概要
地理
刈谷市(2018年10月1日時点) | |
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面積 | 約50Km2 |
人口 | 約15.2万人 |
市の花 | カキツバタ |
市の木 | クスノキ |
隣 接 市 町 村 |
豊田市、知立市、安城市、高浜市、 大府市、豊明市、みよし市 愛知郡:東郷町 知多郡:東浦町 |
南北に長く、西の市境にかつての尾張と三河の国境となる境川、市内を二つの川(逢妻川、猿渡川)が流れる。
この市内を流れる川を境界に丘陵地で農業(畑作・果樹)が盛んな北部、川沿いに低地が広がり商業が盛んな中部、三河湾まで続く平原に水田と住宅地が広がる南部に別れる。
また都市全域に豊田自動織機やアイシン精機、デンソーといったトヨタ系列各社本社を始め多くの工場が点在する。
平成の大合併が全国で行われていたころ、旧碧海郡の5市で合併する計画も存在したが、各都市の財政格差がネックとなって計画は消滅した。
(実現していれば人口では約50万7千人で名古屋市に次いで愛知県2位、一般会計歳入では約1兆85億円で豊田市、豊橋市に次いで第3位。人口は平成19年度、歳入は平成18年度データに基づく)
内心ホッとした刈谷市民多数。
歴史
昔、衣浦湾が現在の北部あたりまで入り込んでいたこともあり石器時代の貝塚が多く発掘されている。
以来この地には多くのコミュニティーが存在し、古墳(泉田古墳)や1300年以上の歴史を持つ神社(市原稲荷、野田八幡宮など)などが存在する。
戦国時代の天文2年(1533年)、国境である刈谷に3層の櫓を持つ刈谷城(亀城)が水野氏の手により築城され、以降軍事的にも重要な城下町として発展していく。
また水野忠正の娘、於大の方が岡崎城城主松平広忠のもとに嫁ぎ、竹千代(徳川家康)を生んでいる。
(於大の方が生まれたのは水野忠正が居城を改める前の現在の東浦町緒川であり、刈谷は嫁ぐ前と松平広忠の死後離縁させられた時に一時出戻り生活をした地に当たる。
時折刈谷市民と東浦町民との間で「於大の方の本家はどちらか?」と論争が起きるのはこれに起因する)
明治時代、1889年に刈谷村(現中部の一部)が刈谷町に移行。1906年に現在の中部一帯が刈谷町に吸収。
1926年、現在の市内豊田町にトヨタグループの始祖である「豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)」が開業。
1929年、依佐美村(現南部)に第1次世界大戦の賠償金を元手にドイツの技術をもって作られた日本初の対欧州無線施設「依佐美送信所」が運用開始。
(蛇足だが、真珠残攻撃決定を伝える「ニイタカヤマノボレ一二〇八」がこの送信所から送信されたという説があり、地元の人間の何割かはこの説を頑なに信じている。通説では機動艦隊へは船橋送信所より発信)
また東海道本線の刈谷駅が1888年、三河鉄道(現在の名鉄三河線)が1912年に開業。江戸時代から続く窒業・絹業を含め愛知県の工業・商業・交通の要所として発展していく。
戦中、大きな戦災を逃れた刈谷は1950年に市制に移行。1955年には富士松村(現在の北部)と依佐美村を吸収して現在の形となる。
そのほか、特に記述するまでもないこととして刈谷を舞台に下記のような事件・事故・事象がある。
- 1956年 作曲家の宮城道雄が現在の刈谷市交通公園付近を走行中の汽車から落車、客死。
- 1996年 依佐美送信所の無線鉄塔解体中にだるま落とし方式で解体していた1本が倒壊。
- 2000年 東海豪雨により境川・逢妻川一帯および猿渡川・下がり松川一帯が水没。そのほか市内各所の河川の川岸が崩落。
- 2005年 刈谷駅に隣接するホテル「名鉄イン 刈谷」が一連の構造計算書偽造問題の被害にあった物件と判明。ホテルは閉鎖・解体、のちに再建。
(そのほか随時追加してください)
特色
- 質素な人間が多いといわれる三河の民にしては旧碧海郡の人間は祭りが好きで、愛知県の無形文化財である万燈祭をはじめ、刈谷わんさか祭や大名行列などが市内で行われる。
(他の旧碧海郡内の有名な祭りとしては三大七夕祭りに数えられる安城の七夕(安城市)や、人形浄瑠璃やからくり人形が山車の上で展開する知立まつり(知立市)など) - カナダのミササガ市と姉妹都市協定。その流れを受けて「ミササガ通り」という町工場しかない通りや、「ミササガ橋」という殺風景なところに架かった橋、愛知万博のカナダ館に飾られたモニュメントを移築しバラ園を整備した「ミササガパーク(猿渡公園)」などがある。ちなみにミササガパーク、よく整備された公園やどっしりと存在感を示すモニュメント以上に、隣接するマンションの存在は訪れた者を魅了することだろう。
- 日本の産業を牽引した豊田自動織機発祥の地であったり、加藤与五郎(フェライト磁石開発者)や高野鎮雄(VHS開発指揮)といった科学技術に多大な功績を残した人物を輩出した土地とあって、小中学校では科学分野の工作や研究を大いに推奨しており、夏休みの自由工作の宿題には市内の小中学生を対象にした「石田科学技術賞」という賞を設けて明日のニコニコ技術部員を育成している。
- かつてはサッカーが強い土地として全国に知られ、特に高校サッカーでは刈谷高校が白地に赤い斜線のユニフォームをして「刈谷の赤だすき」の猛称で全国に恐れられた。・・・が、このことを知っているのはもう30代以上の人だけなんだろうなぁ…
これがあってかJリーグ発足時には当時建設中だった刈谷総合運動場にグランパスエイトを誘致しようという話が上がったり、FC刈谷が創設されたりする。 - かつては音楽活動が盛んな土地として全国に知られ、学生吹奏楽やオーケストラでは全国大会で多くの賞を獲得している。特に中学校では珍しいオーケストラ部を有し(依佐美と朝日の2校)、たびたび全国1位に輝いた。・・・が、このことを知っているのも30代以上のごく一部の人だけなんだろうなぁ…
これがあってか刈谷市には市民オーケストラが存在し、趣味で楽器を扱うものから地元出身の音大卒業者まで受け入れている。 - かつでは三河有数の商業都市として知られ、元刈谷にある刈谷銀座は休日ともなると人がすれ違うことができないほどのにぎわいを見せていた。・・・が、このことを(ry
いまでは街づくりの悪い見本としてあげられるほどの衰退ぶりを見せている。またかつての繁華街の一部は「東海地区の夜の繁華街」と変貌している(最近、刈谷駅南口の再開発が著しいが、どうなんだろう・・・) - 全国でも数少ない「市が借金を持っていない街」であり非常に市の財政が裕福な街として有名である。これもひとえにトヨタ関連企業が市に収めてくれる税金のおかげである。・・・が、これも過去のものになって・・・しまったりしないよね?
交通
鉄道
JR東海 東海道本線(太字は快速停車)
(至 名古屋方面 大府)==逢妻==刈谷(名鉄三河線併設)==野田新町==東刈谷==(至 豊橋方面 三河安城(東海道新幹線併設))
※刈谷駅構内に貨物駅が存在したが、1986年に廃止)
名鉄 三河線(優等列車なし)
(至 知立方面 重原)--刈谷(JR併設 すれ違い待機駅)==刈谷市--小垣江--(至 碧南方面 吉浜)
同 名古屋本線(太字は急行停車 青字は特急停車)
(至 名古屋方面 豊明)==富士松==一ツ木==(至 豊橋方面 知立(三河線接続))
道路
関連動画
関連項目
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