制限選手とは、日本プロ野球における野球協約違反あるいは契約違反選手に対する処分のひとつ。
概要
野球協約には、以下のように定められている。
野球協約 第60条 (処分選手と記載名簿)
選手がこの協約、あるいは統一契約書の条項に違反し、コミッショナーあるいは球団により、処分を受けた場合は、以下の4種類の名簿のいずれかに記載され、いかなる球団においてもプレーできない。
選手がその個人的事由によって野球活動を休止する場合、球団はその選手を制限選手とする理由を記入した申請書をコミッショナーに提出する。コミッショナーが、その選手を制限選手とすることが正当であると判断する場合、その球団の申請は受理され、コミッショナーによりこの協約の第78条第1項の復帰条件を付し制限選手として公示され、制限選手名簿に記載される。制限選手の参稼報酬については、1日につき参稼報酬の300分の1に相当する金額を減額することができる。なお、減額する場合は、上記の方法で算出した金額に消費税及び地方消費税を加算した金額をもって行う。
(1)コミッショナーにより復帰申請が許可されるためには、任意引退選手、有期又は無期の失格選手は、引退又は処分当時の所属球団に復帰しなければならない。ただし、復帰を許可される任意引退選手が引退期間中、引退当時の所属球団又は同球団の影響下にある団体と雇用関係にあった場合は、引退当時の所属球団以外のすべての球団の承諾を得なければ引退当時の所属球団に復帰できない。承諾を求める手続きは、当該球団がコミッショナーあて事情を説明する文書を提出し、これを回覧し諾否を決定する。ただし、復帰時の参稼報酬の最低額は保証される。
要するにものすごく大雑把に言うと、「正当な理由なく球団との契約をブッチしたら、他球団でもプレーさせてやんないし、戻ってくるまで給料もあげないよ」という処分規定である。この制限選手名簿に名前が記載された選手は、選手の移籍について日本と協定を結んでいるアメリカ、韓国、台湾、中国の球団でもプレーすることができない(契約時にNPBに照会する必要があるため、「制限選手名簿に載ってるからダメ」ということになる)。
野茂英雄以降、日本人選手のMLB挑戦が増えたため、1998年に日米間で選手の移籍に関する協定が結ばれ、契約違反に関する処分規定を日米で統一するためにできた規定。日本プロ野球においては所属選手については基本的に球団に契約保留権があり、球団の方から選手を自由契約にするなどしない限り、現在所属している球団に契約の優先権がある。日本の球団に契約保留権がある選手が、これを無視して勝手に渡米してMLB球団と契約するのを防ぐために作られた規定ということであろう。
選手が元の球団に復帰申請をし、球団を通してコミッショナーに認められれば、制限を解除して元の球団に復帰することができる。なお、制限選手となっている選手は、その間は支配下登録70人の枠には含まれないが、復帰申請があった場合に支配下登録に戻すための枠が必要になるため、実質的には制限選手がいると支配下登録枠がその分減ることになる。
育成選手の制限選手についてはまだ事例がないため詳しいことは不明。
1998年にできた規定だが、初めて適用されたのは2011年。以降、2020年までに4回適用されている。いずれも外国人選手が来日しなかったために適用された。
- ブレント・リーチ(横浜ベイスターズ)…2011年4月、東日本大震災の影響で帰国、再来日の目処が立たなかったため適用。7月8日に再来日し制限解除。
- ブライアン・バニスター(読売ジャイアンツ)…2011年4月、東日本大震災の影響で球団に無断で帰国し再来日の目処が立たなかったため適用。後に本人から現役引退の申し出があり任意引退選手として公示。
- ルルデス・グリエルJr.(横浜DeNAベイスターズ)…2015年4月、左手首痛を理由に来日せず、診断書の提出もなかったため適用。同年11月に復帰申請により制限が解除され、12月に自由契約。
- オスカー・コラス(福岡ソフトバンクホークス)…2020年2月、MLB挑戦のため母国キューバから亡命し音信不通となったため適用。制限が解除されないまま12月に自由契約。
また適用されてもおかしくなかった事例としては、2012年12月にアルフレッド・フィガロがオリックス・バファローズの契約保留者名簿に載ったまま、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ例がある。このときはオリックスが翌年1月に契約保留権を放棄したため制限選手は適用されなかった。
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