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初芝清(はつしば きよし、1967年2月26日-)とは、東京都出身の元プロ野球選手(三塁手)である。現役時代は千葉ロッテマリーンズに所属し、幕張のファンタジスタとして活躍。現人神である。
概要
OB | |
---|---|
初芝清 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都豊島区 |
生年月日 | 1967年2月26日 |
身長 体重 |
183cm 96kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 三塁手 |
プロ入り | 1988年ドラフト4位 |
引退 | 2005年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
二松学舎大学附属高等学校では3年に甲子園大会に出場したが、決勝戦で敗退。プロ志望届を提出したが指名漏れとなった。
東芝府中に就職し、投手から内野手に転向。都市対抗野球大会には3回出場した。
1988年ドラフト4位でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団した。背番号は6。
ロッテ時代
主軸として打線を牽引。堀幸一、小宮山悟らと共に、低迷するチームを支え続けた。
1995年には打点王のタイトルを獲得した(イチロー、田中幸雄とのトリプル受賞という珍事だった)。
晩年は今江敏晃の台頭により控えに甘んじたが、代打として7打席連続安打の日本タイ記録を樹立した。
2005年に現役引退を表明。この年のプレーオフ、福岡ソフトバンクホークスとの第5試合。8回に代打として打席に立つと、内野ゴロがまさかの安打に(下記の関連動画参照)。
この時の激走が逆転劇を呼び込んだ…のかもしれない。
長らく優勝と縁の無かった男は、最後の最後に日本一の夢を掴み、バットを置いた。移籍することなくロッテ一筋だった。
守備位置に付くのも全力疾走という姿勢、勝負強い打撃、たまに見せる神がかったプレーなど、ファンからも愛された。
彼のつけていた背番号6は、「つけるにふさわしい選手」が現れるまでは欠番となった。そして3年の時を経て、2009年より井口資仁に受け継がれた。
愛称は「幕張のファンタジスタ」、「ミスター・マリーンズ」、「初芝神」など。
引退後
野球解説者を務める傍ら、社会人野球・かずさマジックのコーチを2010年まで務めた。
2013年12月に社会人野球・セガサミーの監督に就任。以降は監督業に重きを置いている。監督としては2014年の日本選手権でチームを準優勝に導いている。その後、2019年限りで退任。
幕張のファンタジスタ
グラウンド内外でのパフォーマンス・エピソードから「幕張のファンタジスタ」と呼ばれファンに愛された。そんな彼の逸話をまとめる。
- 若手時代、二塁打を放ち二塁に到達した際外野からの返球が初芝に直撃した。これは「珍プレー・好プレー」でも度々とりあげられた。
- 1990年代、マリーンズの主力打者となったが96年ごろ極度の不振に陥る。原因は「極度の乱視でボールが見えなかったから」で、眼鏡を着用したら復調した。「ボールってこういうふうに見えるんだ」と初芝本人も目を丸くした。これ以降眼鏡姿が彼のトレードマークとなる。
- ある年の開幕前、行きつけの床屋で「初芝さん今日はブリーチでもしてみます?」と言われ「ブリーチってパーマの一種かな?」と思いいわれるがままにしていたところ案の定ド金髪になる。帰宅したところ娘に号泣された。本人はなんだかんだ気に入ったようだがチームの投手陣には陰で「似合ってないよねw」と馬鹿にされ、OB会会長で初芝の恩師でもある有藤道世には激怒された。
- マリーンズ史上初の1億プレイヤーでもある。
- お手本のようなトンネルをしたり、マリンスタジアムの風を受けフライを落球したりと守備はお世辞にも良いとはいえなかったがどこか愛嬌があり、愛された。特にファールフライを追いかけるさまは当時のマリンスタジアム名物であり三塁側の相手ベンチに飛び込んだり、フライに集中しすぎて三塁コーチャーと激突したりと多種多様。特に西武ライオンズナインは面白がっていたようで、デニー友利は「千葉に行く楽しみのひとつ」とまで言った。
- 2001年、甲子園に出場した和歌山県の初芝橋本高校にチームメイトの橋本将とともに「親近感が湧く」として差し入れを送った。
- ネクストバッターズサークルにて準備していたところ前の打者のファールボールが初芝に直撃。思わず「痛え!」と叫んだため打者・捕手・審判が全員初芝を注目する事態になった。
- イチローがメジャー挑戦を表明し、アメリカでイチローを特集する記事が掲載されたがなぜか顔写真が初芝のものだった。
- 引退試合でデッドボールを受ける。集まった観客は大爆笑。
- 盛大な引退セレモニーを行ったが、次の試合に普通にスタメンで出場(今江敏晃が負傷したため)。
成績
通算打撃成績
通算:17年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1732 | 6408 | 5762 | 678 | 1525 | 332 | 35 | 232 | 879 | 11 | 31 | 59 | 496 | 59 | 1082 | 168 | .265 | .326 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最多打点 | 1回 | 1995年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 1回 | 1995年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 4回 | 1994年-1996年、1998年 |
関連動画
関連項目
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