を切ってすぐに死ねるわけではないため(切腹直後に激痛からのショックで失神したり、体内から腸や内臓がはみ出しながらも生存していた事例もあった)、当初は上記の通り体内から内臓を引きずり出すか腹を切った直後に喉を短刀で貫き確実に絶命する、といった事も多数存在した。
(腹を切っても数分~数時間以上苦痛を引きずりながらも生存している事もあり、近年の事例では、海軍軍令部次長の大西瀧治郎は終戦に伴い切腹を行った直後に胸と喉を突いているものの、それでもすぐに死ぬ事無く翌日まで生存していた。)
江戸時代からは切腹に立ち会う介錯人(かいしゃくにん)を伴い、切腹を遂行した者が尋常ならざる激痛で苦しみ続けることのないよう速やかに首を斬るなどして補助を行うようになり、これらの風景は現代でも時代劇などで度々見かける事と思われるが、これも「(切腹のみならず)自傷による自決がどれほど困難であるか」を裏付ける話と言えるだろう。しかし介錯を行う側も「首を一刀で正確に断つ」という剣の腕前と精神・度胸の強さが要求されるため、並大抵の者が担当できる役回りではない。特に武士が主君の介錯を行う場合はそれがより顕著で、心理状態の乱れから手元が狂い、首を斬るつもりが後頭部や肩を斬りつけて仕損じた事もあったという。結果、切腹を行う者を二度三度と斬りつける事となり「武術不心得(=恥)」と認識された。そのため、家中に腕の立つ者がいない場合は他家へ介錯を依頼する事例も存在したらしい。詳しくは「介錯」の記事も参照。
その他、切腹にまつわる話
- 相撲の行司は常時懐に脇差を備えており、『差し違えたら切腹を行う』という覚悟を示している。(テレビ番組「トリビアの泉」でも紹介された事がある。)
もっとも2012年現在、判定を誤ったなどから本当に脇差で切腹を行った行司は存在しないが。 - とある宇宙の彼方の惑星では、セップク(切腹)をどういうわけか「宇宙で誰一人極めた事が無い、究極のスポーツ」と勘違いした挙句に宇宙を巻き込む騒動を起こした宇宙人がいるらしい。
関連動画
近年の対戦ゲームでは、攻撃にも「切腹」が用いられる。
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関連項目
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