前田遼一とは、ジュビロ磐田、FC東京、FC岐阜に所属していたサッカー選手である。日本代表選手としても活躍。ポジションはフォワード。
概要
中高生時代は暁星中学校・高等学校サッカー部でプレイしており、東京都の選抜チームにも選ばれていた。高校卒業後は慶應義塾大学に進学する予定だったが、ジュビロ磐田への入団を決断した。
2003年に怪我で長期欠場することとなった中山雅史の代わりにフォワードとして出場することでチャンスをつかみ、その高い決定力を発揮することとなる。2009年には20得点を記録し、2002年の高原直泰以来となる日本人得点王となった。翌2010年も17得点を記録、Jリーグ史上初の2年連続得点王となった。そして名実ともに磐田のエースストライカーとなった。
しかし、2013年に磐田はJ2に降格、2014年に昇格できず減俸を提示されたためにJ1のチームへの移籍を決意、FC東京に移籍することとなった。
183cmの身長もあり、頭・右足・左足・どこからでもゴールを決めることができる。「フォワードはボールがないときの動きがすべて」と語り、オフザボールの動き、献身的な守備など評価が高い。
日本代表には2006年に選出されたのが最初である。日本代表でも基本的にフォワード、ザック体制下では主に1トップで出場している。
シーズン初ゴールにまつわるジンクス
2007年以降、前田がシーズン最初のゴールを決めた相手がもれなくJ1から降格していることから、ネット上では死刑執行人、死神、アサシン前田等と呼ばれることがある。この初得点は通称「デスゴール」と呼ばれ、これでJ2に降格にしたチームは少なくとも2年はJ2で苦しむという傾向にある。ナビスコカップはカウントされず、PKでのゴールも有効。
シーズン | 初得点試合 | 相手 | 順位 | 降格チームのその後 |
---|---|---|---|---|
2007年 | 第14節 | ヴァンフォーレ甲府 | 17位降格 | 降格から3年後の2010年にJ1昇格 |
2008年 | 第19節 | 東京ヴェルディ | 17位降格 | 未だ昇格できず、J2来年で8年目 |
2009年 | 第5節 | ジェフ千葉 | 18位降格 | 未だ昇格できず、J2来年で7年目 |
2010年 | 第4節 | 京都サンガ | 17位降格 | 未だ昇格できず、J2来年で6年目 |
2011年 | 第10節 | モンテディオ山形 | 18位降格 | 降格から3年後の2014年に昇格 |
2012年 | 第3節 | ガンバ大阪 | 17位降格 | 3試合を残し2位以内が確定、1年でのJ1復帰を果たす。 |
2013年 | 第5節 | 浦和レッズ | 6位残留 | ― |
特に2012年シーズンでは対象が前シーズン3位のガンバ大阪であっただけに、シーズン途中からNHKや民法各局でもこのジンクスについて報道され大きな注目を集めた。そして最終節で前田擁する磐田に敗れたガンバはクラブ史上初の降格が決定、「前田伝説」は途切れずガンバをはじめ多くのJリーグサポーターを震撼させた。
ところが、あまりにこのジンクスが有名になりすぎたあまり、2013年シーズンはシーズン開幕当初から報道が過熱し、たまりかねたクラブが自粛を呼びかけたほどだった。この年は浦和レッズ相手に初ゴールを挙げたものの、チームは試合終盤の失点がかさみ勝ち点を伸ばせない。前田も9得点に終わり、2桁得点が4年連続で途切れてしまった。結局、ジュビロ磐田が早々に初のJ2降格が決まってしまい、一方の浦和レッズは終盤まで優勝争いに絡んで悠々とJ1残留を決めている。
こうして、「デスゴール」のジンクスはひとまず終焉を迎えた。中には今までの呪いが自分たちに帰ってきた……と見る向きもあるようだが。
その後のシーズンはどうなったかというと、2014年の初ゴールはカマタマーレ讃岐であったが、讃岐はJ2・J3入れ替え戦を戦うことになったがAC長野パルセイロに勝利して残留。2015年は上記のとおりFC東京に移籍したのだが、その時の初ゴールは浦和であった。その浦和は1stステージ優勝、年間2位でチャンピオンシップへの出場を決めており、どうやら完全に「デスゴール」ジンクスは消滅したようである(FC東京も年間4位で降格とは無関係の安全圏である)。
なお、2006年の初ゴールは第10節のヴァンフォーレ甲府であった。この年の甲府は15位で残留を決めている。
前田遼一大食い伝説
- 名波宅の炊飯器をお新香ひとつで空にした
- 本人曰く「食べるのが趣味」
- キャンプ中、監督から「食べる量は他の選手の2倍」と言われる
- 人間力「グループの中では唯一というくらい、内科的トラブルを起こさずスタミナがあった」
- 勝つと肉がもらえる鹿児島デーには決まって大活躍
- あまりにも食べる量が多いのでチームメイトから「気持ち悪い」とよく言われた
- U-23で皆が下痢に悩まされ下痢止めを飲んだら、前田だけ便秘になって逆に苦しんだ
- 試合前後日の移動中必ず何か食べている姿を多数目撃(新幹線で弁当5つ抱えて笑顔・横浜でステラおばさんのクッキー購入即開封等)
- 新幹線に乗る前はビニール袋いっぱいのお菓子があったのに、下車時には手ぶらになっていた
- 配られたおにぎり数個を光速で食べ終えた後、他の選手が食べていない分を悲しそうに見つめ続け、ついに「これ食えよ…」と分けてもらい笑顔で完食
- 食べ盛りの大卒ルーキーが大食い対決に挑むも撃沈
- 食べ放題のカレー屋で出禁になった
- 磐田市内のCoCo壱では、前田が1300g完食した時の笑顔の写真が飾ってある
- 神戸でネスレのトークイベントに西野泰正と出た際、そこでもトークそっちのけで食っていた
- 2002年の1st柏戦、ベンチ外の西野が前の座席を蹴っ飛ばして熱烈応援していた横でずっと黙々と食べ続けていた
- 流石の前田も08年の入れ替え戦前はまったく食べられなかったらしいが、その後無事J1残留決定後は白焼き蒲焼きご飯山盛り食べてデザートにうな重を食べていた
- サプライズの小学校訪問をした際に小学生から「大食い!大食い!!」と言われた →Youtube
- 2012年のジュビロのチーム表彰式にて、MTP(今年一年最もたくさん食べたプレイヤー)を受賞
- サポーター向けの雑誌に掲載されたインタビューによると、行きつけのうなぎ屋のご主人曰く「前田君はだいたいいつも三人前食べていく。この前は白焼きと土佐焼きでご飯一杯、それからうな重の大盛り」。
- ↑のうなぎ屋でNHKのドキュメンタリーの収録を行った際、最初は自重していたが我慢できずにうな重を追加オーダー。
その他のエピソード・名言
- 人前で話すのが苦手で、ヒーローインタビューなどあっさりしている。
- 二得点を挙げた前田、試合後に勝因を聞かれ「相手よりもいっぱい点を取ったからだと思います。」
[2012.08.18 J1第22節 磐田4-3C大阪 ヤマハ] - A代表では合宿や遠征の際、朝10時くらいに散歩に出かける「散歩隊」が結成され、前田がその隊長に就任した。
関連動画
関連項目
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