初心会とは、子供向けのおもちゃや家庭用ゲームを卸す問屋組織である。1997年に解散している。
概要
元々は玩具問屋の集まりでしかなかったが、ファミリーコンピューター(ファミコン)をきっかけに爆発的に誕生したゲーム市場の隆盛に合わせて成長した。
任天堂と取引のある玩具問屋の親睦会として「ダイヤ会」というものがあり、それが発展。親睦会として存在した問屋組織となったのが『初心会』である。初心会の核心は任天堂と直接取引のある一次問屋であった。
仕組み
メーカーと直接取引する一次問屋、一次問屋から卸される二次問屋、二次問屋以下の問屋が小売店と取引した。
1980年から2000年代は、メーカーから一次問屋の各社に下ろされる本数は一作品あたり数万~百数万本と膨大であり、1万数千店以上あるゲーム取り扱いの小売店との直接販売など担えるはずもなく、一次問屋と取引する二次問屋(三次問屋以下も同様)に小分け販売することが必要不可欠であった。そうした流通を経て二次問屋以下の問屋と小売店にゲームが入荷していった。
初心会系列の問屋と取引のある小売店には初心会のロゴ入りのショーケースが置かれた。
小売店や問屋を招き商談を兼ねた開発中のゲームを展示したり開発発表を行う展示会も初心会主催で1989年から初心会展として開かれており、当時の任天堂の山内社長も講演を行っている。当初は入場資格は会員のみだったが一般にも開放され後に任天堂スペースワールドというイベントに発展していった。初心会解散後は任天堂主催のイベントとなった。
歴史
当初は、トランプや花札といったカードゲームを事業としていた任天堂は電子銃やマジックハンド、アーケードゲームなど玩具市場に進出し、このときから玩具問屋との付き合いが始まっている。
ゲーム&ウォッチ、アーケードゲームで力を付けた任天堂は、ファミリコンピューターで『家庭用ゲーム』市場に参入する。ファミコンのソフト流通も当初は懐疑的ながらも初心会が担っていたが、ファミコンの爆発的ヒットにより考えを変える。
このファミコン黎明期のときに、一次問屋が任天堂から大量購入した際に卸価格でバーゲンセールを行ったことをきっかけに二次問屋が誕生した。
初心会は発注した製品全量を引き受けることを前提としており、任天堂としては在庫リスクを抱えなくて済むという盤石な経営体制を敷くことができた。
ファミコンは任天堂としては当初サードパーティ(他社)は想定していなかったが、ファミコンブームによりハドソンやナムコなどもファミコンに参入したいという意思を見せる。任天堂は急いで環境整備を行い、『どれだけ売れるかを解っている』初心会を発注窓口とした。サードパーティのメーカーは、初心会に発注本数を伝えるが、初心会側も引き受ける本数を決め相互で交渉が行われた。ソフト製造本数が決定し、任天堂にソフトの製造委託費を払うことで三ヶ月後完成し、初心会系統の一次問屋から二次問屋を経て小売店に流通し発売されることになる。この小売店が発注希望した本数が実数下ろされない場合もあり、その本数は二次問屋の一存で決められている。
メーカーが発売を希望する本数と初心会が引き受ける本数に差違がある場合はメーカー側の在庫として引き受ける場合もあった。また、初心会が受注しない=発注ゼロの場合は発売中止になっている。
そのためメーカー側は、初心会が主催する展示会『初心会展』で初心会のバイヤー相手にプレゼンし、試遊台やパンフレットでゲーム内容や広告宣伝量のPRするほか、バイヤー担当者への酒を伴った接待など必死に売り込みを掛けていた。
ファミコン黎明期にはサードパーティーのソフトメーカーも体力は全くなかったため、初心会(の問屋の一社)に懇請して約束手形を振りだしてもらい銀行に手形を引き受けてもらうことで(初心会が実質的な債務保証を行う)開発費を確保したこともあるなど、サードパーティーと初心会も持ちつ持たれつの関係であった。
ファミコンに爆発的に市場が生まれたため、新規問屋も参入し、売れていないゲームと大ヒットゲームを抱き合わせ販売する違法行為を小売店に強いたりするなど悪質な問屋も目立ち始め、小売店も人気ソフトの予約分でさえ入荷を確保できず、足元を見た三次問屋以下から定価を超える価格で売りつけられるなどの事態も起き、小売店やゲームメーカー側からは嫌悪感を加速していった。
また、力をつけてきたサードパーティのソフトメーカーが自社流通を志向したり、ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイのカセットによる、生産のタイムラグ、リピート生産(追加生産)の自由度の低さに懸念を持ち始める。
ソニーから発売されたプレイステーションはCDだったため容量が大きく自由度が高い、生産コストも安く、生産期間も短くタイムラグが発生しない、ソニーミュージックが担っていた流通をそのまま使えるなどメリットが多く生まれサードパーティが飛び付くようになる。小売店にとっても、実数が入ってくるため商機を逃さない理由から歓迎された。
スクウェアは子会社としてデジキューブを設立し、プレイステーションゲームのコンビニ流通を開始し初心会に対抗しコナミもアーケードゲームのメンテナンスや販売営業の関係から全国に支店営業所を持っており自社流通を志向する。サードパーティーのゲームソフトメーカー側は反初心会的組織として「コンシューマー・ソフト・グループ(CSG)」を1988年に立ち上げ1995年には『コンピューターエンターテイメント協会(CESA)』と改組される。1996年にはCESAが東京ゲームショウを開催し始めた。
任天堂も初心会に対して義理と恩もあったものの自己利益のために乱暴を行う初心会に手を焼いており、改革のため、問題のある問屋を一次問屋から追放して二次問屋に落としたり初心会の改革として体制を一新し構成会社を絞るなどの改善も行っていた。ただ任天堂として初心会に対して流通のプロとして販売流通を任せていたものの、売り上げ予測の機能も覚束なくなっていた初心会に見切りをつけ始める。(任天堂はデバッグ、評価機構のマリオクラブを立ち上げ売上予測を自社で出来るようになったこともある。)
解散、その後
1997年の任天堂本社で行われた年に一回の懇親会での任天堂の山内社長と初心会会長との挨拶の席上で、不意打ち的に初心会の解散が初心会会長の口から発表される。(山内社長と初心会会長と二人でのみの根回し)。
任天堂や各サードパーティのソフトメーカーから直接卸される一次問屋が60数社から10社に制限され、掛け率も実情に応じて設定されるようになった。それ以外の問屋は二次問屋以下に格下げされてしまい、ポケモンブームがある頃はなんとかなったものの、月日が経つにつれ初心会系列の一次問屋も合併、廃業を余儀なくされるところも出てきている。
2000年以降は、ゲームショップやおもちゃ屋などの小売店のうち小規模なものは廃業するものも少なくなく、それに伴い問屋の影響力もかつてのほどではなくなっている。
そのためゲーム問屋も衰退し、合併や廃業を余儀なくされている。一部会社はそのまま残っているものの、ハピネット(バンダイグループの流通会社)に統合されたり、任天堂の出資を受け入れ任天堂の100%子会社である任天堂販売株式会社となった場合もある。
2010年代以降はダウンロード販売が隆盛となり、コンシューマーゲームでも、コンシューマー機の公式販売サイトのほかPCゲームとしてSteamでダウンロード販売し、パッケージ販売をしない作品も登場していること、街中のゲーム販売店も縮小傾向が続いていため問屋の影響力は年々低下傾向にある。
関連項目
- 任天堂
- 問屋
- 仲卸
関連リンク
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